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巨海えるな

第1話

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暗闇の中で、小さなオレンジ色の光が点る。

 その光が視界に入った時、反射的にその男は子供の頃の夜空に見たUFOを思い出した。 誰に言ってもそんな話は信じてもらえなかった。当然だ、子供の夢話だと一笑されて終わる。だが、あの時の自分はそれを信じて貰いたかったのだ。

 今思い返すと、それが本物だったのか、偽物だったのか、どちらでも良かったのかもしれない。そうだ、あれは確か幾つの頃だったか……

「ふーっ」

 そんなセンチメンタルで、ノスタルジックな回想を制止するように、不快な煙が男の鼻を横切った。

「タバコ消せ」

 男はセンチメンタルの世界へ誘い、ノスタルジックな現実に引き戻してくれた張本人である隣の人物に言った。

「失敬。わっちはニコ中って奴でして、こいつがなけりゃどうにも落ち着かないのでありんす」

「目立つんだよ。煙が」

「あららこれまた失敬。ニコ中って言っても某動画……」

「来た!」

 男が叫ぶと花魁言葉の人物が黙った。そして足元の先から聞こえるエンジン音。

『パスタ、キニC! そっち行ったよ!』

「了解」

 耳にはめたインカムから報告が飛ぶ。パスタ、キニCと呼ばれた2人の間に緊張が走る。2人が息を殺して近づくエンジン音に耳を傾ける。街の一角にある錆びれた雑居ビルの非常階段の3階付近で2人は、足元の道路に侵入してくる一台のバンが予め決められたポイントに差し掛かるタイミングを待った。そのポイントとは丁度自分達の真下で、タイミングとはそのポイントにバンが通る瞬間。

「パスタ、ほんとにやるんでありんすか? 幾らなんでも無茶じゃ……」

「黙れ。なんでも出来るからボスなんだ……よ!」

 パスタと呼ばれた男は、その言葉を言い終えると同時に7メートルはあろうかという高さの非常階段からなんの躊躇もなく飛び降りた。

「あんらぁ~、涼しい顔してとんでもないこと平気でやる」

 キニCはドスンという音を尻で聞きながら膝に置いたノートパソコンの画面を開く。

「わっちにゃぁあんなブルースウィリスばりのアクションはできやんわ。おとなしくわっちはデスクワークに専念しやっせ」

 出来の悪いバイオリンのような悲鳴を響かせてバンは少しギザギザに走ったのちに止まった。バンの天井にしがみついたパスタは上から下まで真っ黒の服を纏っており、バンが止まったのを確認してから首元のタートルを鼻までぐいっと上げる。ほんの少しでもタイミングを見誤れば取り返しのつかない怪我をするようなアクションをこなした割にはその顔は平静そのものだった。

「なんだ! 今の音はァ! 天井になんか落ちてきたぞ!」

 たちまち中に乗っていた男たちが血相を変えて車から降りてくる。

「にゃあん」

 どこをどう聞いても馬鹿にしているとしか思えないような猫の鳴き真似声がした。しかし、その声はバンの天井からではなく、止まったバンの正面だった。車から出た男たちは全部で5人。その5人全員が、その猫の物まねをした人物を見て悟った。

