第37話
「やはり生徒の動揺は大きいですね。訓練の中止を要求している人が何人かいます」
翌日の朝、シャーナたちは会議室で今後の方針について話し合っていた。
「訓練を継続するしないに関わらず、この施設は放棄するべきでしょう。情報調査室の調査員ならば撃退も難しくはありませんが、その『赤いオーケストラ』とやらに踏み込まれたら厄介です」
ライツが提案する。
老人がシャーナに語った話は、すでに特務機関本部にも連絡してある。現在、撹乱工作である可能性も加味した上で、詳細を調査している最中だ。
「もう始めるべきか」
ザルノフがため息と共に言う。確かに武力蜂起を開始してしまえば、情報調査室を含むザルカ帝国政府は、その対応で手いっぱいになる可能性が高い。
それに戦闘が始まってしまえば、この訓練場の存在を隠蔽しておく必要性もなくなる。
「でも、まだ準備が完了していない」
サリアが言った。
「だが、一端を掴まれてしまった以上、準備が完了していなくても動くしかないだろう。なんにせよ、早く逃げないと全員逮捕、いや、死ぬぞ」
「そうは言っても、俺たちだけなら逃げられますが、ここにはAPMC社の社員や生徒もいます。流石に全員の脱出は無理ですよ」
ガーランの言葉に、ザルノフは頷いた。ここにいる生徒たちも特務機関が実行する綿密な計画に組み込まれている。ここで喪失すれば、計画への影響は避けられないだろう。
「ああ。だが、各団体への銃火器配布は予定の半分ほどまで完了している。現時点でも、ザルカの各主要都市を市街戦の舞台に変え、その機能を喪失させることは可能だ。ここにいる連中が戦局に及ぼす影響は、あまり大きくない」
ザルノフの言葉に、全員が黙り込む。
その時、突然ドアがノックされ、作業服を着たAPMC社の社員が入ってきた。
「失礼します。この施設にザルカ帝国陸軍の歩兵連隊が向かっているとの情報が入りました。おそらく午後2時頃には到着するものと思われます」
どうやら、ザルカ帝国も動き始めたらしい。まさか軍を派遣するというのは予想外だったが、概ね想定内だ。
連中には、我々にゆっくり考える時間すら与える気はないらしい。
「『平和を愛する会』の連中を武装させて全員連れてこい。応戦させる」
「全滅するよ」
ザルノフの決断に、サリアが語気を鋭くして言った。
「構わん。陸軍一個連隊を一瞬でもここに足止めをしてくれれば、それだけで万々歳だ。これからカヤに連絡して全工作員の行動を開始させる。予定を一週間ばかし早めることになるが、その程度なら問題ないはずだ」
ザルノフは、落ち着いてスマホを取り出す。
「『平和を愛する会』には、ここで彼らの理想に殉じてもらうしかなさそうですね」
「ああ。もし奇跡的に連隊を突破したら、その後は下の街を解放するように指示しておく。せいぜい、最後まで平和のために戦ってくれるだろうさ」
ザルノフは、そう吐き捨てた。
いくら敵国の民とはいえ、民間人を死地に向かわせ民間人を殺させることに罪悪感がないわけではない。
だが、その罪悪感と安っぽい正義感で任務を放棄するような人間は、特務機関に誰一人としていなかった。
「行きましょう。とりあえず彼らに素晴らしい演説を聞かせる必要があります。ザルノフさん得意ですよね?」
「得意と好きは全く別物だがな」
ザルノフは立ち上がり、APMC社の社員に生徒を運動場に招集するよう命じた。
生徒たちには、すでに昨日の交戦について説明している。
全体的に強いショックを受けた印象だが、ザルカ帝国政府の暴力性が強調されたと解釈したようだ。
武力蜂起と、それを阻止するための攻撃。どっちが酷いかと言われたら、はっきり言って武力蜂起の方が酷いが、幸いなことに、『平和を愛する会』の人々も、それを深掘りすることはなかった。
流石に千人もいれば、十人程度減っても外見上はあまり変わらないな。
シャーナは運動場に整列する生徒たちを見ながら、そんな感想を抱いた。
緑の作業服を着た生徒たちで、薄茶色の運動場が埋め尽くされている。
流石に数日程度の訓練だけでは、兵士のような完璧な整列には至らなかったが、私服だった時よりは動きも整っている。
直立不動で自動小銃を胸元に担えた彼らは、遠目でも分かるほどに緊張していた。
「皆さん。もう聞いているとは思いますが、現在ザルカ帝国陸軍の一個連隊がここに向かっています。あと数時間で到着するでしょう」
1個連隊。その規模は1500人。数でも質でも敵の方が上。
向こうの目的が殲滅だったら、2,3人生き残れば万々歳。例え逮捕が目的だったとしても、銃を持って抵抗する以上、多数の戦死者を出すことは避けられない。
「おそらく、ここにいる人のほとんどが、ザルカ帝国軍によって殺されます。すでに包囲網は完成されつつあり、今から逃げることも難しいでしょう」
まだ包囲網は無く、逃げようと思えばいつでも逃げれる状況にあるが、それで逃げられても困るので、ザルノフはその事実を隠すことにした。
「もちろん、我々に貴方達へ死ねと命じる権利はありません。隠れたいものは隠れればいい。投降したいものは投降すればいい。ですがここで皆様が平和に殉じることで、未来の子らに幸をもたらせることを忘れないでください」
ザルノフはそう演説を締め括った。
内容は随分と安っぽかったが、生徒たちには効いたようで、彼らは覚悟を決めた気になることができたらしかった。
彼らがもし実際の軍人なら、可能な限り生存者を出すように丁寧に運用するが、連中はあくまで捨て駒でしかない。
雑な覚悟と雑な武器を持って、盛大に散ってくれればそれでいい。
「では、あとは作業員の方々が指揮を取ります。彼らの指示に従ってください」
今回の戦闘で現場指揮を執るのは、APMC社の社員だ。
人によっては正規軍以上に練度が高く、実戦経験も豊富なAPMC社の社員たちなら、ある程度上手くやってくれるだろう。
演説を終えて去るザルノフらの背中には、大きな拍手が浴びせられている。
うるさいまでに壮大なその音が、シャーナには随分と虚しく聞こえた。
そのまま講師用宿舎に戻ったシャーナたちは、武器や機密資料などを回収あるいは処理すると、そのまま宿舎の隣に停めてあるバンへと乗り込む。
訓練場から街までには、アスファルト舗装の道が作られている。
バンはその道を駆け抜け、訓練場を去った。
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