Royal Road

木山碧人

第1話 送還


 9月1日。朝。飛行機内。一万メートル上空。


 ニューヨーク行きの便。席はビジネスクラス。


 1-2-1の配列で席が並び、座るのは中央2の左側。


 テレビ付きで、食事とドリンクは、食べ飲み放題。


 機能は充実してるけど、そんなことはどうでもいい。


「はぁ……。働きたくないなぁ……」


 口からこぼれ出すのは、本音とため息だった。


 ニューヨークに着けば、組織の仕事が待っている。


 それが嫌だったから、ドイツまで逃げて、サボってた。


 だけど見つかった。強制送還されるハメになってしまった。


「もう一回、記憶が消えれば、働かなくて済むのかな……」


 気分が乗らず、テレビのリモコンの電源ボタンを押した。


 見えるのは、ブラックアウトした画面に映る、自分自身の姿。

 

 短くボサボサした金髪に、青緑っぽくキラキラと輝いている碧眼。


 背丈も胸も小さくて、顔は童顔で、黒いワンピースを着た少女サーラ。


 長年付き添っている顔でも体でもないから、いまいち愛着が湧いてこない。

 

「サーラさん、見てくださいよ! こんなに足が伸ばせますよ!!」


 隣ではしゃいでいるのは、同じ組織に属する少年ジェノ。


 褐色の肌、左頬には刃物傷、服装は青っぽい制服に袖を通す。


 ビジネスクラス特有の、広々とした座席に、感動しているらしい。


(こんな子供っぽいのが、わたしの元お兄ちゃんか……)


 彼は、記憶喪失前の自分。サーラじゃなく、エリーゼを知る存在。


 記憶を知る手掛かりは、隣にいる。聞こうと思えば、いつでも聞ける。


 でも、怖くて聞けない。聞けば、自分が自分じゃなくなるような気がした。


「……ビジネスクラスなんだから、それぐらい普通でしょ」


 複雑な心境をそっとしまい、サーラは世間話に興じる。


 どういう距離感で話していいのか、正直言って分からない。


 ただなんとなく、当たり強めぐらいが、ちょうどいい気がした。


「知識としては普通でも、初めての経験ですからね。楽しまないと損ですよ!」


 すると、ジェノは、明るい表情で持論を述べた。


 前向きで、能天気で、その黒い瞳には一点の曇りもない。


(はぁ……。前のわたしは兄のこと、好きだったんだろうなぁ……)


 サーラは顔を背け、そんなことをふと思う。


 記憶がなくても、体の構造や思考回路は同じ。


 だからこそ、なんとなく好みが分かる気がした。


「……」


 気恥ずかしい思いから目を逸らすように、席に視線を落とす。


 手すりにはいくつかボタンが見え、手持ちぶさたで触ってみた。


 すると、ぐーっと両足のふくらはぎを押されていく感覚があった。


 ボタンに反応し、膝下辺りのクッションが、動くようになっていた。


 リクライニングシートだからこその仕様。ある意味では、子供だまし。


(……ちょっと、いいじゃん)


 ただ、思いのほか、愉快な気持ちになる。


 彼の前向きな言葉が、あったおかげかもしれない。


「あ……っ!」


 そこで、ジェノは指を差し、大きな声を出した。


 もしかしたら、顔色から心情を悟られたのかもしれない。


(だるっ……。指摘されたら、まじで嫌なんだけど……)


 ジェノの言葉が発端で、座席に触ったのは確か。


 だけど、影響を受けたと思われるのが、癪だった。


 こっちだって、平等に旅を楽しむ権利ぐらいはある。


「ずるい! そんな機能あったんですね! 先に教えてくださいよ!」


 ただ、彼の場合は気にしなくていいらしい。


 顔色を読み取って、思った心情を言い当ててくる。


 そんな繊細な感性は、持ち合わせていないみたいだった。


「誰が教えるか、ばーか。楽しみたいなら、自分の頭で考えろ」


 サーラは、内心ほっとしながらも、冷たく当たる。


 不思議と悪い気はしない。むしろ、ちょっとだけ楽しい。


 この調子なら、9時間弱のフライトは退屈せずに済みそうだった。


 ◇◇◇


 約一時間後。飛行機内。エコノミークラス。


 3-4-3の席が一列に並び、足を伸ばすスペースもない。


 列の左側。窓際にいた背丈の違う二人の男が不意に立ち上がる。


「……ちょっと、前、通りますよっと」


 先に声を出したのは、無精ひげを生やす短い黒髪の中年男。


 青と白のアロハシャツに黒い短パンを履いた胡散臭い見た目。


 動き出した左足は、メタリックな銀色の義足が装着されていた。


 名前は、ルーカスという。組織の適性試験で知り合った男だった。

 

