第17話
翌日の早朝、特務機関の拠点となっているアパートの地下では、着々と準備が進んでいた。
黒い机の上には武器弾薬や暗視装置などが並べられていて、私服を着たシャーナ達が黙々と作業を行っている。
シャーナは弾倉に弾薬を押し込んで狙撃銃へと取り付け、軽く点検を行った。
問題なさそうだ。
今回シャーナが持ち込んだ狙撃銃は、分解して小さなケースに収めることができるように設計されていて、人混みや市街地でも容易に持ち歩ける。
普段使っている物ほど撃ち慣れてはいないが、暗殺任務も実行する特務機関ではこの手の銃器を頻繁に使用するので、任務に問題なく使える程度には訓練した。
ここまで早く使う機会が訪れるとは思っていなかったが。
準備を終えた彼らは各々の銃器を入れた鞄を持ち、アパートの前に停めた
特徴のない私服の下には防弾ベストを着用し、ジャケットやコートの内側には拳銃を吊っており、完全に戦闘体制だ。
「職質を受けたら警官を射殺するしかありませんね」
ライツがハンドルを握って、そう言った。
これだけの装備を持った状態で身体検査を受けたら、流石に隠しようがない。
「問題ない」
サリアが静かに答える。
この国の警官が携帯する低威力の回転式拳銃が銃撃戦を想定していないことを、サリアはよく知っていた。
なぜなら、その性能がアトラ連邦警察の扱っている物と同じだからだ。
サリアは警察官時代に自動拳銃を持った犯罪者と交戦し、散々な目にあった記憶を思い出した。
サリアは当時から並外れた戦闘能力があったし、他の警官たちの練度も決して低くなかったが、自動拳銃の連射性能には勝てず、犯人射殺までに5名もの同僚が殉職した。
だが、たとえザルカ帝国警察の苦労が分かったとしても、自国がこれほどの目にあわされている状況で射殺にためらいはない。
「問題は情報調査室ですか」
「連中は自動拳銃を持っているからな。その上、銃撃戦の訓練も頻繁に受けている」
ザルノフがため息をついた。大柄な彼は後部座席に一人で座っているが、車が揺れるたびに頭を天井にぶつけていて窮屈そうだ。
「できれば戦いたくはないですね」
ライツは顔に薄笑いを貼り付けたまま言った。
「連中なら問題ないのでは?」
ガーランは誰に対してでもなくそう聞いた。
確かに情報調査室の職員など、特務機関の戦闘員と比べれば弱い。
万が一銃撃戦になったとしても、容易に対処できるだろう。
遺体は残るだろうが、発見される頃にはザルカ帝国を出国している。
だが、問題はそれだけではない。
「弾がねえんだよ。大規模な銃撃戦ができるほど持ち込めてねえ。現状では施設の襲撃すら厳しい状態だ」
ザルノフが、苦々し気に告げた。
今回の任務は、そもそも大規模な銃撃戦になることが想定されていなかった。
カヤとの密会が漏れたことも想定外だし、情報調査室に捕縛された人間を救出する必要に迫られるなど、考えてもいなかった。
弾丸の持ち込みが多すぎると、情報調査室から目を付けられるリスクが増す。
そのため今回は、弾丸の用意を最小限に留めていたのだ。
慎重に行動し過ぎたのが裏目に出た。
「敵の武器を奪うことも考えるべきですね」
「ナイフもある」
ライツとサリアが、それぞれアイデアを出した。
「そこは臨機応変にやるしかない。無茶無謀も特務機関がこなすべき仕事だ」
ザルノフはそう言って、足元の散弾銃に目線を向けた。
特務機関に入隊する前からAPMC社の社員として世界各地の戦場を巡っていた彼だが、この散弾銃だけはずっと使っている。
特務機関では特殊部隊が使用する高性能な散弾銃も入手できたが、彼は使い続けてきた自分の物をそのまま使うことを選んだ。
なぜか妙に落ち着かない。見慣れた銃器にすら、どこか違和感を感じる。
ザルノフは心を落ち着かせるため、思い出にでも浸ろうと目をつぶった。
昔を思い出すことが、彼はあまり得意でない。
結局、出てきたのは懐かしむことすら難しい朧げな物だけだった。
任務に集中しないとな。
ザルノフは気を引き締め直した。
ザルカ帝国首都近郊に広がる住宅街には、所々に地下交通網への入口が存在している。
首都中心部へ行くためにはそこを通る必要があるが、今回向かうのは首都中心からだいぶ離れた郊外なので、地下交通網は使わない。
地下は防犯カメラが多いので、むしろ使わずに済むと言った方が正しいか。
首都も中心部から離れてくると、高速道路などの交通網も地下から地上に出てくる。
人の少ない農地や集落の交通網をわざわざ地下化する意味がないからだ。
そして人工密集地帯から離れれば、それに比例して防犯カメラなども減っていく。
バンは車通りもまばらな郊外の高速道路に乗って、速度を上げた。
「警察車両が多い」
窓から外を見ていたサリアが、そう呟いた。
シャーナも外を見る。確かに覆面パトカーなどの警察車両がかなり多い。交通警備にしては過剰だ。
何か大きなイベントでもあるのだろうか?
「すでにザルカ帝国の共産党政権は不安定化していますからね。表沙汰になってはいませんが、国内はほとんど戒厳令状態みたいですよ」
ライツが滔々と述べる。バンの中は妙に静かで、その声は響いた。
シャーナは少し驚いた。ザルカ帝国の共産党政権が不安定化しているなんて知らなかったし、ザルカ帝国内のニュースにもそんな様子は微塵もない。
その時点でシャーナは、ライツの言った情報がある程度の機密性を有している物であることを理解した。
「崩壊しないの?」
サリアがそう聞く。
「しませんよ。それをさせないための工夫もしていますし」
ライツは、嘲るように唇の端を釣り上げた。
高い情報通信技術で綿密な監視体制を作り上げ、不穏分子は芽が出る前に刈り取る。
それがザルカ帝国のやり方だ。
シャーナは、その圧倒的かつ冷徹な力に恐怖心を覚えた。
自分たちは、怪物と戦っている。
バンはざっと3時間程かけて、情報調査室の施設に近い山間の駐車場に到着した。
近くの集落には年取った店員が1人いるだけの小さな弁当屋があったので、ライツが全員分の弁当を買った。支払いは現金で済ませる。
おにぎりと唐揚げ、漬物とメニューは素朴だったが、塩気のあるおにぎりと狐色に揚げられた唐揚げがよく合っており、美味しかった。
砂利が撒かれただけの駐車場はあちこちに背の高い雑草が生えていて、長いこと整備されていないことをうかがわせる。
ここから情報調査室の施設までは徒歩で1時間ほどかかる。シャーナたちは車内で着替えを済ませ、太陽が山の稜線に消えるまで待った。
そして夜の肌寒さが迫るころ、紺色の戦闘服を着て銃を持ち、暗視装置の付いたヘルメットをかぶった戦闘員が5人、山へと消えた。
彼らの服にはボディカメラが取り付けられている。
その映像は傍受の極めて難しい特殊な通信ルートで特務機関本部へと送信されている。万が一緊急事態が起これば、本部の職員は即座にそれを知ることができた。
だが緊急事態が起こったとしても、本部にできるのはそれを把握することだけで、何か手が打てるわけではないのだが。
ミス=死というのは、ここが戦場である以上避けられない。
最も、特務機関職員が救援を必要とする事態など、まずあり得ないが。
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