智慧の魚
大幸寿司、赤牟漁港通り/三重県北牟婁郡赤牟町/日本国
平成33年10月20日 午後1時15分(日本標準時)
「大将のおまかせ、今日のネタは何ですか?」
イノさんが訊ねた。大将はまな板を一拭きすると、ケースを見回した。
「今日ですと……イサキ、アオリイカ、インシュウマス、サンマ、煮タコ、しめサバ、中トロ、
島で初めて食べるものとしては、十分以上に豪華だねえ。
「イヤハヤさん、食べちゃいけないものある?」
食のタブーというものがあるので、一応聞いてみる。
「ノープロブレムです」
イヤハヤさんはサムズアップした。イカとかタコとか入ってるけど、本人が
ちょっと変わったものを頼みたいと思っていたら、プリンが目に入った。ついでだからお子さまメニュー頼んじゃおう。年齢制限書いてないし。
「あとね、えーとね、お子さま寿司のネタはどれですか?」
「えっ……お子さま寿司ですか?」
大将は面食らった様子だった。あと、ほかの4人からの呆れの目線を感じる。
「えーっと……手まり寿司でマグロ、玉子、インシュウマス、イカ、カッパ巻き、あとプリンですね」
それにしても、メニューで一押ししている『インシュウマス』というのはなんだろうか。
「その……押し寿司にもある、『インシュウマス』というのは?」
ミズさんが先に聞いた。
「ああ、すんません、説明がまだでしたね」
大将がポンと手を叩く。
「この島だけにいる、『アカムインシュウマス』というマスがいるんですが、天然記念物なんで食べられないんですよ。それをサクラマスと掛け合わせた交雑種が『インシュウマス』です。養殖センターでは湧き水使って育ててましてね、寄生虫がいないんで生でも食べられるんです」
「えーと、この
ちょっと気になるので聞いてみる。
「いえ、昔はどこの家でも作ってました。ただ、天然記念物になったせいもあり、風習が廃れちまったんですよ。
鱒寿司といえば
「……あ、まだ捌いてないの冷蔵庫にあったな、お目に掛けますよ。寛太、1匹取ってきて」
「うっす」
若い店員さんが、バットに布巾をかけて持ってきた。大将は布巾をとって、中身をぼくらのほうに見せてくれた。生きながらにして生乾きの干物のような顔をした、目の飛び出した歯の尖った魚がいた。エラの後ろには
「……うわあ、『あかむう』だ」
「そうそう、町のマスコットもこいつですね。……まあ、かわいい顔ではないですけど、味は抜群ですよ」
……これをよく生で食おうとしたな、昔の人。
「頭のところ、光るウロコあるでしょう? これが宇宙からの知恵を受け取ってて、『食べると賢い子に育つ』って昔偉い人が言ったそうです」
大将がうやうやしくインシュウマスの頭頂部をこちらに向けてくる。上から見ても、何とも形容しがたい不気味さがある。
「そんな言い伝えがあるんですね」
土屋さんが若干顔を引きつらせながら感心している。
「どうしようかな、僕そっちの押し寿司にしようかな」
「センセイ、これから育つつもりですか」
あー、イノさん酷い。
「その言い伝えは、いつごろからですか?」
意外にもミズさんが食いついた。
「えーっと、『ましこ いんしゅう』先生という江戸時代のなんかの学者が言ったらしいんですが……江戸時代のいつごろだっけか、寛太」
「いや、そういうのは姉ちゃんが専門で……」
……ん?
「お姉さん?」
「ああ、うちの姉ちゃん、図書館で司書やってるんです。自分で郷土史コーナー作ってたはずですから、そこで詳しいことはわかるかも」
そういうガッツのある司書さんはありがたい。あとで寄って――
「ああん?」
座敷から声がした。振り返ると、先ほど船長と呼ばれてたおっちゃんが、こちらを向いていた。
「ましこ先生だろ? 江戸時代の
「江戸時代の東海地震と言えば――
「お、ちっこいあんちゃん、知ってんのか」
おっちゃんがグラスを持った手で、こちらを指差してきた。
「ええ、いささか」
「いいね、話がわかる相手がいるってのは。そのましこ先生曰く……なんだっけな、星の巡り……イセイジンだっけか」
「――
「そうそう、そのセイシンよ。それを見たら地震が来るってわかったんだってよ」
「なんだか信じられない話ですね」
――地震と星の巡りに、なにか関係が?
「まあ昔のまじないとか信じられてた時代の話だからな。地震の前だか後だか……
――背中に、ぞわりとしたものが走った。
「まあオレも詳しいことは覚えてねえけどな! 詳しく知りたきゃ図書館行って梨子堂館長と
おっちゃんは、そう言ってまたビールの手酌を始めた。
「――センセイ? 大丈夫かい?」
しばらく放心状態だったらしい。イノさんが僕の肩を叩いた。
「ああごめん、大丈夫」
「人身御供がショックだったかい?」
「まあ、少しは。民俗学ではよくあることさ」
「そうかい」
若い店員さんが、お茶を入れ直してくれていた。大将は心配そうな顔でこちらを見ている。
「ええと……ご注文を伺ってよいですか?」
「センセイどうする?」
「みんなと同じでいいよ。大将、おまかせを5人前。あ、僕はプリンも」
「へい、かしこまりました」
「タイショー、このお店でドルは使えるですか?」
イヤハヤさんが大真面目に言う。
「イヤハヤさん、
イノさんが言う。
「カタジケナイ」
イヤハヤさんが深々と頭を下げた。
「では、握らせていただきます」
大将は、手酢を付けた手をポンと叩いた。
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