第2話
その兵士は、名前をシャーナ・ペトロヴァという。
開戦による人手不足を解消するため大規模な人員募集を行った陸軍に志願して15歳で入隊、その後3年間従軍し、終戦直前に18歳で消息不明となった。
もう誰も顧みない軍人名簿には、そう記録されている。
戦時総動員体制で入隊した兵士としては、特に珍しくもない平凡な経歴。
だが彼女の軍歴は、普通とは程遠い物だった。
その話をする前に、まずこの戦争について語る必要がある。
忘れもしないあの日、我が祖国アトラ連邦に対してザルカ帝国が軍事侵攻を仕掛けたのは、あまりに唐突だった。
当時ザルカ帝国議会では、前時代的な経済体制からの脱却と完全な平等主義を掲げるザルカ共産党が政権を握り、各所で改革を進めていた。
だが、共産主義が抱える数多くの問題を突破できず改革は失敗に終わる。
結果として景気の低下と貧困の拡大を招き、吹き上がる国民の不満を抑えきれなくなった政府は、他国を侵略してその富を奪い事態を解決することを決定した。
その犠牲となったのが、アトラ連邦だ。
アトラ連邦の地下にはレアメタルをはじめとした膨大な地下資源が埋蔵されており、上手く扱えばザルカ帝国の経済不況を補って有り余るほどの富を算出できる。
その上、両国は先の世界大戦時に剣を交えており、相手国に抱く国民感情はあまり良くない。
何よりアトラ連邦軍の規模はザルカ帝国軍に比べて3分の1に満たず、練度や兵器の性能面でもザルカ帝国軍に大きく遅れをとっていた。
問題があるとすればアトラ連邦が核保有国であるという点だけだが、それについてもザルカ帝国の核抑止力で封じられる。
侵攻のメリットは多く、失敗する可能性は低い。
ザルカ帝国政府が侵攻の決断を下すのは、容易だった。
議会も全て党が掌握した状況下では、誰一人としてザルカ政府の暴走を止めることはできず、軍隊はそれがどれだけ間違っていても命令には逆らわない。
かくしてザルカ帝国軍は党の指導の下作戦を立案し、そして実行した。
帝国軍はまず国境付近のアトラ連邦軍基地に対してサイバー攻撃を仕掛け、それらを瞬く間に無力化した。
デジタル領域で不利に立たされたアトラ連邦軍の国境警備隊と西部方面軍は、大した抵抗もできずに敗走。
兵站を置きざりにする速度で進軍し次々と土地を占拠したザルカ帝国軍は、各地で無差別爆撃や略奪に走った。
大都市では日夜問わず何万発もの焼夷弾が降り注ぎ、反撃する手段を持たない民間人は、ただ逃げ惑い焼き殺されていく。
対するアトラ連邦軍は地下鉄などの地下施設を利用したゲリラ戦を展開したが、膨大なザルカ帝国軍を前にしてその効果は限定的で、各所で殲滅されていった。
戦争の渦中で、シャーナの父は市街地で発生した銃撃戦に巻き込まれて射殺され、母と弟は焼夷弾による市街地空爆で焼死した。
最愛の家族を全員ザルカ帝国によって惨殺されたことが、彼女を戦場へと駆り立てる要因となった。
開戦から数ヶ月して、ようやく指揮系統を復活させたアトラ連邦軍が反撃作戦を開始した時には、すでに西部の広大な領土と資源地帯をザルカ帝国軍に制圧されていた。
半壊したアトラ連邦軍は、特に大きな損害を被った通信網をサイバー部隊により修復させると、国土を南北に分かつアトラ山脈に防衛線を構築しザルカ帝国軍を迎え撃つ。
これが一定の功を奏して、ザルカ帝国の進軍を食い止めることには成功した。
そして戦争は、ただ国力を消耗するだけの膠着状態に陥る。
シャーナが初めて戦場に立ったのは開戦から1年後の事で、彼女が狙撃手として活動し始めたのは、そこから更に一年後のことだった。
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