第35話

 その時、シャーナたちは急斜面を横切っていた。


 地面に生えた草で足を滑らせないよう、気を付けながら歩いていく。


 生徒たちは大きい狙撃銃と重いバックパックに難儀しているようで、その上足場も悪く、歩くペースはかなり落ちていた。


 太陽も沈み始めて辺りも薄暗く、この辺りでキャンプするべきかと思い始めた時だった。


「あっ!」


 悲鳴が聞こえ、シャーナは慌てて振り返る。


 生徒たちが立ち止り、斜面の下を覗き込んでいた。


「一人滑落しました」


 初老の男性が、シャーナに報告する。


 シャーナが谷底を除くと、そこには若い男性がうずくまっていた。傍らには狙撃銃も転がっている。


 様子を見るに、どこか負傷しているかもしれない。


 シャーナもある程度の応急処置はできるが、あくまで応急処置だ。鎮痛剤を打ったり骨折の処置をしたりするのは、衛生兵である必要がある。


 一般的な部隊なら、衛生兵がが一個小隊に1人配備されているが、ここにそんな能力を持った人がいるはずもない。


 だが放置しておくわけにもいかないので、とりあえず崖下まで助けに行って怪我の度合いを確認する必要がある。


「私が行くから、皆はここで待機しているように」


 シャーナはそう言って、崖を下り始めた。


 斜面は酷く急で降りるのは大変だったが、山岳地帯での訓練を多く行っているシャーナにとってはそこまで難しくない。


 シャーナは、すぐに男性の元へたどり着いた。


「大丈夫ですか?立てますか?」


 シャーナが呼びかけると、男性は片足を押さえながら立ち上がることを試みる。


 表情が、痛みをこらえるように歪む。


 足を捻っただけかもしれないが、そこまで痛むようなど骨折している可能性もあるな。


 男性はしばらく四苦八苦して、最終的に狙撃銃を杖代わりにして立ち上がった。


「それじゃあ行きましょう」


 シャーナは、男性が転落しないように気を付けつつ斜面を登る。


 だが、負傷者を連れているせいで、斜面を登り切るのに20分近くかかってしまった。


 すでに日は落ちて、これ以上進むのは難しい状況だ。


 シャーナは、無線でサリアに状況を報告した。


 必要ならばガーランを派遣すると提案されたが、シャーナは忙しいだろうと思って断る。


「仕方ありません。今日はここでキャンプにしましょう」


 シャーナはそう宣告して、坂で野宿することになった。


 テントは使わず、防寒は服に任せる完全な野宿だ。


 その間、実戦を想定して交代で警備も行う。


 発生する予定のなかった負傷者を出す事態になったが、実戦でも予定になかった負傷者は出るので、対応の訓練と考えればそこまで悪くないかもしれない。


 シャーナは良い方に考えることにした。


 男性の足に添木をして、包帯を巻く。


「すみません」


 男性は謝ったが、シャーナは特に反応を返さなかった。多少の遅れは発生してしまったが、まだ許容範囲内だ。


 負傷者の処置を終えると、ちょうど野戦糧食の用意が終わったところだった。


 ある程度山に慣れた人がいたため、簡易加熱材を使うための水の確保は、シャーナが特に指導しなくても上手くやってくれたようだ。


「教官、どうぞ」


 60は超えていそうな老人に教官と呼ばれることに違和感を感じつつ、シャーナは地面に座って熱くなった野戦糧食を受け取る。


 メニューは白米とビーフシチューだ。


 シャーナは袋入りのドロドロしたビーフシチューを白米にかける。


 美味しそうな香りが、シャーナの鼻腔をくすぐる。


 シャーナはスプーンで掬い、口に運んだ。


 米はやや硬くあまりおいしくないが、ビーフシチューの具は意外と美味しい。


 生徒たちも喜んで食べている。ビーフシチューは、数ある野戦糧食の中で最も美味しいメニューだからだろう。


 シャーナは空になった袋をバックパックに片付け、軽く横になれるように場所を整えた。


 見張りは1時間交代で2人1組になって行うが、シャーナは一晩中眠らず、不測の事態に備える。


 生徒たちは、横になれる場所を探して眠りについた。


 最初の見張りを任じられている生徒は、周囲を確認できる場所で狙撃銃を構え、警戒訓練にあたっている。


 シャーナは狙撃銃を抱き抱えるように座った。


 辺りは真っ暗だが、見張りの生徒には暗視装置を渡してある。


 シャーナもヘルメットに単眼の暗視装置を付けていたが、充電をあまり減らしたくないので、今は電源を落としていた。


「少しいいですか?」


 突然後ろから話しかけられて、シャーナは慌てて振り返る。濃い闇のせいで、人のような影しかそこには見えない。シャーナは暗視装置の電源をつける。


 そこには、60代ほどの老人が立っていた。


 訓練開始から随分と手際が良く、山に慣れた感じのあった老人だ。


「はい。なんでしょう?」


 シャーナは聞く。


「あなた、アトラ連邦の軍人ですよね?」


 老人は単刀直入に切り出した。シャーナは狙撃銃を構えようと思って、やめた。


 殺したら、それはそれでいらない問題を発生させそうだし、何よりシャーナが今持っている狙撃銃には減音機を付けていない。


 発砲音が鳴れば生徒は間違いなく起きる。死体を見られたら、最悪この場にいる全員を口封じしなければならい。


「いいえ。何かの勘違いでは」


 シャーナは、とりあえず否定した。一応シャーナは、ザルカ帝国陸軍の元狙撃手という設定だ。


 いくら『平和を愛する会』とか言いながら武力蜂起をしようとしている胡散臭い団体でも、アトラ連邦にいいイメージを持っている可能性は少ない。


「そうですか。では、なぜ我々の支援を?」


 老人はシャーナに聞いた。暗視装置の淡い視界では、表情が読めない。


「それは、私たちがあなたがたの理念に賛同したからだと言いませんでしたか?」


「いくら退役しているとはいえども、元軍人がザルカ帝国内での武力蜂起をよしとする可能性はゼロに等しい。とすると、あなた方はザルカ帝国で武力蜂起を起こしたい組織に所属しているとしか考えられない」