「…………」


 その後を無言で通り過ぎる、短い金髪碧眼の少年がいた。


 パオロ・アーサー。イギリス王室の忌み子であり、捨て子。


 黒いチャイナ服を着ていて、武術用の動きやすい格好だった。


 ルーカスの後を追い、誰にも気に留められることなく前進する。


「お客様……こちらからはビジネスクラスとなっており……」


 すると、行く手を遮るのは、英国系の金髪のCA。


 後ろ髪はぐるりと巻かれ、綺麗な団子を作っている。


 反応から見て、止める気満々といったところだろうな。


「あぁ、そいつは――」


 すると、ルーカスは、威圧的に押し通ろうとする。


 久々に会ったが、人にものを頼む態度がなってない。


 適性試験の頃から変わらない、こいつの悪い癖だった。


「……」


 見かねたパオロは一歩前に出て、手を横に出す。


 これを無視できるような馬鹿じゃないのは分かってる。


 すぐに意図を察し、口を閉ざし、不利になる発言を止めていた。


「知り合いに挨拶するだけだ。悪いが、三分だけ時間をくれないか」


 すぐにパオロは、CAの目を見て、要望を伝える。


 あくまで、こちらはお願いする側だ。無理なら諦める。


 ただ、相手は接客のプロだ。心情を読み取れないわけがない。


「……かしこまりました。その代わり、わたくしめもご同行させてもらいます」


 やはりな。条件としては、無難なところだ。


 CAは納得し、列の一番後ろに並ぼうとしている。

 

「恩に着る。これは、チップだ。とっといてくれ」


 パオロは懐から、100ユーロ紙幣を取り出し、手渡す。


 サービスの一環と考えれば、正当な対価のように思えた。


 ここで金を出し惜しむようだと、ここから先は生き残れない。

 

「……ありがたく、頂戴いたします」


 CAは素直に受け取り、三人は、ビジネスクラスに足を踏み入れた。


 ◇◇◇


 飛行機内。ビジネスクラス。中央席。


 サーラとジェノは正面のテレビを見つめる。


 二つの画面には同じスパイ映画が再生されていた。


 暇だしウォッチパーティをしようと彼が言ったのが発端。


「……うわぁ、ないわぁ。なんで警戒せずにお酒飲んじゃうかなぁ」


 シーンは中盤。白熱するポーカー勝負が行われる。


 主人公はイギリスに属するスパイで、敵はテロリスト。


 敵は公の賭場でテロ資金を集めるために、ポーカーに参戦。


 勝負はもつれ、敵から酒に一服盛られ、主人公が飲んだところ。


「勝負に夢中で気付かなかったんですよ、きっと。一度目は飲めてましたし」


 作品を否定するも、ジェノは擁護する。


 そういうやり取りが、今までずっと続いていた。


 鑑賞用のクッキーがなくなるぐらいには、楽しめている。


「いや、それでも、さすがに……」


 サーラは、擁護に反論を入れようとする。


 でも、口が閉じる。黙らざるを得なかった。


(敵……。しかも、かなりの手練れ……)


 意思の力と呼ばれるものがある。


 思いの丈を強さに変える生命エネルギー。


 別名センスとも呼ばれる、人に秘められた光のこと。


 サーラはセンスを扱え、感覚を研ぎ澄ませるのに長けていた。


「ここから、どうなるんだ……」


 一方、ジェノは、全く気付いていない。


 映画に夢中で、手練れの気配を分かってない。


 同じセンスを扱えるも、彼の感覚は鈍い傾向がある。


(仕方ないか。こっちは感覚系で、ジェノは肉体系……)


 センスには系統があり、肉体系、感覚系、芸術系と別れる。


 彼は肉体系で、身体能力の強化に長けるが、その分、感覚が鈍い。


 一方、サーラは感覚系で、察知能力に長け、身体能力強化が下手だった。


(索敵は、わたしの十八番ってね……)


 サーラは、薄っすらと白い光。センスを体に纏う。


 これが、意思の力の源であり、車でいうところのガソリン。


 後は、得手不得手はあるも、思いのままにセンスを操ることができる。


「空触是色」


 サーラは、センスを白い手に変え、気配の方に飛ばす。


 空触是色は、白い手に触れたものの力量を察知する能力。


 肌に触れた瞬間に、否が応にも、相手の秘密が明かされる。


 肉体、体調、精神状態、隠す能力も事細かに分かってしまう。


「……」


 サーラは集中し、手を伸ばす、伸ばす、伸ばし続ける。


 他人に触れるのは、かなり神経を削るけど、しょうがない。


(もう少し……っ!)


