『早い、安い、美味い』は10年先も変わらずにいてほしい
まだ新年度が始まったばかりでろくに授業もないので、11時ごろにクラスを出た俺と真里愛は学級委員の活動場所である第二理科室にいた。主任の大川が理科教師なのでここを使うらしい。扉を開けると実験器具が放つ独特の匂いが鼻をついた。
「今日はまあ顔合わせと、クラス目標みたいなの考えてくれたらいいから。じゃ、おれ会議あるからよろしく〜」
大川は「終わったら鍵たのむな」と言い残し出て行った。残された俺と真里愛は微妙な空気のまま互いにチラチラと相手の出方をうかがいあった。
(少しふっくらした頬、目が合うと赤らむのが可愛いな……。笑顔になると目がなくなるのも口角がキュッと上がるのも実に良い!)
「あ、あの、和倉遊くん……だよね? 学級委員、なってくれてありがとうね。私バカだから、遊くんみたいに頭が良い人が一緒にいてくれて助かる!」
真里愛の無垢な挨拶を聞いて、俺は思わず目を伏せた。この純粋な笑顔を邪な気持ちで眺めていた自分を恥じたのだ。そんな俺の様子を知ってか知らずか、真里愛は話を続ける。
「今まで私、こういうことやってこなかったんだけどね。日ノ本での生活もラスト一年だしいつもみんなに助けられてばかりだから、最後くらい恩返しできたらと思って挑戦してみたの。だからあんまり活躍できないかもしれないけど……」
「い、いや。俺もやったことないからさ! 上手くできなくても立候補しなかったアイツらが悪いんだし、俺たちは俺たちらしくやったらいいんじゃないか?」
(そんなに自信ない声で話すなよ……俺だって偉そうなこと言える立場じゃないのについ励ますようなことを……)
俺の勇気は無駄にはならなかったようで、真里愛の声には力が戻っていた。まっすぐな瞳で俺を見つめながら
「そうだね、ありがとう遊くん! あのね、学級目標なんだけど、私ちょっと考えがあるの。少し考えをまとめたいから、今日はもうおしまいにしてもいいかな?」
「おお! それは助かるよ! 俺は今日言われたばかりで何のアイデアもないし……三田さん頼りになるなあ」
彼女はまた頬を赤く染めながら照れ隠しのように「さ、戸締りしないと!」と言って立ち上がる。俺も荷物をまとめて立ち上がった。
(いやあ、三田さんめちゃくちゃ可愛いな。仕事は面倒だけど……居残りは案外悪くないかも)
そんなことを考えながら2人で廊下を歩き、靴を履き替える。白い靴下と黒のローファーという清楚な組み合わせがよく似合っている。
「あ、ユウ! こちらですわよ!」
門の側でレイが呼んでいる。真里愛の方を振り向くと
「今日はありがとう。それじゃ、私は自転車だから」
と言って駐輪場へ向かった。俺は小さく手を振って見送り、レイの待つ門へ歩き出した。
「悪い、待たせたな」
レイはまだお金どころか定期券も持っていない。加えて土地勘もないから俺がいなければ学校から出ることもできない。
「いいですのよ。ここでクラスの方々と少しお話できましたし。えーと……どなただったかしら?」
(コイツ……自分の命がかかってる割にテキトーだな。いやそもそも、俺がもっと頑張らないとダメなのか……)
俺たちはクラスの奴らについて話しながら駅に向かって歩いた。昼過ぎの春風はまだ少し冷たかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ここ! ここですわ、なんとも食欲をそそる香りを漂わせているオレンジ色の看板の店!」
レイは駅近くのビルの1階を指差した。日本人なら誰もが知る牛丼チェーンなのだが、彼女にとってはこれもやはり未知の存在なのだ。
店のシステムをひとしきり説明してから入店。ちょうど12時あたりだったのもあり、店内ではスーツ姿の男性が皆一様にスマホを片手に牛丼をかき込んでいた。
「これは……なんて悪魔的な香りですの!」
カウンター席に並んで座った俺たち。高校生の男女というだけで浮いているのに、女の方は金髪縦ロールのお嬢様とは場違いにも程がある。俺はおそるおそる他の客の様子をうかがうと、どいつもこいつもジットリとした目でレイを見つめていた。
「んん゛っ! いいかレイ、ここは社会で身を削る男たちの憩いの場だ。あまり騒がず、じっくりとメニューに目を通すんだ」
レイは真っ直ぐで力のこもった視線を寄越し、ゆっくりと頷いた。そして視線をテーブルのメニューに落とした。
(ふん、これでレイの顔は見えない、声すら聞こえまい。俺のレイを勝手に盗み見た罰だ! せいぜい悔しがるがいい、社畜ども!)
