第16話 娘の本名を聞いた
まだ冬期には早いが、夜風がやけに寒く感じるのはシーヌの発言を聞いたからだろうか。
「前世の記憶を思い出した!?」
「うん。年齢も、名前も、家族構成も、どうやって事故に遭ったのかも全部」
彼女の中で何が起こっているんだ。
シーヌの転生は、俺やアーミィと同じで現実世界で肉体が死亡していることが確定しているもののはずだ。
それなのに、神谷と似たようなタイプに切り替わった。
考えられる可能性は一つしかない。
「向こうの世界でまだ生きているんだ。いや、息を吹き返した、というのが正しいのか」
「そういうことなんだ。じゃあ、お別れが近いってこと?」
寂しげに揺れる瞳が向けられた直後、その目には動揺の色が濃くなった。
「なにそれ!? どういうこと!? シーヌ、ちゃんと説明して!」
ドレスの胸元を握りしめ、自分の中にいるもう一人の自分を叱責する。
そんな不思議な光景が目の前に広がっていた。
「リム、今日は二人の晴れ舞台だ。この話は後日ゆっくりとしよう。フロアに戻るから顔を作り直しなさい」
「……今夜、絶対に聞くからね」
恨み言のように呟いたリムは、いつもの無表情に僅かな微笑みを浮かべ、俺のエスコートでバルコニーを出た。
◇◆◇◆◇◆
婚約式から数日後。
俺とリューテシアは妃教育中であるリムラシーヌの元を訪れ、話を聞くことにした。
「わざわざ王都まで来てくれてありがとう。じゃあ、話すね」
覚悟を決めたように表情の硬いリューテシアの手に自分の手を重ねる。リューテシアは手のひらを返して握ってくれた。
「私は『アオバラ』、『アオバラII』、『アオバラIII』を最後までプレイした、ただの一般人。事故に遭ったのは下校途中に立ち寄ったお花屋さんを出た直後だった」
リューテシアには俺が、リムにはシーヌが、今生きている場所がゲームの世界だと説明してあるとはいえ、なかなかに信じられない話だ。
「たまにね。夜寝ていると向こう側から聞こえるんだ。私の本当の名前を呼ぶ声が……」
声が震え、堪えていた涙があふれて頬を伝う。
「誰があなたを呼ぶの?」
優しく問いかけるリューテシア。
まるで、自分が聞くべきだと使命感すらも感じさせる凛とした声だった。
「……本当の、お母さん」
「そう」
その一言は儚くも、嬉しそうで、リューテシアがどれだけ優しい女性なのか改めて噛みしめた。
「母の日だったの。私が事故に遭った日。私、お母さんにカーネーションを贈りたくて。それで……」
しゃくり上げながらも必死に訴えかけるリムラシーヌは見ていられなくなる。
今すぐにでも「もういい」と抱き締めたくなる衝動を抑えた。
それはリューテシアも同じだったようで、繋いだ手に力が入っている。
きっとリムも同じなんだ。
リムラシーヌの手が小刻みに震えていた。
「うちお父さんいないからさ。お母さん、一人ぼっちなんだよ」
ついにリューテシアは立ち上がり、取り出したハンカチでリムラシーヌの涙を拭った。
「戻りたくない。みんなと離れたくない。でも! 戻らないと。お母さん、一人にしておけないよ」
これほどまでの苦渋の決断があっただろうか。
それも十代の少女に突きつけるなんて。
「嫌! シーヌとお別れなんて嫌! ずっと一緒にいてよ! 二人でリムラシーヌなんだから!」
表に出てきたリム。
彼女が啜り泣きながら感情を爆発させている姿なんて初めて見た。
昔からわがままを言わない子だった。
その分、シーヌがよく甘えていたっけ。
昔を懐かしむように、コロコロ人格を入れ替える我が子を見つめる。
俺も覚悟を決めて、重い口を開いた。
「話してくれてありがとう。それなら、戻らないとな」
「お父様!? お父様はシーヌが遠くへ行っても構わないと言うのですか! シーヌが可愛くないのですか!?」
「馬鹿を言うな。二人とも俺の可愛い娘だよ」
少しでも気を抜けば涙がこぼれそうで、刺々しい言い方になってしまった。
「俺が必ずあっちの世界に帰してやる。安全は保証できないが、そこは勘弁してくれ」
「やっぱりパパは何でもできるんだね」
あははっと屈託のない笑顔を向けられ、いよいよ涙腺が……。
「まさか。何でも出来るならわざわざ二人を危険な目に遭わせないよ」
シーヌの笑顔が陰り、窺うように対面に座る俺たちを見つめる。
「まだパパ、ママって呼んでもいいの?」
「当たり前だろ」
「当然よ」
「ありがと。二人とも大好きだよ。もちろん、リムも、にぃにぃズも」
そう言ってまた涙を流した。
「本当の名前を聞かせてくれないか?」
「りむら……
「
その日の夜。
俺が寝室でぼーっとしていると、隣に腰掛けたリューテシアが肩に頭を預けてきた。
「昼間のお話、ウィル様は納得できるのですか?」
「難しい質問だな。こういう日が来るとは思っていなかったけれど、
「私は納得できません。あの子は私たちの子なのに」
リューテシアが控えめに怒っている。
ただ、その怒りの矛先をどこに向けるべきなのか分からない。
母だからこそ、渦巻く矛盾した感情に振り回されている。そんな感じだ。
「どこにいたって変わらないよ。たとえ、
「もちろんです。……リムは平気でしょうか」
「平気ではないだろうね。でも、折り合いをつけるよ。彼女もまたリュシーに似て強い子だからね」
リューテシアを抱き寄せ、そのままベッドに倒れ込む。
目の前にあるリューテシアの顔を眺め、そっとキスをした。
「今日はウィル様の腕の中で眠りたいです」
「こんな場所でよければ」
「ここが世界で一番安心できて安全ですから。大好きです」
腕を枕にして体を丸めるリューテシアを抱き締めたけれど、二人ともしばらくの間は眠れなかった。
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