 目には見えないけど、感覚で敵との距離が分かる。


 手を伸ばせば届く距離まで、相手が迫っているように感じた。


「――ッッ!!!」


 しかし、バチン。と白い手が弾け消える。


 接触する前に、潰された。その痛覚が体に走る。


 予想外のダメージに声が漏れてしまったかもしれない。


「まずい。毒で心臓が止まった。どうなるんだ……」 


 だけど、ジェノはまだ気付いていない。


 ちょうど、映画の山場と重なっていたおかげ。


(敵襲を知らせるべき……。いやでも……)


 勘違いかもしれない。映画体験を邪魔したくない。

 

 感受性が強いせいで、いらぬ戸惑いが生まれてしまう。


 どう考えても報告すべき状況なのに、すぐに言えなかった。


「……少し、いいか。能力を使ったのは、お前だな」


 そのせいで、恐れていたことが起こってしまった。


 声をかけてきたのは、金髪の黒いチャイナ服を着た少年。


 明らかにただ者じゃない気配。白い手を消したのは、こいつ。


「能力? なんのこと?」


 サーラは当然、とぼける。


 認めるわけにはいかなかった。


 認めてしまえば、修羅場が訪れる。


 このフライトが危険に晒されてしまう。


 なんとしてでもシラを切らないといけない。


(接近戦は不利……。仕掛けてきたら、いったん距離を取って……)


 頭を回し、サーラは戦闘のシチュエーションを想定する。


 仕掛けてくるとしたら、次。気を抜くわけにはいかなかった。


「任務上がりで気が立ってるんだ。同僚とはいえ、そういうのはやめてくれ」


 しかし、少年は思いもよらないことを言ってくる。


 同僚。一体、この期に及んで、この人は何を言っているんだ。


 頭が上手く回らない。想定とは外れたリアクションに頭がついてこない。


「……え?」 


 できたのは、間抜けな顔をして聞き返すことだった。


 それ以外に何もできない。情報が処理し切れていなかった。


「…………ん? あれ。もしかして、パオロさんと、ルーカスさん?」


 そこで、ジェノはようやく気付く。


 イヤホンを外して、反応を示していた。


(は? もしかして、知り合い? 同僚って、まさか……)


 そのリアクションを見て、察しがついてくる。


「適性試験振りだな、ジェノ。元気だったか」


「よぉ、坊主。なかなかの大活躍だったみたいじゃねぇか」


 二人は愛想よく、ジェノに向かい、挨拶をする。


 言葉尻から考えても、間違いない。同じ組織の人間だ。


(なんだ……。どうりで強かったわけか……)


 組織の人間ならセンスを扱えるのが普通。


 並々ならない気配にも、これで合点がいった。


 やっぱり、気を張り過ぎてしまったみたいだった。


「お久しぶりです! 二人とも、まだ生きてたんですね!!」


 そんなジェノの失礼な一言から始まり、三人の身の上話が始まった。


 割り込む隙もないくらい、和気あいあいとした身内の話が続いていく。


「……失礼ですが、お約束の三分が過ぎようとしています」


 そこで口を挟んできたのは、金髪のCAだった。


 発言の内容から考えて、三分間の約束だったらしい。


「悪いが、あと五分、延長してくれ。チップは払う」


 金髪の少年パオロは、約束を破るように言った。


 話に夢中で、お金を払ってやるから、居座らせろ。


 という、自分勝手な心情が透けているように見えた。


「残念ですが、お客様。そちらのお金は受け取れません」


 すると、突然、CAの声音が変わる。


 敬いながらも、相手を威圧するような声。


 約束を破って怒っているようにも感じられる。


(……ちょっと待って。もしかしたら、この人が)


 その対応を見て、感じ取るものがある。


 その声色を聞いて、予想できたものがある。


空の運送人スカイ・トランスポーター。能力の発動条件が満たされました」


 CAの体からは、青色の光。センスが生じる。


 その光の波長は鋭く、芸術系の傾向が見て取れる。


(くっ……。なんで、気付けなかったの……)


 頭に巡るのは、映画のワンシーン。


 毒を盛られた主役と、似ている状況。


 本命に夢中で敵の策に気付けなかった。

 

(そっか。あの主人公……別に悪くなかったじゃん……)


 どこか諦観に似た気持ちで、サーラは状況を受け入れる。


 だって、条件を満たした芸術系のセンスを、止める術はない。


「行き先は、イギリスのロンドンにあるバッキンガム宮殿でございます」


 CAは能力を開示し、その場にいた五人は、上空一万メートルから消えた。

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