疑念

 文学部棟・民俗学研究室(露木研つゆきけん)、城南じょうなん大学・円谷つぶらやキャンパス/東京都品川区/日本国

 平成33年9月21日 午後0時15分(日本標準時)

 

 晩夏の、思い出したような暑さの昼下がり。


 研究室では、院生の石森いしのもりちゃんが、学会発表の準備に頭を悩ませていた。仮テーマは『ズンドコベロンチョ伝承と環境放射線 自然放射線線量と伝承発生の相関』。うちの大学の物理学科が発表した、地質による自然放射線のマッピングから、伝承が生まれる場所には空間線量と何らかの相関があるんじゃないかということだったんだけど。


「エビデンスをベータ崩壊……? 土壌中のラジオアイソトープとの相互作用による制動放射で発生するエックス線……? あー……うー……」


 ……進捗、ダメそうだねえ。


露木つゆき先生」

「はいはい?」

「コーヒーおかわりください、めちゃくちゃ濃いやつ」

「アメリカンじゃダメ?」

「じゃあ、ちょっと濃いやつ」

「はーい」

 民俗学界隈では「城南大の露木つゆき そう」って言ったら結構名が売れてるはずなんだけどなあ。同人誌即売会コミマでは壁サーになるくらいには知られている割には、当の教え子からはちょっと扱い悪くないかなあ。それに、せっかく豆からいれてるんだから、少しは味わってくれないかなあ。


「砂糖とミルクは?」

「いつもの」

 スティック1本と2つね。なんで覚えてるんだろ僕。

「さっきから頬杖ついてPC見るかコーヒー入れるかしかしてませんけど、露木先生は論文とか発表とか控えてないんですか?」

「んー、こないだ言った例の合同調査が来月」

「準備しなくていいんですか」

「そこは教員として教え子のケアを優先しているのだ」

「夏休み終盤に慌てても知りませんよ」

 あれー? 教師はどっちだっけー?


 ――まあ、 その調査ってのが、あるのかどうかわからなくなっちゃったんだけど。お口チャックと言われてしまったので、教え子にも話せない。本当はその調査のデータも、石森ちゃんの資料になるはずだったんだけど、まだそれを話すことはできない。


 電気ケトルを急速沸騰モードにして、コーヒーメーカーに豆をケチケチせずセットする。


 コンコン、とノックの音。そろりとドアが開く。

「お疲れ様です」

 ゼミ生の本多ほんだくんだった。真面目なんだけどどうも要領の悪い子。ガッツはあるから、フィールドワークには向いてるんだけどなあ。


「取り残しの本郷先生の集中講義どうだった?」

 資料から目を上げずに、石森ちゃんが訪ねる。

「あいかわらず何言ってんのかわかんないです、今回はコーヒーの話……」

 あー、本郷教授まだあのネタ使ってるのか。

「一滴ごとに『美味しくなれよ』って言ってる話?」

「毎年言ってんですか?」

「あのゲジゲジ眉毛ヒョコヒョコ動かしながら、渋ーい良い声でね」

「レポート提出しろって、あの話から何を書けば……」

 例年通りならば、次の講義は日本刀で10センチの鉄柱が斬れるかどうかの『斬鉄剣は存在しうるか』の話になるはずだ。今日よりも悩むことになるだろう。思わず頭から湯気が出てピーと鳴るくらいの――。


 あ、お湯が沸いてた。


「石森ちゃんに頼まれててコーヒー入れるけど、本多くんも飲む?」

 コーヒーのレポートを書くならば、とりあえずコーヒー飲んでから。

「ありがとうございます、すみませんわざわざ……」

 よいよい。師弟関係とはかくあるべきなのだ。

「本郷教授のやつほど美味しくはないから比較しないでねー」

「そんなそんな……」


 ドリップの間、大学当局から来たメールを見返す。赤牟島調査は『無期限凍結』と書いてるけど、これは確実に全面中止になるんだろうねえ。まさかクマが出た程度でここまで厳重な箝口令かんこうれいメールが来るとは思わなかったけど。


