第2話

品のある赤色で塗られた扉。百合をあしらったステンドグラスの窓。少し錆ついた金のドアノブ。

流石は、歴史ある学院の生徒会室と言ったところか。触れるのすら躊躇うような威圧感があった。

この中に、めぐお姉ちゃんが。

爆発しそうな心臓を抑えながらも、扉をコンコンと二回叩く。人差し指の第二関節と木がぶつかる音が響き、中から「どうぞ」と入室を促す綺麗な声が聞こえた。

恐る恐るノブを回す。扉はとても重くて、軋む音が大きく響いた。


「失礼します……」


後ろ手で扉を閉めながら、部屋の中を見渡す。

正面には黒く大きな執務机。その上に置かれた山積みの書類や高そうな羽付きペン、光沢のある赤いプラスティックのプレートに金で掘られた「会長」の二文字。これは生徒会長の机で間違いないだろう。

座り心地のよさそうな漆黒の椅子には、髪の長い女性が腰をかけていた。大きな窓から差し込む太陽光が眩しいせいで、顔がよく見えない。が、金糸雀色の瞳が怪しく輝いたのだけが分かった。


その目に耐えられず、少し視線を下げる。そこには赤いソファーが向かい合わせで設置されていて、真ん中には背の低い机があった。お茶菓子、ティーポットにカップ、何故か広げられたトランプ……お茶会でも開かれていたのかのような散らかり方……。


「あら、ごめんなさい。さっきまで来客があったのよ。今片づけるからちょっと待ってね」


左側に置いてある大きな戸棚の整理をしていたらしき女性が、焦った様子で机の上の物を片づけ始めた。小豆色の髪を、緑のリボンで一つに結いあげている。スクエア型のピンで前髪を留めていて、見えやすくなった瞳はリボンと同じ新緑。優しそうなその表情を見て、私はつい大きな声をあげてしまった。


「めぐお姉ちゃんっ」

「わっ、びっくりした」


彩里めぐ。

生徒会室に迷い込んだ謎の一年に真っ先に声をかけてくれた彼女こそ、私が探していた人物……めぐお姉ちゃんだった。

めぐお姉ちゃんは私の大声に驚き、抱えていたトランプをそこらじゅうにぶちまけた。


「お姉ちゃん、昔と変わってないね」

「あら、そう?いつまでも若いってことかしら」

「うん!そのバレッタ、昔からずっと付けてたよね」

「え?……ふふ、そうだったかもね」


頬に手を当て嬉しそうに笑うと、一つに束ねた茶色のポニーテールが揺れる。

懐かしさで目頭が熱くなる。めぐお姉ちゃんに会うのはとても久しぶりだ。最後に会ったのがいつだったのかも覚えてないくらいだ。


「……こほん。感動の再開に水を差すようで悪いが、彼女は?めぐの知り合いか?」


その言葉で、自分がこの部屋のめぐ以外の人物に挨拶をしていないことに気付いた。

静かに見つめあっていた私達の時を動かしたのは、さっきまで椅子に座っていた女性だ。めぐお姉ちゃんがばらまいたトランプを一枚一枚拾い集めている。


「あっ……は、はじめまして!姫ゆうりっていいます!めぐお姉ちゃんは親戚で……」

「ほう?めぐの親戚ねぇ……。そのタイの色からして、新入生か?入学式の前日から逢いに来るとは、よっぽど懐かれているようだな」

「うふふ、嬉しいわ。可愛いわね」


そんな夫婦の様な会話をしながら、金糸雀の瞳を持った女性は執務机へ向かう。深く腰掛けた彼女の横に、寄り添うように立つめぐお姉ちゃん。


「ヨハネへようこそ、ゆうり。私は神谷かみやるき。この学園の生徒会長だ」

「神谷、るき……?」

「ゆうり、その名前に聞き覚えない?……なんて、この日本に住んでて『神谷るき』にピンとこない人なんていないけど」

「うーん、何処かで聞いた覚えが……」

「はは、明日になればわかるさ」


神谷るき。一度聴いたら忘れないようなインパクトの強い名前だ。なんせ苗字に「神」という一文字が含まれている……。ヨハネ学院の生徒会長としても相応しいと誰もが思うだろう。

それにしても、本当に聞き覚えがある。それも誰かに教えてもらったりその名前についての話題を出したり等というはっきりした記憶ではなく、すれ違った人が名前を口にしていたような気がする、という本当に曖昧な記憶だ。