 ――自分たちは“襲撃”に逢っている。と

「なんだたった5人か、最低8人はいないと燃えないんだがにゃあ」

 ポキポキと拳を鳴らしてヘッドライトに照らされながらボディビルダーのような巨大な体をしたスキンヘッドの男が現れた。その姿はパスタと同じく黒一色。

「ほら、来いよ」

 しかし“襲撃されている側”の男たちは誰一人として殴りかかりはしない。

「あれ? ほら来いよ。映画とかテレビじゃここで2,3人が襲い掛かってきて返り討ちっていうパター……ん」

「てめぇ! どこの組だァ!」

 5人いるうちの2人が懐から拳銃を取り出し銃口をスキンヘッドの男に向けた。

「トカレフ……って、あんたらのボスはよっぽど金ないんだにゃぁ」

 銃口を自分に向けられているのに顔色ひとつ変えない。その男が修羅場慣れしていることはその場にいた全員が気づいた。

「てめぇ、撃つぞ!」

「撃てよ」

「……くそっ! 死ね!」

 その言葉とともに乾いた銃声がビルとビルの間の路地に乱反射するようにギンギンと響いた。

「おま! バカか! こんなところで撃ちやがって!」

 狼狽した様子で銃を持っていない方の男が叫んだ。

「いや俺はまだ撃って……がぁっ!」

 たった今まで銃口を向けていた男が言葉を言い終えないうちに、短い悲鳴を上げて横切った。

「一匹ぃ」

 ニタァとにゃんにゃんうるさいマッチョが笑った。右の頬に大きな拳の痕をめり込ませた男の首を掴み、それを盾にして銃を持ったもう一人の男に近づく。

「ほらほら、見てにゃ。ドラゴン紫龍の盾」

 ふざけたことを言っているがそれがそのまま『撃てるもんなら撃ってみろ』と同義だということを銃を構えた男は悟った。

「くっそぉ!」

 一人が車に乗り込み無理やり車を発進させようとキーを回す。

「強引なのは嫌いじゃないにゃ」

 しかしいくらキーを回してもセルがキュルキュルとも言わない。

「あれ、あれ!?」

 そうこうしている内に鈍い音が外から聞こえる。他の仲間もにゃんマッチョにやられているということが想像できる。







「はい、出来上がりっと。わっちはやっぱデスクワークが一番でありんすな」

 非常階段の上からそれらのやりとりを見下ろしていたキニCは、ノートパソコンのENTERキーをタンッという軽快な音を立てて叩いた。

「じゃー後はよろしく頼みますぇ、みなさん」

『ジリリリリリリリリリ!!!』

 道路を挟んでいるビルとビルからけたたましいサイレンが暴れるように鳴った。

「セコムしてますかー?」

 おかしそうにキニCはキキキ、と笑う。突然のサイレンに動揺する“被害者”達。

 車は動かないわ、仲間は倒されるわ、サイレン鳴るわ、それよりも襲撃されている。その絶望的な状況をなんとか突破しようと、相変わらず男はキーを回し続ける。

「くっそ! くそっ! なんでだ! なんでなんだよ!」

 そして、セキュリティのサイレンとは違う種類のサイレンが近づいてくる。誰もがよく知る“あの”サイレン。

「ポリ公がもう来やがった!」

 ニャンマッチョが大声で叫ぶとその場を全力で去った。赤い回転灯をクリスマスイリュージョンみたいにビルとビルの壁を照らしながらパトカーが路地に侵入してくる。

『そこ! 動くな! そのままじっとしなさい!』

「くそ! くっそぉぉおおお!」

 男は諦めて車から降りると他の仲間と共に走って逃げ去っていった。

「さぁ今すぐ本官と一緒に署に行くんだ!」

 パトカーから降りた警官が叫ぶ。

「どうした! 誰もいないのか! ええい、ここかぁ!」

 警官は止まったバンの後部ドアに手をかけると大げさに開いた。

「……もう終わってるよ」

 ドアを開くとそこには百万円の束に囲まれて、乾燥パスタをカリカリとかじっているパスタがいた。警官はカカカと笑うと「なんや、うちの出番はもう終いかいな。」と吐いた。

 パスタは軽くジャンプして地面に飛び降りると、バタン! と再度後部ドアを閉めた。そして、車の下に潜り込んだかと思えばすぐに出てきて運転席へと座る。

「今日の仕事はこれで終わりだ。帰るぞ」

 パスタがキーを回すとエンジンは老人の咳のような音を立てて勢いよく回った。

「ニャンニャン! 行くぞ」

 パスタがそう呼ぶと物陰から先ほどのニャンマッチョが現れた。

「そんな乱暴に言うなにゃん。聞こえてるにゃ」

「ニャンニャンうるさい」

 ニャンニャンと呼ばれたマッチョはバンの助手席に座る。

「おい、キニC。お前はシャラップのパトカーで帰ってくれ」

「げ、わっちはいくら偽物でもパトカーに乗るのはやぶさかでありんすよ」

「じゃあ歩いて帰れ」

「なんでそんな酷いことばっかり言えるんよ~」

 キニCはトンタントンタンと非常階段を駆け下りながら「在宅でぬくぬくと情報送ってるだけのブラシが羨ましんすよ、わっちは。この際異議を申立てやっしょか?」と恨み節を吐く。

『聞こえてるよ』 

「じゃあオーナーに言っておいてやるよ」

「うげげ、そりゃあ堪忍しておくれやっし」

 そんなやりとりをしてそれぞれその場を後にした。

「オーナー、仕事無事に終わったぜ。闇金の運営金の運搬車、まるごとかっさらったよ。指示通りだ」

 暗い夜道を黒いバンが黒い連中を乗せて暗い闇に消えて行った――。

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