 ここまで厳しい文面は、とき以来だ。ファインマンさんは特別だったんだなあと思ったっけ。


 色々調べてたんだけどなあ、熊野灘くまのなだのごちそう。伊勢エビにアワビにサザエ、めはり寿司にサンマ寿司……。


「はいどうぞ、コーヒーですが」

 ふたりの前にコーヒーを置く。無言で砂糖とミルク入れる石森ちゃんと、ぺこりと頭を下げる本多くん。まず香りを楽しんでほしいんだけどなあ。

「そういえば露木先生、今度行かれる調査、三重の離島でしたよね?」

「そうだよ」

「島の名前忘れてしまったんですけど、三重の離島で75年ぶりにクマが出たってニュースになってましたよ」

「クマねえ」

 よく考えてみれば、離島にそんな大型動物が、しかも75年ぶりの目撃? 海を泳いで本土から渡ってきたのだろうか。

「ええ、だいぶ大きくて、2メートルくらいあるとか」

「クマかあ、2メートルかあ……クマ肉かあ」

 泳いできたってことは、身も締まってて、脂ものってるんだろうなあ。

「え?クマ肉?」

「クマ肉って寿司になるかな?」

「――は?」

 本多くんの目が点になっていた。

 いけないいけない、寿司のことしか考えてなかった。


 煮詰まっていたはずの石森ちゃんはといえば、資料を放り出してスマホを眺めつつ、コーヒータイムを満喫していた。


 締め切り間に合わなくても知らないぞー、と言いかけたそのとき。


「あー!!!」


 すっとんきょうな声をあげた。


古河ふるかわ監督の新作、また延期だって」

「また? あ、本当だ、もう3度目ですよね?」

 本多くんも、スマホを開いて、同じようなニュースを確認したようだった。


「その古河監督ってのは、映画監督かなんかなの?」

 試しに聞いてみる。

「アニメ映画の監督です。昔はくらーい恋物語ばっか撮ってたのに、最近は民俗信仰とボーイミーツガールをうまく絡めた作品が多いです」

 ほう、民俗信仰。

「このあいだ、一番のヒット作がハリウッドでリメイクされてました。『巫女の家系で政治家の娘』が『ネイティブアメリカンの末裔で軍人の娘』になってたのは笑いましたけど」

 ああ、あの少年と少女の入れ替わりのやつか。神楽舞がちゃんとしててちょっと驚いたのを覚えてる。

「今回の舞台は三重県の離島だとか。キービジュアル発表された直後にSNSで場所特定されてて。島の名前なんだっけ……」

赤牟島あかむしま

「それ!」


 赤牟島。

 ――つい先ほどまでメールで見ていて、調査計画案すら提出した島の名だというのに、何故か背筋にぞわりとした感覚が走った。


「いままでは空模様を描くことが多い監督でしたけど、今度は海がテーマだったから話題になって。熊野灘一帯にはがあるから、キービジュアルにあった光の巨人はたぶんそこから取ったんでしょうね。あと、赤牟島には『海の向こうの都』みたいな信仰があるらしくて、それも裏テーマなんだろうって考察サイトが盛り上がってて」


 熊野信仰における補陀洛ふだらく渡海とかい。海の彼方の浄土へ向けて、僧侶が二度と帰らぬことを前提に、四方を閉ざされた舟で沖へ出る捨身行しゃしんぎょう。一応は民俗学者の端くれとして、知識としては持っていた。だが、赤牟島にかつて存在した信仰は、その修行と形式は似ているものの明らかに異質なものであることは、資料での予備調査から感じ取れていた。


「なんかロケハンとスタッフの不足が原因で延期らしいです。まとめサイトだとスタッフが次々と発狂してるなんて話も」

「まとめサイトなのが信用性ゼロだけど、今までの作品並みに背景を書き込んで2時間超え、だったら発狂もするかもですねえ……」

 その監督のロケハンも赤牟島から断られたのだろうか。民俗信仰をテーマにする監督――まさか、例の神社の神事となにか関係が?


「いけね、3限行ってきます。先生、コーヒーごちそうさまでした」

「まだ補講? 今度は何の?」

「考古学です。『古代アッシリア文字体系』。桜子先生の」

「ああ、沢渡教授の。美人だからって取ったでしょ」

「女傑ですよ、あの人……。研究室の窓開けっぱなしなのって、部屋に置いてる魔よけの実証実験だとか」

「旅に出た昔の恋人がいつでも戻ってこれるように、って聞いてるけど」

「あのツタ登ってですか? いってきます!」


 彼ら2人の会話は、ほとんど頭に入ってこなかった。何かを隠しているのは、大学側か、赤牟島当局か。――それとも、

 大地震の続発と、数十年ぶりの野生動物の出現と、軍事演習。その全てが偶然同時に起こるものだろうか? 聞き取り調査だけならまだしも、資料の貸し出しすら協力を得られないような『神事』とは? そして、大学当局がそれほどまでに関与を否定しようとする理由とは?


 どれほどの時間、考え込んでいたのだろうか。石森ちゃんの声で、ふと、我に返る。

「先生? せんせー? せーんーせーいー? 3杯目なんでそっと出しますけど、おかわり……」

 視界の端で、時計が午後1時を指したのが見えた。


 ――その時だった。

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