第11話 又鬼

 人より影が濃いような少年に興味を駆り立てられた笠井の中では、里山のいただきにまで登って戻るミッションは、とっくに隅に追いやられている。


 笠井は一度目星をつけたものから、視線を外せなくなる癖がある。

 そうして狂気のように駆り立てられていようとも、また別の、あらたな『まと』が見つかると、そちらに一瞬にして気持ちを持って行かれたりもする。


 目下のところは狩った鹿を引きずって、笠井が今いる川岸の対岸にある林道へ向かい始めた彼だった。

 笠井が無謀にも、飛び石伝いに雪解け水の沢を渡りかけた時、肩越しに彼が振り向いた。


「そっち側から下っても、こっち側から下っても、辿り着くのは同じ里です。これはが泊まってらっしゃる宿に持ち込む鹿ですから、どのみち里で見れますよ」


 呆れたように告げられて、笠井はその場に踏み留まる。

 彼は東京から来た都会人が野生の鹿を物珍しがっているのだと、決めつけようとしていたが、そうではない。

 笠井は胸中で咄嗟に否定した。

 ひきつけのような瞬きをくり返し、両手が虚空を掻いていた。けれども彼の眼差しは剣呑な光を放っている。

 

 ついて来るなと告げている。

 宿に戻れば会えるなら、危ない橋をここで渡るまでもない。それなのに。


「それじゃあ、後で」


 抑えきれない執着が未練がましい声になる。声をかけると同時に彼は顔を背けて歩き出す。どんどん彼は遠ざかる。

 聞こえていたのか、聞こえていない振りをしたのかは、背中だけではわからない。

 

 火縄銃を斜めに背負っていなければ、彼の方こそ雪解けを待ち、都会から、ちょっと登山に来ただけのスタイリッシュな出で立ちだ。

 

 又鬼マタギだなんて思えない。

 

 笠井は肩を落として嘆息した。

 散歩の意味すら失って、下りて来た斜面を這い登り、林道まで来た。そして笠井と彼が下山を始めた頃合いに、滝の上まで一人の男が仰向けに漂い、流され、頭から滝壺に落ちていた。


 滝壺で滝に打たれて飛沫を上げつつ回転している男の首には、一文字の切り傷が深く刻み込まれていた。

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