『学生の本分は勉強である』←その通り

「今日から通常授業なわけだが、お前らやる気は持ってきたかー? 今年はいよいよ勝負の年。青春も待ってくれないけど、受験も待ってくれないぞー。冬に泣きたくないなら今日から気合い入れていけよー」



 大川は俺たちにどこか気の抜けた激励を送り、授業の準備を促した。俺はレイにひそひそ声で



「おい、行けそうなのかよ、授業は」



 と囁くと、俺の耳元に



「まあ失礼な。わたくしはアンダーソン家の令嬢ですわよ。ある程度の教養は持ち合わせているつもりですわ」



 とひそひそ声が返ってきた。今日もバッチリ決まった縦ロールが頬に触れて少しくすぐったい。そしてやっぱりいい匂いがした。



◇ ◇ ◇ ◇



 4限目の物理は初回だというのに理科室で行うらしい。初めから飛ばし過ぎだろと言いたい気持ちもあるが『勉強は学生の本分』は真理だと思ってもいる。やればやっただけ結果が返ってくるのだ。曖昧な人間関係なんかとは違って、青春をかける価値がある。



「ふう。授業というのは疲れますわね。毎日こうも閉じこもっていては、身体が錆びついてしまいそうですわ!」



 理科室への移動中、レイは大きく伸びをしながら初授業の感想を述べている。本当に俺とは価値観が合わないらしい。そんな奴と日常を共にするのは大変なストレス……かと思っていたが、そうでもなかった。思うに俺が大人なんだろう。



「現代文、リーディング、世界史ときてるが、レイはどれが一番きつかった?」



「そうですわね。世界史はたくさん書き写すことがありましたけれど、内容は大変興味深いものばかりでしたわ」



(ほー……案外勉強できるのか? いやそもそも、普通に日本語話してるもんな……)



 意外な特技に驚いたが、俺が一から勉強を教えずに済みそうで助かった。



 レイと授業の感想を語り合っていると、チャイムと同時に理科室のドアが開き、白衣をまとった大川が現れた。



「あら、大川先生なんだかいつもよりも知的に見えますわね。馬子にも衣装、とはよく言ったものですわ」



「そーいうリアクションはみんな一年の頃にもうやってるから。ってかよくそんな言葉知ってるな」



「んじゃ、物理始めるぞー。今日理科室スタートなのは何でかっつーと、席替えするからだ〜!」



 おぉ! と沸き立つクラス。ポカンとするレイ。そしてため息をつく、俺。



(とりあえずレイと近い今の席は嫌じゃないんだが……これより良い席なんてあるのか? ああでも三田さんや美希ちゃんと近いなら嬉しいな……)



 そして俺の甘い予想は、見事一部的中となるのだった。



「よーし、じゃあくじ引きの結果、理科室の席はこれでいくからな。文句は言いっこなしだぞ」



 俺の座っているテーブルにはあと2人。菊田美希と、金森大輝が座ることになった。



「え〜、ユウくんと一緒になれた〜! めっちゃ嬉しい、これで今年の運だいぶ使っちゃったかも〜」



 美希ちゃんは顔の横で小さく手を振りながら笑顔で近づいてきた。相変わらず何とも言えないセクシーさを感じるが、上目遣いからは小動物のような可愛さも感じられる。



「や、美希ちゃん。俺も喋ったことある人が同じ班で心強いよ。よろしくね」



「美希ちゃん、じゃなくて、ミ・キ。分かった?」



 美希は小さなステップを踏みながら近づいてきて、ちょんと隣の席に座った。香水だろうか、何だか大人の匂いがした。



 そんな俺たちの前に、でん! と腰掛けた男は、



「おいおい〜! ゴリの顔見ながら勉強しろってか!? イライラして集中できそうにねぇなあ、成績落ちたらテメェのせいだぞ?」



 と周りに聞かせる下品な声で文句を言ってきた。両手をポケットに突っ込んで、顎を突き出して俺を睨みつけている。丸い目と同じ形の丸顔に短いツンツン頭。金森だ。



(またコイツか……本当にしつこく絡んでくるがいつまでゴリとか言ってるんだよ……)



