第4話 色々たしなんでみた

 本格的に剣術を習い始めてから、初めて父親の剣を弾き飛ばした。


 父は騎士などではなく貴族男子として剣術を嗜んでいるだけに過ぎない。

 それでも腕は立つ方らしく、執事長によると学生時代には王立学園で毎年開催されている剣術大会で優勝しているとか。


 そんな父と体格差のハンデを背負いながらも互角に渡り合っているのだから、これは大したことなのではないか?


 そんなことを思いながら、剣を拾う父の背中を見つめる。なんとなく悲しそうな気がした。


「す、すごい。お父様から一本取るなんて」


 そう感嘆の声を上げたのは一つ年下の弟――トーマ・ブルブラックだ。


 俺が破滅しないために、つまり煩悩を消し去るために勉学に励むようになって以降、弟からの尊敬の眼差しが半端ない。


「さすが兄さんです。あんな切り返し、誰にもできません!」


 興奮気味に駆け寄り、手ぬぐいを渡してくれるなんて、まるで部活中のワンシーンを切り取ったみたいだ。


「ウィルフリッド」


 父からの低い声に体が強ばる。これは条件反射だ。

 過去の俺は相当、父親が怖かったのだろう。体に染みついているせいか、今の俺でも抵抗はできない。


「よくやった。剣術の達人を雇うことにする。大切な人を守れるようにこれからも精進しなさい」


「はい!」


 父がとぼとぼと屋敷へと戻っていく。


 俺は身の引き締まる思いだった。


 ゲームに登場するウィルフリッド君がどんな人物として描かれているのか知らないが、彼はただ父親に認められたかっただけなのだ。


 幼少期から「何でもできて当たり前」と育てられた彼は父親を恐れ、逃げて、性格が歪んでしまった。


 病気の母だけでは彼の心の傷を癒やすことができず、弟からは軽蔑され、妹とは顔も合わせてもらえない生活を送ることになってしまっていた。


 使用人たちからも腫れ物を扱うような態度を取られ、どんどん孤独になっていった。


 そんな心理状態の時に婚約者であるリューテシアを紹介されて、まともな対応ができるはずがない。


 お疲れ、ウィルフリッド君。

 俺がきみに代わってそれなりの男になってやるからな。


「兄さんなら、剣術大会で優勝できますよ!」


 青みがかった黒髪の弟は俺から見ても整った顔をしている。

 母によく似ていて、中性的な顔立ちだから女の子と言われても信じてしまいそうだ。


「それは言い過ぎだよ、トーマ。僕はまだ子供だ。もっと鍛錬しないとね」


「剣術だけでなく、異国の語学や芸術、それに魔術まで習われて、更に高みを目指す姿はあまりにも眩しいです!」


 おだてすぎだけど、最近は魔術にも手を出すようになったのは事実だ。


 書庫にあった魔術の本を読み漁り、誰の体にも魔力というものが備わっていることを知った。

 あとは、それを使えるかどうかだ。


 魔力の練り方、呪文の詠唱、魔術のイメージ。それらを絶妙に組み合わせられれば魔術の発動が可能になるらしい。


 さすがはゲームの世界だ。魔術なんて現実世界にはないものに憧れるを持つことは仕方のないことだろう。


 唯一、残念なことはそんなに簡単に魔術を使えないということだ。

 ある程度は独学で、限界を感じれば父に願い出ようと考えていたりする。


「兄さん、もう一度お願いします!」


 父が屋敷に戻ってからしばらくトーマと模擬剣での打ち合いをしていたが、そろそろ時間だ。


「この後、リファと約束があってね。また今度」


「そうでしたか……」


 残念そうにしょげられては、後ろ髪引かれるというものだ。

 しかし、可愛い妹を待たせるのも気が引ける。


 汗を拭いたタオルを執事に渡して、妹の部屋がある屋敷の西側へと繋がる廊下を進む。

 リファの部屋だけは俺たちの私室から離れた場所にある。意図的にそうしているらしい。


 ウィルフリッド君、どれだけ嫌われていたの?