「それよりも、何か用かい?」

「あ、いえ……転入の手続きがあったので……それと、めぐお姉ちゃんに会いに」

「成程ね。……そういえば、折角来たのにお茶のひとつも出していなかったな」

「お、お構いなく!もう帰るので……」


転入の手続きは終わらせた。明日の準備もあるので、今日はもう帰らなくては。

名残惜しいが、用が済んだのに長居をする訳にもいかない。二人も明日に向け、まだ仕事が残っていると予想が出来る。


「そうか。では明日また会おう」

「帰り道には気を付けるのよ」

「はい!ありがとうございます、会長。めぐお姉ちゃんも…………」


小さく手を振ると、めぐお姉ちゃんも同じように小さく振り返してくれた。それがなんだか嬉しくて、とても懐かしい気がして、私は浮かれながら生徒会室を後にした。

めぐお姉ちゃん、元気そうでよかった。昔の記憶とは違ってとてもしっかりとした大人の雰囲気があった。きっとあの会長と共に、ずっとこの学園を支えてきたのだろう。最高にカッコいい。

……生徒会長は少し怖かったけど、とても美人だった。どうにも見覚えがあるのだが、頭の奥底から一向に出てこない。私はその正体には気付けずに、次の日を迎える事になる。





入学式。それは希望を胸に詰め込んだ新入生達が初めて学園の扉を開く日。

集合場所は入学式会場、すでに多くの生徒が集まっている。この日、同級生達と初めて顔を合わせた。もともと知り合い同士だった新入生も多いのか、すでに賑やかな雰囲気が漂っていた。

私は何となく馴染めずに、式の始まりを告げるアナウンスをただ茫然と聞いていた。


私が通っていた高校だと、こういった集会等は体育館で行うのが普通だった。

だが……流石お嬢様学校といったところか。運動場として利用される体育館とは別に、集会用の大きな講堂が用意されている。

ステージ側に新入生、入口側に在校生が整列している。それでもまだ余裕があるくらいの大きさに、入場したクラスメイトが皆感銘をあげていた。


代表者への入学許可証授与式では、紫色のくせっ毛をひとつにまとめた眼鏡の少女が壇上にあがっていた。きちっとした立ち振る舞いで清楚な印象の彼女は、正に『お嬢様』だ。確か同じクラスだったが、こういった雰囲気の生徒ばかりだと考えると、少し窮屈かもしれない……とつい思ってしまった。


各クラスの担任や副担任、教科の担当などが発表された後、次に生徒会長からの挨拶がある事を式の司会者が告げる。

生徒会長……神谷るき先輩だ。昨日顔を合わせた時はとても真面目な印象を受けたが、彼女はいったいどんな話を新入生にしてくれるのだろうか……

金糸雀色の煌めきを思い出していると、突然講堂内が暗くなる。

停電?とざわめく新入生たち。だが教員達が動揺していない様子をみると、どうやらこれは催し物の一環のようだ。


次に壇上へとスポットライトが当たる。そこには一人の少女が立っていた。

神谷会長だ。

会長は昨日と同じく、凛とした佇まいだ。顔を上げた時、遠い距離にいるはずなのに金糸雀色と目が合った気がした。

会長が息を吸う。私達も息を吞む。

そして会長は、期待に胸を膨らませる新入生達へ、言葉を紡ぎ始める。


「みんなー!与羽根学園へようこそー!!生徒会長の、神谷るきだよー!!」


唖然。

それは確かに、昨日挨拶をした『神谷るき』である事に間違いはないはずだ。絹の様に滑らかな黒い髪と、遠くからでも眩しく見える金色の瞳は他の誰かと間違えようがない。

しかしあれは、なんだ。あの冷静沈着な態度は何処へやら、今壇上にいるのはまるで『アイドル』のような振る舞いをする生徒会長だった。


「えっ……あれって、神谷るき!?」

「神様!きゃあ、私大ファンよ!」

「輝き元気の神谷るき!今をときめく超実力派アイドル!流行に疎い私でも知っているわ!」


元気の良い自己紹介とを披露した生徒会長に、一瞬は体育館中が困惑の色を見せたものの、直ぐにそれは歓声へと変わる。

昨日めぐお姉ちゃんが言っていたのはつまりこういう事だったようだ。芸能界に疎い私は今の今まで気付かなかったが、そういえば駅前の大きなモニターに彼女が映し出されていたのを見た気がする。確か新しい曲を出すか何かで、ミュージックビデオが流れていたような……歌が上手いなあくらいの感想で、特に気にも止めていなかったから忘れてしまっていた。


「いえーい!みんな素敵な悲鳴をありがとう!るきのファンだよーってみんなも!初めましてのみんなも!今日から同じ学び舎で過ごす仲間だよ!清く正しく美しく、このヨハネ学園で共に素敵な淑女を目指そうねー!」


まるで遠いアリーナ席に呼びかけるように演説をする会長。満面の笑みで大きく手を振ったところでスポットライトは外れ、次に講堂の照明が付く。ステージにはもう会長の姿はなかった。

