第10話 毛虫のような笠井和正

「どこかで会ったことがある?」

「いいえ、お会いするのは初めてです。村に逗留とうりゅうしていらっしゃることは存じてましたけど」


 慇懃無礼いんぎんぶれいな口振りで答えた彼は足元の鹿の下顎に、小刀を何度か突き立てた。

 そして下顎に開けた穴に縄を通し、黙々と固結びをする。


 小刀は沢で軽く洗われて、手拭で水気を拭き取られ、腰に巻かれたベルトの鞘に差し込まれた。

 どうやら、その縄を引きづりながら鹿を運搬し、山を下りて行くらしい。

 笠井は少年の手際の良さに、しばし見惚れた。


「狩猟っていうと、獲物の脚を束にして括って運ぶのかと思っていたよ」

「獲物をそんな風に丸くして引きずったこと、ありますか?」


 失笑した彼に上目使いに見つめられ、笠井は喉を詰まらせる。二人の間に川があり、彼がいるのは対岸だ。水面から出た石を伝えば、向こう岸に渡れないことはなさそうだ。けれども途中で滑って転倒するに決まっている。

 雪解け水に全身浸かり、ずぶ濡れになんてなりたくない。


 そして自分がそうなろうとも少年は、一瞥だけして一人でさっさと下山する。

助けてもらえそうにない。その確信が胸に湧く。


「円形にした物体を、引きずりながら坂道を下っていったらどうなるか。考えてみればわかるでしょう? 何人かで棒で担いで下りる訳じゃないんですから」


 少年は言いながら鹿に繋いだ縄を肩に乗せ、うつ伏せの鹿を引っ張った。そのまま山を下ろうとする彼。笠井は引き止めたくなっていた。声を張り、大声で。

 住まいは集落のどの辺り?

 名前は? 歳は? いつからマタギをしているのかと、頭の中は質問事項で一杯だ。

 そして、どうして『笠井和正』を毛虫でも見るような目で見るのだろう。

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