 老人の口調は終始穏やかだったが、シャーナの背筋には冷たい汗が流れていた。


「もちろん、アトラ連邦と関係がなくそういう団体があってもおかしくはない。ですが、1000人分の銃器を平然用意できる規模の団体となると、数は限られてくる。そして、そんな団体の中で最もザルカ帝国を滅ぼしたいのは、アトラ連邦の諜報機関ではありませんか?」


 最初こそ優秀な犬がいて助かった程度の認識だったが、どうやら従順な犬たちに紛れた狼だったようだ。もう撃つしかないな。


 可能なら誰かの許可が欲しいが、この状況ではそうも言ってはいられない。シャーナは狙撃銃を握りしめる


「赤いオーケストラという組織を知っていますか?」


 老人が、ふと話題を変えた。


「赤いオーケストラ?」


「はい。ザルカ共産党が政権を奪取するために結成した特殊部隊で、現在は主に非合法戦を担当しています。あの革命の日にザルカ帝国首都官庁街を制圧したのも、その組織です」


 シャーナは素早く立ち上がると、銃口を老人に向けた。


「貴様は何者だ?」


 丁寧さも殴り捨て問う。


「私は大したものではありません。ただ党に殉じるだけの駒です」


 全てを語られなくても、するべきことは分かった。


 シャーナは迷いなく引き金を引く。


 老人は銃口の動きを見て体の軸をずらす。弾丸は虚空を通り過ぎ木を穿った。


 シャーナは無線機のマイクを口元に寄せる。


「こちらシャーナ。裏切り者が出た。現在交戦中。支給援軍をもと」


 老人が狙撃銃を構えている。


 シャーナは首を動かし、ギリギリのところで弾丸を避けた。無線連絡をしているような余裕はなさそうだ。


 シャーナは狙撃銃を構えて撃った。


 老人は、どこに持っていたのか頭に暗視装置を付けている。


 視界があるというアドバンテージはない。


 うるさい発砲音に気づいた見張りが、パニックでも起こしたのか任務を忠実に遂行しようとしたのか、狙撃銃を撃っている老人に銃口を向けた。


 だが彼らが射撃するより、老人が自分を狙う銃口に気づく方が早い。


 老人は木の影に隠れてシャーナの弾丸をやり過ごすと、見当違いの方向に射撃する見張りに照準を合わせ撃った。


 見張りの2人は、心臓を穿たれて即死する。


 発砲の轟音に、眠っていた生徒も起き始めた。


 自分の頭上を飛び交う弾丸に気づいて、反射的に伏せた生徒は助かったが、戦おうと狙撃銃を構えて立ち上がった生徒は、すぐに射殺された。


 何発か射撃した生徒もいたが、真っ暗闇の中ではろくに照準すら定められず、その生徒の頭蓋もすぐに弾丸が穿つ。


 目の前で繰り広げられる戦闘にパニックを起こした2、3名ほどの生徒が逃げ出そうとしたが、その背中にも鉛玉が送り込まれた。


 老人が殺害にためらいを持たないことを、シャーナはすぐに理解した。


 この殺し方から見て、目的は皆殺しか。


「全員、伏せたまま動くな!」


 シャーナはそう指示して、まだ生きている生徒はそれに従った。


 暗視装置を付けていても、暗闇の中で地面に伏せて動かない人間を見つけるのは難しい。そしてシャーナが戦っている以上、老人も生徒の殺害だけに注力することはできない。


 そして老人も、まずはシャーナの排除を優先するつもりのようだ。


 シャーナは木の影に隠れて老人を狙撃する。


 状況はもうザルノフたちにも伝わっているだろうから、救援は必ず来る。


 可能であれば、その前に最大の脅威である老人の排除をしたいが、相手の練度から見てそれは難しいかもしれない。


 いや。やるしかないな。


 できなければ、救援が来るより早く全員死ぬ。


 シャーナは老人の弾丸を地面に伏せてやり過ごしながら、弾倉を交換した。


 中距離の銃撃戦はあまり得意ではない。


 赤いオーケストラとやらがどのレベルの集団なのかは未知数だが、特務機関と同レベルならば、この老人も相当な実力の持ち主だろう。


 勝ち切る自信はない。


 シャーナが顔を出して狙撃銃を構えると、即座に弾丸が飛んでくる。


 生徒たちに支給している狙撃銃があまり質の良くない物だったおかげで、射撃の精度はあまり良くない。


 動いていれば、まず当たらないだろう。


 だが、それはシャーナの狙撃にも言えることだ。


 シャーナが再び射撃しようと木の幹から身を乗り出した次の瞬間、シャーナのあばらに金属製の棒がめり込んだ。


「がはっ」


 いつの間にか肉薄していた老人が、狙撃銃を振りかぶっている。


 気付かなかった。


 シャーナの体は空を舞って、地面に転がった。


 激痛で体から力が抜け、立ち上がることすらできない。吐き気がするほどのめまいがシャーナを襲った。


「人体には数か所の弱点があります。そこに強い衝撃を与えることで、人間は簡単に無力化できる。分かりますか?」


 老人が近づいてくる。シャーナは何とか狙撃銃を構えようとしたが、体を動かそうとするたびに走る激痛で何もできない。視界が歪む。


 老人はシャーナのこめかみに狙撃銃の銃口を当て、引き金に指をかけた。


 発砲音が森に響く。

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