俺は奴らの歯ぎしりを感じながら、真剣そのものというレイの顔を見つめた。彼女の頭が動くと同時に、牛丼とはまた違うタイプのいい匂いがした。
◇ ◇ ◇ ◇
注文してからほんの1分、いやそれ以内か。とにかくあっという間に運ばれてきた『牛丼 並盛』を前に感動を隠せないレイ。鼻から大きく深呼吸している。青く澄んだ瞳はとろんとして、既に甘美な食体験にトリップしているらしかった。
「では、いただきます、ですわ」
周囲を慮って小さな所作で行う食前のあいさつは彼女の美しさというよりむしろ小動物的な可愛らしさを強調した。おそらく俺だけでなく店内の男全員がレイの一挙手一投足に注目していた。
ふぅ、ふぅとレンゲに細かく息を送る血色の良い唇は微かに前方に突き出され、それはまるでキス……
「さて! 俺も食うか、いただきます!」
大声を上げて丼を持ち上げ、カチャカチャと音を立てながら具と米を合わせて一気に掻きこむ。周囲からは大きなため息が聞こえてきた、気がした。
(いかんだろ! 女子の食事シーンであろうことかキス顔を想像するなんてありえないだろう和倉遊! 真摯に牛丼に向き合え!)
俺が煩悩に対する闘争心をもうやけくそという風に丼に対してぶつけていると
「ユウったら、そんな風に食べては品がありませんことよ。……それともこのお店では、そのように召し上がるのが正式なお作法ですの?」
レンゲを握り直しやる気満々、といった様子のレイを見て、思わず吹き出してしまいそうになる。
(レイは本当に一生懸命だな。そうだよな、彼女には元々……ほとんど時間は残されていなかったんだもんな……しっかし悪魔に呪い、ね。未だに信じられないよ、全く)
俺の目の前で牛丼と格闘している少女。笑顔になったり真顔になったり忙しい彼女の命が、残り一年だなんて。信じたくない気持ちもあるせいか、どうもピンと来なかった。ところが……。
◇ ◇ ◇ ◇
「うわ! なんだこれはーッ!!」
21:30。情けないことに俺は生まれたままの姿で悲鳴を上げていた。左胸に内出血のような紫色のアザができている。それもただのアザではない。
(クローバーの形の持ち手、そこから伸びる凹凸あるカタチ……)
「『鍵』、か……」
レイの胸と同じ色のアザは、昨晩のことが現実だと思い知るには十分すぎる存在感を放っていた。俺が呆然としている間にもシャワーのお湯は止まらず風呂場の壁を叩いていた。
⬜︎ ⬛︎ ⬜︎ ⬛︎
4月10日 月曜日
今日はユウが学級委員? というものに選ばれた。友達作りに役に立つとも思うけど、純粋にユウがリーダーとして認められたのが嬉しい。真里愛さんと一緒に頑張ってほしい。
帰りは駅に寄って牛丼というものを食べた。ユウはかなりがっついて食べていた。お腹が空いていたのかな。でもあの甘辛い味付けはご飯と良く合っていて、ああして食べたくなる気持ちも分かる気がした。
次はどんなことをしようかな。今日ユウに教えてもらった『インターネット』で色々調べてみようかなー。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
朝からバーベキューに行きたいと大騒ぎのレイ。『友達作り』にも役立ちそうだと言うのでクラスの奴を誘っていると、更なる美少女が声をかけて来て……!?
さらに、レイにはお出かけ用の服がないことに気づき、安さが売りの服屋へ。俺は荷物持ち……。
次回!『学生の服なんてファッションセンターで十分』
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