第8話 怪しい男

 少年は黒のロングパンツにポケットのたくさん付いた狩猟ベスト。

 その上にフードの付いた黒の上着を羽織っている。足元は、おそらくスパイク付きの登山靴。ニット帽で耳まで覆い、足元に大きなリュックを置いていた。

 

 雪の斜面を照り返す日射しを抑える色付き眼鏡を取り外し、突然姿を現した異形の男に、彼はじっと視線を凝らしてきた。


「大丈夫。怪しい者じゃないんだ。僕はこの山の麓の宿に泊まっている小説家なんだ。散歩をしてたら、たまたま沢で……」


 弁明しかけた笠井は言葉を呑み、彼の右手を見た。鮮血にまみれた刀身の長いナイフを握っている。続いて彼の足元へ、再び笠井は視線を移した。


 ぐったりとして動かないカモシカが横たえられ、鹿から流れる血の筋が滝壺へと流れ込み、下流に流れる。どうやらこれが『答え』らしい。


 伝統マタギは、狩猟の仕方を親から子へと口伝えで伝承する。

 そのため、尋常じんじょう小学校に入った頃から親に従い、火縄の村田銃むらたじゅうの撃ち方を習い、ウサギやテンを狩ったりする。

 彼もおそらくマタギだろう。


「すごい鹿だね。大物だ。ちょっと近くで見せてもらっていいかな?」

 

 笠井は努めて朗らかに言う。

 物珍しさに気を引かれ、訊ねたそばから河原を進む笠井を少年は微動だにせず注視する。川を挟み、目鼻立ちがわかる距離まで近づくと、思わず歩みが遅くなるほど眉目秀麗びもくしゅうれいな顔立ちだ。


 顔が小さく、柳眉やなぎまゆに奥二重の怜悧な双眸。

 鼻筋は涼やかに通り、鼻梁も高い。つんと尖った上唇が愛らしくもあり、妖艶でもある。

 また、これだけ日射しに照らされ続けるマタギにも関わらず、白磁はくじのように色白だ。そのぶん、引き結ばれた唇の赤みが妙に際立った。


 これほどまでの美少年も珍しい。

 笠井が今まで出会った中でも群を抜いて美しい。

 そんな彼が鮮血の滴るナイフを握っているのが、不思議と画になる。笠井の興味は彼が仕留めた鹿ではなく、彼本人に移っていた。

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