水戸黄門の娘 万姫

笠原源水 

第一章

第1話 当主にハリセン

「隠れても無駄よ!あきらめて出てきなさい!」


どす どす どす どす

廊下を歩く音が屋敷中に響き渡る。


スパーン スパーン

着物のすそをたくし上げ、そではタスキ掛けにして手製のハリセンを肩に担ぎ、次々とふすまを開け放していく。


「奥方さま・・」

中庭の茶室に向かおうとした時、番頭の惣兵衛そうべえに呼び止められた。

「今忙しいの!後にしてくれない?」

「ご当主を『離れ』で見た者がおります」

「・・!父上の所に逃げたわね」


 水戸藩の豪商 鈴木家に嫁いで三年目。

私の父は水戸黄門で知られる徳川光圀という元藩主で、今は常陸国ひたちのくに 西山御殿にしやまごてんで隠居生活を送っている。

時々こうして娘の私に会いに来てくれるこの屋敷には、黄門さま専用の書院がある。


すぐさま父上の書院へやに向かった。


「父上!市十郎いちじゅうろうさんを見ませんでしたか!」

スパーーン

襖を勢い良く開けた


「これこれ、そう怒るでない。夫婦喧嘩は犬も食わぬと言うではないか」

「いいえ!浮気を許すつもりはありません。江戸に行くたび花魁おいらんと淫行した挙句、今回は総あげして小判をバラ撒いたそうじゃないですか」


「これには訳が・・・」

父上の背中に隠れていた当主(旦那)が恐る恐る顔半分を出して、言い訳しようとする。


当主の襟首を掴んで、父上の背後から引きずり出した。

「言い訳無用!今日こそその浮気癖を叩き直してあげます」

「まてまてまて!まり、暴力反対!」

バッシーーーーーン

フルスイングで旦那の尻にハリセンをかました。



 時をさかのぼること、一ヶ月前 江戸吉原。

徳川綱吉が将軍になってから、経済は悪化する一方で江戸には野良犬が溢れかえっていた。

生類憐しょうるいあわれみの令】である。


「オイオイ、どうしたってんだ!どいつもこいつも青っ白い顔して」

藍色の結城紬ゆうきつむぎに身を包んだ市十郎が、同じような派手な小袖の男数人を連れて吉原の大門を大股で入ってきた。


「ご当主、野良犬には気をつけてくだせえ」

使用人の平吉が、こちらに向かって牙をむき出して唸っている野良犬に、中腰の姿勢で威嚇している。


「そうですよ蹴ったりしようものなら、ご当主が牢にぶち込まれますからね」

 番頭の惣兵衛が、荷卸ししたばかりの紅花の帳簿を確認しながら隣を歩いている。

背後にいる他の使用人兼護衛は、犬が近づいて来ないように羽織で市十郎を囲むようについて来る。


「これはこれは、鈴木家の旦那さま。ようこそおいでくださいました」

馴染みの遊郭主人が手もみしながら近づいてくる。


「久しいな、今日もよろしく頼むわ。しかし...しばらく来ないうちに何だいこりゃあ。覇気がねえったらありゃしねえ」遊郭主人に言い放つ

「なんせこのご時世ですからねぇ、将軍さまのせいですわ」


市十郎は左手の平にポンと右手を打つ

「しかたねえ、今日は俺のおごりだ!オヤジ!くるわ遊女おんな全員座敷にあげろ」

総あげのことだ。


「さすが旦那さま!羽振りのいいことで」


遊郭主人は使い走りの小僧に耳打ちした。

「おい!番頭に伝えろ」

小僧は軽くうなずくと、廓に走って行った。


市十郎も小鼻を膨らませて

「惣兵衛、札差ふださし行って千両借りてこい!」

「いいんですか?帰ったら奥方さまに𠮟られますよ」

「バレたらそんときはそんときだ」


 座敷では、馴染みの花魁おいらんしゃくをしてもらいながら手元の千両箱から小判を投げている。

それを我先にと拾い集める遊女おんなたち。阿鼻叫喚あびきょうかんさながらである。


「ねえ、旦那。あちきには何もないんでありんすか」

花魁の夕凪ゆうなぎは徳利を盆にのせると脇に寄せ、禿かむろに目配せした。


 ススッと禿が酒の盆を下げると、夕凪は指先を市十郎の前合わせに這わせる。

「何だ夕凪、小判が欲しいのか?それとも俺か?」

「水戸は遠いでありんす・・もっと頻繫に顔を見せて欲しいでありんす。あちきは、旦那の色ですから、今宵はでたっぷり遊ばせてもらうでありんす」


 松とは男性の象徴を表現した当時の流行り言葉である。(諸説あり)








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