ユーリ~魔法に夢見る小さな錬金術師の物語~
佐伯凪
小さな錬金術師
第1話
「てふてふ〜、てふ〜」
春の柔らかな日差しが降り注ぐ草原に、2歳になったかどうかという歳の幼児が座り、からかうように頭上を飛び回る蝶に向けて手を伸ばす。
幼児の髪は先天的なものだろうか、真っ白に輝いている。
「てふて〜」
「あはは、もう、ユーリってば動かないでよ〜」
その幼児に後ろから抱きつき、すべすべの頬に頬ずりする5歳ほどの少女。あどけない顔に紫の髪が揺れる。
二人の近くには山菜の入った籠。山菜採りの途中で休憩しているのだろう。
少女は幼児を抱きしめながら、白くて丸い花を付ける野草で冠を編む。
「でーきたっ! はい、ユーリにあげる!」
満面の笑みで、不格好な愛情いっぱいの冠を幼児の頭にかぶせる。
「ユーリ、かわいいー!」
そしてまた抱きしめる。ささやかで幸せな光景だ。
そんな光景の中、
「はっ!!」
ユーリは幼児らしからぬ声をあげた。
「どうしたの、ユーリ?」
「あ、あ、お姉ちゃん、ぼく……ぼく……」
ユーリは震える。
ユーリの頭に、自分のものではない記憶が決壊したダムのように流れ込む。
この世界ではないどこかの、科学の発達した世界で、数年間生きたこと。その記憶が、知識が流れ込む。
蝶を見る。分かる。これがモンシロチョウの仲間であることが。
不格好で愛情いっぱいの王冠を手に取る。分かる。これがシロツメクサの仲間であることが。
ユーリは分かった。理解した。
そう、これが。これこそが。
「お姉ちゃん、ぼく……ものごころついた!!」
「へ?」
ユーリの物心ついた瞬間だった。
◇
結論から言うと、これは物心がついたとかそういう物ではないらしい。
ユーリはあの日からたくさん考えていた。
算数の勉強をし、言葉の勉強をし、山菜取りに付いていき、そして考え続けた。
そして3歳になる日、ついに考えがまとまった。
ほぼ一年考えて、ようやく結論が出たのだ。
「僕の記憶にある世界と、この世界は、違う……?」
その答えに、ついにたどり着いたのだ。
似ている世界、でも何かが違う世界。
空をいくら眺めても、飛行機は飛ばないし、人工衛星は回っていない。
染めてもいないのに、髪や目が桃色や水色の人がいる。
絶対に持ち上げられないほどの大岩を父は持ち上げるし、母は何もないところから火を起こす。
姉は弟であるユーリを溺愛していつも抱きしめてくる。
ありえないのだ。前世では。
あんな大岩を持ち上げるには重機が必要だし、火を起こすにはマッチやライターが必要だし、姉は弟を虐めるはずなのだ。
そして前世では最もありえないもの、それが 『鑑定式』である。
その人の、魔力を調べるための儀式。それが鑑定式。
そう、この世界には魔法があるのだ。
◇
「シグルドとフリージアの子、フィオレ。こちらへ」
「はーい!」
厳かな女性の声に、ユーリの姉、フィオレが元気よく返事をして前に出る。
元気いっぱいの明るい美幼女、それがフィオレである。
父の青い髪と母の赤い髪を受け継いだ、淡い紫の長い髪が風にたなびく。アーモンド型の大きな目に、髪と同じく紫の瞳。大きな口に血色の良いくちびる。興奮しているのか、頬が上気している。
黒いローブのフードを深く被った司祭の様な人の前にピシッと気をつけをして、ワクワクと目を開いている。そんなフィオレの様に、今まで真一文字に結ばれた司祭の口が上弦に孤を描いた。天真爛漫な様が微笑ましいのだろう。
「ふふ……では、こちらに手を」
「はい!」
フィオレが水晶に手を起き、何やら難しい顔でうめき声をあげる。
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「別に力を入れなくても大丈夫ですよ」
すると、水晶が紫色に輝いた。
司祭の口が驚いたように開く。
「シグルドとフリージアの子、フィオレ。あなたには火と水の適性があるようです。お父さんとお母さんを受け継ぎましたね」
フィオレが勢いよくユーリの方に振り向いた。父と母、そして母に抱き抱えられているユーリを見て、パアッと花が咲いたかのような笑顔になった。
「パパ! ママ! 私、火と水だって! パパとママのどっちも引き継げた! 嬉しいー!!」
フィオレが駆け寄ってきて、ユーリを抱える母に抱きつく。そして父はそんな三人をまとめて抱き抱えた。
「すごいわフィオレ! 流石私達の自慢の子だわ!」
「ああ! まさかパパとママを継いで二重属性だなんてな! フィオレはすごい子だ!」
「あはは! パパ、ママ、くるしいよー! あははは!」
三人はキャッキャキャッキャと喜び合う。鑑定式に集まっている村の人達からも温かい拍手が送られた。
温かい祝福ムードの中、ユーリは冷や汗をかいていた。
え、だって、父が青い髪で水属性、母が赤い髪で火属性でしょ? 火と水の二重属性で紫でしょ?