 それとも将来的に妹に手を出すとでも思われていたの?


 屋敷の西側は女の園だ。

 どこを見てもメイドや侍女しか居ない。


 俺が颯爽と廊下を歩けば、彼女たちは仕事中の手を止めて頭を下げてくれる。


 簡単な労いの言葉をかければ、にっこりと微笑み返してくれるのだけど、こんな風に接してくれるまでには時間がかかった。


 最初はゴミでも見るような目で俺を見下ろし、唾を吐き捨てる勢いで立ち入りを拒否された。

 好感度が下がりに下がった所からスタートした俺のセカンドライフだが、挨拶から始め、地道に好感度稼ぎを続けた。


 ウィルフリッド君は抜群に記憶力が良い。

 屋敷で働いている使用人の名前は全て覚えているし、どんな態度を取っていたのかも鮮明に思い出せる。


 その度に「俺の馬鹿野郎!」とがっくりするのにはもう慣れた。


 一度嫌いになったら、二度と目を合わせてくれない女性ももちろんいたが、それは仕方がないと割り切った。


 我が家は給金が良いらしいし、その分の働きはしてくれているのだ。


 ガキ相手に大人げないな! とは思いつつも俺が大人な対応をすることにした。


「お待たせ、リファ」


「お兄様!」


 ノックして扉を開けば、愛しの妹君が声を弾ませた。

 丁寧にスカートを押えながら椅子から立ち上がり、カーテシーをする姿は惚れ惚れする。


 本当に俺よりも年下か?

 女の子の方が精神的な成長は早いと聞くが、いくらなんでも出来すぎではなかろうか。


 リファ・ブルブラック、俺の二つ年下の妹。

 赤みがかった黒髪を三つ編みにする彼女は人懐っこく微笑み、椅子を勧めてくれた。


 俺が転生するまでウィルフリッド君はこの子との接触を禁止されていた。


 なんでも一度だけ泣かせたとか。


 ウィルフリッド君に悪気があったわけではなく、言葉の綾というものだが、日頃の行いが悪く誤解されてしまったのだ。


 後から聞いた話だが、リファも別段気にしていなかったようだ。ただ、父とリファの侍女が俺たちの接近を禁止にした。


 妹と接点を持つきっかけになったのは、まさかの花だった。

 リューテシアと過ごした庭園に咲く花の種類の多さを確かめたくて歩いていると、向こうから話しかけてくれたのだ。


 今では花だけでなく、編み物や刺繍、薬草のことなど貴族令息の知らないこと、というか不要な知識を教えてくれるようになった。


 最初はおしゃべり好きで、教えたがり屋の妹が可愛くて、うんうんと頷いていたが、よく考えると何も分からない世界で不要な知識など無いことに気づき、自分から学ぶ姿勢を取るようになった。


 最初こそ、リファの侍女たちはよい顔をしなかった。


 しかし、お母様の一言で事態は一変した。

 お父様は快く思わないからこっそり学びなさいね、と言ってくれた時の慈愛に満ちた瞳は記憶に刻まれて忘れようがない。


 それ以来、俺が貴族令嬢のたしなみを身につけていることは父や弟には極秘事項になっている。


「そろそろ、夏の花を庭園に植えようかと思います。お母様もきっと喜ばれますね」


「それはいい。また一緒にお部屋に飾りに行こうか」


「はい!」


 病に伏せる前は屋敷内の庭園は母が手入れしていた。

 季節ごとの花を植え、屋敷中に花を生けていたようだ。


 今ではリファが中心となり庭園を守っている。


 婚約者殿も気に入っていた庭園だ。俺も僅かながらに助力できればと手伝っているが、庭師のように上手くはいかない。


 俺たちの家庭教師代が高くて、庭師を雇う余裕がないらしいからやれることはやろう。

 何より単純作業は没頭できるから良い。編み物も草むしりも煩わしいものから逃避できる。


 これも全ては煩悩を消し去るための修行なのだ。

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