10月 ハロウィンの夜
隣の睦千から濁った「あーー」と溜息が出た。紛う事なく、クソデカ溜息とか言われる感じの。そりゃそうか、と青日は眼下に広がるトンチキ騒ぎを見下ろした。
二人は今、新都市地区物物大街のビルの屋上にいる。普段は赤いランタンがぶら下がる通りも、須くかぼちゃのランタンへ変わり、ディスプレイはコウモリや魔女ややっぱりかぼちゃが飾られ、通りには馬鹿笑いと大号泣に寝転がる人、人、人……そして、ビルに登ってもしっかりと鼻に届くほどの酒気。八龍中の安酒を撒き散らかしたと言われてもおかしくないほどの酒臭さを打ち消すように睦千がウィッピンを振り回す。すっと、八龍らしい潮っけと香辛料と埃っぽさがブレンドされた空気が流れ込む。普段はありがたくもなんでもないそれを青日は貪るように吸い込んで、肺の中に溜め込むと、あー、と溜息にして吐き出した。
「……酒気帯び怪か……」
ふわ、とまた酒の香りと吐瀉物の饐えた臭いがが漂う、怪の仕業である。いくら羽目を外されがちの八龍のハロウィンの夜でも、皆が皆、酔っ払って暴れて倒れるわけではない。怪と危険な奇怪病者に襲われる可能性はそれなりに高いが、所詮は新都市地区、そこまで強い怪がいるわけでもなく、いつもより気を張った保安方と案内方の仕事のおかげで、今のところ死者と行方不明者は出していないのだ、これそこの、福薬會を褒めろ崇めろ。だからこそ、強い規制ができないとも言う。だが、今年はどうだ? 怪は人々を酔わせ、皆ヘベレケである。どうやらアルコールを撒き散らす怪らしい。無事なのはザルとかワクとか言われるような奴と、怪の効果を無効にする睦千とそれに付き合わされている青日くらいなものである。早急にどうにかせよと命じたのは本部で高みの見物の有難い御大である。
「はー、どこ行きやがった」
睦千はうんざりしながら下を見る。とてもじゃないが下に降りて探索とはいかないのである。人と酒で身動きが取れなくなるのは明白だ。
「見つかるのかな、これ」
「見つけないともっと増えるよ、ベロベロの酔っ払い。やばい事故とか事件が起きる前にどうにかしないとあれだし」
「これに懲りて来年から来る人減るといいなー」
ぶつぶつ言いながら青日はぐらぐら揺れる人の頭を見ながら目を凝らす。仮装なんだか、怪なんだか、福薬會の調査員なのか、よく分からん。
「来年はちょっと規制するじゃない? てか、いい加減、ちゃんとイベントとして整備すりゃいいのに」
「さすがにするんじゃない? 派手に怪出たんだし」
睦千はウィッピンをぶらぶら揺らしながらやってらんねー、とまた溜息を吐き出した。
「てか、ただでさえハロウィンの物物大街来たくないのに。なんの仮装ですかー、写真いいですかー、じゃないよ。作りもんじゃないし、天然物の顔面だけど? てかじゃあ連絡先だけでも、じゃねーし」
せっかく被ってきたかぼちゃのお面は早々に外した、視界が狭いし息苦しかったから。もう囲まれてでも怪をどうにかしなくては、ととりあえず真面目に仕事しようとしていたのに、まあ、気が大きくなったやつの多いこと多いこと、睦千は今年も囲まれ、話しかけられ、爆発寸前だった。
「例の怪捕まえたら、帰っても許されるんじゃない?」
「分かってないなー、青日。あの成維がそれくらいで返してくれるわけないじゃん、事後処理までさせられるよ」
「うわ、やだー」
「朝まで帰れないよ、多分。明日も調査員みーんな二日酔いとか言ったら休みじゃないし」
「さいあく!」
「ほんとに」
睦千は眼下のヘベレケ共から目を離し、ぐるりと首を回した。
「でもさー、ここでじっとしていても見つからないんじゃない?」
「どーしよっかなーって思ってる」
「スルメ垂らしたら釣れないかな?」
「えー青日、スルメ持ってる?」
「持ってなーい。お菓子の余ったのならあるよ。チョコ! しかもウイスキーボンボン!」
「なんでそんなの持ってたの?」
ゴソゴソと青日のカバンに手を突っ込んだ睦千は可愛くラッピングされた袋を取り出し、中を見る。
「おっきいお友達にでもあげようと思って? あと、おれが食べたかったから」
「なーるほど」
チョコの包を一つ取り出すと、ウィッピンの先を結びつける。
「まあ、来たらラッキーってことで……ハッピーハロウィン!」
ぴょい、と釣り糸を垂らすようにウィッピンとその先のチョコの銀色の包み紙が夜空に流れ星のように煌めく。かかるといいなーと青日はハッピーハロウィーンと言いながら釣り堀を観察するように、うごうごと揺れる人影を見ていた。
その十分後、チョコに飛びついてきた怪と大立ち回りを繰り広げ、ようようのていで捕獲した二人に、自己処理を淡々と命じる御大がいた事は、また別の話である。
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