だったら、僕は?
白い髪の僕は、何の属性なの?
白って、もしかしてなんの適性も無いんじゃないの?
「うーん、どうしようかしら」
司祭の女性がリストを片手に考えている。
「あの、村長さん。来年5歳になる子は、この村にはいないんですよね?」
「ええ、四年前は子に恵まれなくて」
「そして、その次の年の子は一人だけ……」
「ええ、そのとおりです」
司祭と村長がなにやら不吉な会話をしている。
「うーん、再来年にまた来るのもめんどうですし、ついでにやっちゃいましょうか、鑑定式」
ユーリは絶句した。自分の鑑定式まではまだ2年ある、それまでに心の準備をしておこうと思った矢先の断罪である。
『ついでにやっちゃいましょうか』の軽い一言で断頭台に上がることが決まってしまったのだ。
「シグルドとフリージアの子、ユーリ。こちらへ」
母はユーリを降ろすと、頑張れ! とでも言うようにガッツポーズをした。
父に目を向けると、大丈夫だ! とばかりにサムズアップをした。
姉は、思い切って行ってこいとばかりに、ユーリの背中を強く叩いた。
ユーリは歩く。とぼとぼと、絶望の表情で。
何故ならユーリは薄々勘づいているのだ。自分に魔法の適正がないことに。
「では、こちらに手を」
「……ふぁい」
ユーリは涙目で水晶に手を乗せる。
暫くすると……
一瞬、水晶が白く光った。ように見えた。燦々と太陽が照りつけているのだ。白い光などほとんど見えるはずもない。
しかしユーリには希望が見えた。
白く光ったのなら、聖魔法なんていう属性があるのではないかと!!
「えーっと……、色の変化無し……適性無し、ですね。何も適性のない人は久しぶりですね」
そんな希望は、ほんの2秒で消え去った。適性無しである。
大抵の人が一つは適性があるのだ。稀にフィオレのような二重属性や、稀にだがそれ以上の多重属性の人もいるという。
しかし、ユーリは適性無しの無属性である。
村人たちは憐憫の目をユーリに向け、ひそひそと話す。
『能無しですって。落ちこぼれ。可哀想に。可哀想なのは家族よ』
そんな言葉がユーリの耳にも届いた。
「おっ……おふっ……おふっ……」
ユーリは目にいっぱいの涙をため、悲しさに口を震わせながら家族の方へと振り向く。
無属性の落ちこぼれである。役立たずの要らない子である。ユーリは温かい家庭が崩れ去る未来を想像していた。
滲んだ視界で家族を見る。
表情は見えないが、こちらに駆け寄ってくるのが分かった。
ユーリの元まで来た母が、大きく手を振り上げた。
殴られる!
そう思ったユーリは、ギュッと目をつむり、身体を縮こませた。大粒の涙がこぼれる。
しかし、予想した衝撃は訪れない。気がつくと強く抱擁されていた。
「あぁ、私の可愛いユーリ! そんな顔をしないで! 魔法の適性なんてなくったって、私の大切なユーリには変わりないわ!」
「そうだぞユーリ! 魔法なんて無くったって、剣は振れる! 剣が振れなくったって、ユーリは頭がいい! いや、頭が悪くてもいい! ユーリは可愛い息子なんだ!」
「ママ……パパ……」
ユーリは泣いた。ああ、なんて馬鹿なことを考えていたのだろうと。あんなに優しい家族が、魔法が使えないなんてことだけでユーリを嫌うわけがなかったのだ。
抱き合うユーリ達の元に、フィオレがゆっくりと歩いてくる。
その目に、怒りの火を灯して。
「……のせいだ……」
「お姉ちゃん……?」
「私のせいだ!!」
フィオレは叫ぶ。怒りを込めて。
「私が、私がユーリの魔法を奪っちゃったんだ!」
フィオレは思ったのだ。自分が父と母の属性を両方引き継いだ事で、ユーリが引き継ぐ属性が無くなったのではないかと。
ユーリが適性無しになってしまったのは、自分のせいだと。
「そんなことはないぞ、そんな話聞いたことがない!」
「そうよ、フィオレは悪くないわ!」
父と母の言葉に、しかしフィオレは首をふる。
「私が悪いんだ。可愛いユーリの属性を奪ったんだ。私がユーリの幸せを壊したんだ。私がユーリを不幸にしたんだ」
フィオレは怒る。自分に。可愛い弟を不幸にした自分に。
怒りで髪の毛が逆立ち、魔力の渦が発生する。
無数の火の玉と水の玉が発生し、フィオレを取り巻いた。
そんな光景を見て、司祭が驚きの声をあげた。
「そ、そんな……訓練も無しに魔術が使えるなんて……あり得ない……」
「私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ!」
フィオレは咆えた。
「私が、ユーリを、守るんだああああああああぁぁぁぁぁ!!!!」
無数の火と水が渦を巻き、轟音を立てながら天高く登った。
超過保護な姉、モンスターペアレンツならぬモンスターシスター誕生の瞬間であった。
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