ざわめきが止まらない構内に、司会者が次のプログラムの項目を告げるアナウンスが響く。

皆はおそらくあのアイドルの神谷るきがこの学園に所属していたこと、そして今目の前に現れたことに驚愕したり歓喜したりしているのだろう。

しかし私は違う。

とても信じることが出来なかった。


昨日であった神谷会長と、今目の前に現れた神谷会長が、同一人物だということに。







「ねえ!さっきはびっくりしたね!」

「え?さっきって」

「生徒会長だよ!まさかアイドルの神様なんて!私超大ファンなの!つい二ヶ月前にライブ見に行ったばかり!」


講堂から去る途中、後ろからいきなり話しかけられた。

相手は短く切られた黄色の髪と、爛と輝く若草色の瞳。髪には色とりどりのヘアアクセサリーが沢山付いていて、失礼だがお嬢様らしさは全く感じなかった。


「そ、そうね……。ところで、あなたは」

「私?私はみほ!楢木ならきみほ!きっと同じクラスだよ!」

「へ、貴女もA組?」


彼女の胸元には、入学式の前に配られた「1-A」の文字が象られた金属バッチが光っていた。彼女の身分を示すものはそれと、その上にある「楢木」の文字だけだったが、彼女の言葉が嘘ではないと言う事を証明するには十分だった。


「あ、えっと……私は姫ゆうり」

「ゆうり!いい名前だね!ゆうりとは仲良くなれる気がする!」


混じり気のない程明るい笑顔を見せて、こちらに手を差し出す。私は少し戸惑いながらも手を取る。

握った手をブンブンと振りながら、、みほはまた「よろしくね!」と告げた。


「……ごめんなさい。そこ、どいてくれるかしら」


くすんだ紫色の髪を高い位置で一つにまとめ、茶色いフレームの眼鏡の先では菫色がこちらをジロリと睨んでいた。すみません、と小声で呟きながら私とみほは左右へ避け彼女が通る道を作った。

軽く会釈をして通り過ぎようとする彼女を見て、突然みほが声を上げる。


「あっ!貴女、さっき壇上に上がってた新入生代表だ!」

「……指を差さないでくれる?」

「えへへ、ごめんごめん!ねえねえ、貴女もA組だよね?私は楢木みほ!んでこっちは姫ゆうり!」


流れるように私の分まで自己紹介をしてくれたみほを睨みながら、新入生代表の彼女は溜息を吐いた。胸元には私達と同じ「1-A」のバッチ。どうやら本当に同じクラスのようだ。


「私は兎上うかみしゅう。どうぞよろしく」

「しゅう!いい名前だね!」

「……みほ、もしかしてそれ、誰にでも言ってる?」


録音再生のような台詞を口にするみほと、呆れたように頭を押さえる仕草をするしゅう。彼女達がこれから共に過ごすクラスメイトとなる訳だが……正直言って不安だ。他の新入生も、どうやら個性が強そうな生徒がちらほらと見受けられる。しっかりとやっていけるのだろうか、めぐお姉ちゃんに「ちゃんとみんなと仲良く頑張っているよ!」と笑顔で報告できるのだろうか……


そんなことを考えながら前方を歩く二人についていく。しばらく廊下を真っすぐ歩いた所で、一番端にある教室に到着した。


「ここだね、1年A組の教室」

「……ん?なんか……騒がしくない?」


教室に入ると、先に訪れていた生徒達が変に騒がしくしていた。

彼女達の視線はみな黒板に集まっており、私達も同じようにそちらを確認する。

そこには、白いチョークで文字が書かれているようだ


『黒髪の魔女に気を付けろ』


「黒髪の魔女……?」

「なんだろうこれ、一体誰が……」

「気を付けろって言われても……なんの事だか……」


生徒たちはその忠告文に脅えたり、動揺したりと様々だ。この一文のみで、平和ボケした私達を恐怖に陥れるのには十分すぎるほどだったった。

私はその書き込みをみて、昨日の渡海先輩の言葉を思い出した。


『黒髪の魔女には気を付けなさい』


魔女。非現実なその言葉に最初は何の意味だか分からなかったが、こうして文字にしてみるととても恐ろしく感じた。その単語を視覚に情報として取り込むだけで、激しい動機に襲われる。

この学園に伝わる黒い噂というのも脳裏に浮かんだ。もしかして、魔女という存在が関係しているのだろうか。


そんな中、しゅうが私の顔をじっと見ていた。


「ゆうりさん、貴女……それ地毛?」

「え?う、うん、そうだけど……」

「そう……ええと」


私が返答をすると、しゅうとみほは顔を見合わせた。

そして次はみほが口を開く。まるで危険な所に触れるかのごとく、恐る恐る言葉を口にした。


「ゆうりの髪、黒髪……だよね」


その時クラス中から集まった視線。

それはあまりにも冷たく、恐怖を覚えるものだった。

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闇黒に告ぐ 蒼色みくる @mikurukun

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