「はぁ? ユウくん御曹司なんですけど〜。 ゴリだったら何なの? アンタにないもの持ってるからって嫉妬するとか、ちょっとダサいんじゃないの?」



 金森は美希の反撃に対してわざとらしく舌打ちをしたが、それ以上は何も言わず机に頬杖をつきながらそっぽを向いた。



「……俺は和倉遊。よろしく」



 気まずい雰囲気の中で何とか自己紹介の義務だけは果たした。隣のグループではレイが男子2人と盛り上がっているのが聞こえてくる。下唇からうっすらと鉄の味がした。



◇ ◇ ◇ ◇



 夕陽の差し込むリビングは学校にあるどの場所よりも快適で、俺は大きなため息をひとつついた。



 帰り道、レイは嬉しそうに誰々と趣味が合っただの、誰々の名前は覚えただのと笑顔で話していた。それを見ていると何故だかイライラが余計に募り、俺はまともに取り合わなかった。



(どうしたんだ、俺。今までゴリだとか言われても気にもならなかったのに。……俺は、やっぱり1人でいるのが気楽でいいのかもしれない)



 どうしても塞ぐ気分を誤魔化そうとテレビをつけたりゲームを始めたりしたが集中できない。そうして俺がガタガタやっていると、



「ユウ〜、お食事ができましたわ。今日はハンバーグですわよ。」



 と声がした。すぐにキッチンに向かうと俺に気づいたレイは、



「くっくぱっど、というインターネットで見たものですわ。お口に合うとよろしいのですけど……」



 とエプロンの腰紐を解きながら言った。ハンバーグとブロッコリー、トマトが乗った皿を手渡される。肉の脂が溶けた香りがして、空腹を意識した。



「いただきます」



 テーブルについた俺たちはそれぞれに手を合わせ、食べ始めた。表面にパン粉がまぶされたハンバーグはナイフを入れるとザクッと音がする。直後、閉じ込められていた肉汁が溢れ出し付け合わせの野菜と合わさっていく。



「美味いよ。いつも手の込んだ料理をありがとうな」



「趣味と実益を兼ねているので負担ではありませんわ。こちらこそ、いつも美味しく食べていただいて嬉しいですわ」



 ハンバーグと共にレイはパンを、俺はライスを食べ進める。ケチャップベースのソースからは赤ワインや味噌の風味が感じられる。これには彼女オリジナルのアイデアが多分に含まれているのだろう。



 2人の食事が同時に終わったというところで、レイが話し掛けてきた。俺は食後のぼんやりした頭で聞いていた。



「ユウ。学校のことで少し聞きたいことがありますの。よろしいかしら?」



「ん、なんだよ改まって」



「ユウはクラスの皆さんから、ゴリ、と呼ばれていますわよね。それには一体どのような理由があるのか、知りたいのですわ」



 心臓がドクンと鳴る。顔を上げるとレイは真っ直ぐな眼差しで俺の目を見つめていた。



「な、何でそんな……何でもいいだろ別に」



 正直に言えば、触れたくない。だが俺は今レイの命を救う『鍵』なのだ。コイツには知る権利がある、そう頭では分かっていても気持ちに踏ん切りがつかない。



 しかしレイは、俺が予想していたのとは違う言葉を繋いできた。



「ユウにはたくさんお世話になっているから知りたいのですわ。前も申し上げました通り、ここに置いていただくためなら私何でもいたします。もしユウが困っていて、私が力になれるならば、と思いましたの」



 俺は、思わず立ち上がった。



「やめろよ! 本当は俺がいじめられてるのを見て後悔してるんだろ! こんな奴を『鍵』にしてお先真っ暗だって! こいつに友達なんて出来るわけないって!」



 レイは綺麗な瞳をまん丸にして驚いていた。そんな彼女を見ることも、情けない自分を見られるのもたまらなく嫌で、俺は自分の部屋へと逃げ込んだ。



(クソっ、俺だって分かってるんだよ。このままじゃダメだって。俺だってレイの力になれたらと思ってるんだよ……)



 悔しかった。だけど、涙は出なかった。




⬜︎ ⬛︎ ⬜︎ ⬛︎


4月12日 水曜日


 ユウを怒らせてしまった。触れて欲しくないものに触れてしまったみたい。大事にしたいはずなのに、いつも上手くいかない。


 とにかく、ユウに友達作りを求めるのは酷なことなのかもしれないと思った。もともとそのつもりだったけど、ユウには無理させないようにしよう。私のことは、私がやるんだ。




⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 

 レイとどこかギクシャクしたままに始まったバーベキュー。チャラ男の間宮、爽やか少年の砂川を加えた計6人で賑やかに始まった。しかし途中で美希が見知らぬ男たちに捕まってしまう……。


 次回!『バーベキューは是非とも炭火でお願いしたい①』

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