第88話 狂った者「グリド・グランデ」

 グランデ伯爵領の領都にて。


 農地だった所に様々な農具が飛び散っている。

 しかしそれを片付ける者の気配はなく、また周りは閑散としている。

 人の気配がない畑から離れて町を見る。

 町にはまばらにしか人はおらず店には閑古鳥かんこどりが鳴いていた。

 人を観察すると瞳に生気が映っていない。

 殆どの人が建物に背を預けて今にも死にそうであった。


「……水の時間だ」


 誰かが声を発した。

 すると一斉に顔を上げてゆっくりと立ち上がる。

 声がする方へ向かうと、魔杖を持った男性が大きな瓶に水生成クリエイトウォーターで飲み水を作り出していた。

 住民達は男に群がるように瓶を手にするが、男がふらりと体を揺らし倒れそうになる。

 が踏ん張り背筋を伸ばした。


 この一帯には彼しか水生成クリエイトウォーターを使える者が残っていないのである。


「……何でこんなことになったかな」


 魔法を行使し終えた後、男は空を見上げて独り言ちた。

 風を受けてはらりとフードが外れて顔が現れる。


 ――エルフ族である。


 エルフ族の彼が炊き出しのようなことをしているのは不自然だ。

 異種族嫌いの領主が治めるこの地なら尚更。

 しかしそんなことも言っていられない状況であるのは確かであった。


 異種族だからと言って彼を排斥する者はここにいない。

 もし排斥すれば貴重な水すらなくなってしまうからだ。

 ならば何故この町から出て行かなかったのかというと、逃げ遅れたこと、逃げることが出来なかったからであった。


 領主グリド・グランデによる領地の封鎖は効果を発揮した。

 けれど時間が経つにつれて見張る者すら外に逃げ、現在辺境の町は閑散としている。

 だが他の領地と面していない土地は別。

 中央に近い彼らからすれば辺境の状況を知る方法がない訳で。

 逃げる気すら起こらないほどに弱っていた。


 エルフ族の錬金術師は周りを見て悲観する。

 こんなはずじゃなかった。

 今頃自分は錬金術師として大成しているはずだった。

 なのになぜ。


 自問するが答えはでない。

 ぼーっと過ごしていると、誰かの声が彼らの耳に入った。


「徴兵だ。全員領主邸に来るように! 」


 その言葉すらどうでもよくなっていた。


 ★


 時を少し遡り領主邸の執務室にて。


 埃塗れの部屋で一人の男が椅子に座っている。

 薄汚れた貴族服を着た彼は、長くぼさぼさの茶色い髪に少し尖った耳をもっていた。伸びた顎鬚は手入れがなされておらず、肌はボロボロである。


 ――グリド・グランデ伯爵である。


 タタタタタタタタ……。


 貧乏ゆすりの音が鳴り響く。

 苛立ちと不安が消えないのか、貧乏ゆすりはステップへと変化している。


 ――暗殺者から報告が来ない。


 これまでになかったことだ。

 グリドが依頼した者達は業界でも名の知れた者達。

 失敗などあるはずがない。

 そう思うも負の感情が彼を襲っている。


 もし失敗したら。

 もし事がおおやけに出たら。


 そう考える度にグリドは不安に襲われる。


 約束の期日はとうの昔に過ぎ去っているのも彼を不安にしている理由かもしれない。

 グリドはいつ報告が来るかわからない状態で館を出る訳にはいかないと判断。よって彼は苦渋の決断を下し、闇ギルドからの報告を受けるため王都で開かれている会議に出なかった。けれど待てど待てど報告がない。


 (何が、何が……。失敗か? いや有り得ない。今までどんな無茶な依頼も彼らはこなしてきた)


 グリドは闇ギルド、――特に自分が懇意にしていた者達に絶対的な信頼をおいていた。よって依頼失敗という至極当然な結果を頭から何度も排除している。


 (前金だけもって逃げた? いやその場合は他の組織から制裁が下るはず。私の領地から出て行く計画があったとしても仕事として受け取ったからにはやり切るだろう……)


 何度も暗殺者が戻ってこない理由を作り上げる。

 けれどそれを否定して、割り込む「依頼失敗」を排除して、更に理由を作り上げる。

 これを何度も繰り返すも答えが出ない。


 そして結局最悪のシナリオに辿り着いた。


「あのッ……魔女めッ! 」


 ダン、と机を叩く音がする。


 ――依頼失敗。


 グリドは考えないようにした。けれどこれ以外に考えつかない。

 あまりにも遅すぎるのだ。

 依頼失敗というワードから逃げることのできなくなったグリドは顔を青くしてうつむいた。


 全滅したのならば、まだかまわない。

 けれど彼にとって一番最悪なのは捕縛され情報を吐き出させられること。

 その場合グリドが罪に問われる可能性がある。


 エルゼリアは、――表向きは単なる旅の料理人だ。

 その権力はないに等しく公的な場面で力を発揮できない。

 だが暗殺が失敗し、領主であるロイモンド子爵まで話がいくとどうだろうか?

 罪に問われるのはグリドの方になってしまう。


 伯爵よりも子爵の方が爵位は低い。

 念入りに根回しをして裁判をひっくり返すことは容易だ。

 けれど「単なる一般国民を貴族が暗殺しようとした」という話が出回るとどうなるか。

 領民のみならずここエンジミル王国の国民から白い目でみられることは明白だ。

 その情報を封鎖するために更なる資金が必要になり、他の貴族からは強請ゆすりを受けることになるだろう。


 そう考えると今すぐにでも状況を再確認し根回しの準備をしなければならない。

 だが彼の金庫はあと僅か。

 到底根回しが出来るものではない。


「……こうなれば、止む終えん」


 どこか決心したかのような表情で残った文官を呼ぶ。

 するとやる気のない声と共に文官が中に入って来た。


「今すぐ徴兵を行う」

「はぁ?! 」

「その言葉使い。私に向かって無礼だぞ! 」


 言われてすぐに言葉を正す文官。

 だが彼の気持ちもわからなくもない。

 突然「徴兵」と言われて驚かない方がおかしい。


「……国よりたっしがあったので? 」

「そのようなものはない」


 増々文官は意味が分からなかった。

 徴兵や接収は王の特権。

 戦時や緊急時に王が命じ、代行として各領地の領主が領民を徴兵するのだから、今グリドが言っていることは明らかな越権行為であった。


 指摘したいが、文官を狂ったような目で見るグリドに何も言えない。

 彼が黙っているとグリドが命じた。


「これより、リアの町に住む魔女の討伐を行う。人族に、人類に仇名すエルフへの正義の行為だ。今すぐに兵を集めよ! 」


 グリドは備えてある護身剣を文官に突きつけ命じる。

 それは人族至上主義者の口上そのもの。

 

 あまりにも狂った言葉に開いた口が塞がらない。

 しかしある種この大陸では当たり前となっている宗教に口を挟める訳もなく、彼はそのまま徴兵を伝えに行った。


「くはははは……。これで、これで私の領地は元に戻る! くくく……、くはははははははは……」


 錯乱したかのように笑うグリド。


 もう彼は正常な判断が出来ない。

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