6 王子との面会3
離れた場所で控えていた従者が、てきぱきと軽食の用意を整えた。華やかなティーカップに温かい紅茶がそそがれ、ケーキスタンドには香ばしく焼かれたスコーンやマカロンが並ぶ。
普段は口にすることのないお菓子に、シーナは目を丸くした。
(この丸いお菓子は何かしら。赤や黄の色が付いているわ)
マカロンを知らないシーナは食べてみたくてうずうずしたが、飛びつくように口に入れるのははしたない。令嬢らしくない行為だ。
だから素知らぬふりで、まず紅茶から口にした。飲み込むのが惜しいと思えるほど、香りがよくて美味しい紅茶だ。
レクオンがスコーンを手に取ったので、シーナもそれに合わせてマカロンをとり皿にのせた。ようやくこの不思議なお菓子を食べられる。
(お姉さまは食べたことがあるかしら? きっと一度は口にしたわよね?)
王子と出かけたり何かを食べたりするたびに、ルターナのことが気がかりだった。素晴らしい景色も美味しい食事も、自分だけが独り占めしているようでどうしても楽しめない。口に入れたマカロンも甘くておいしいけれど、ルターナと一緒であればもっと美味しく感じたことだろう。
「ルターナ、下を見てごらん。ここから見る薔薇も格別だ」
「え? わぁ……綺麗……」
見おろすレクオンと同じように視線を下げると、まるで薔薇の森が広がっているようだった。よく見ると赤や黄色、白にピンクと同じ色が集中しないよう、分散して植えてある。離れた場所からでも綺麗に見えるように工夫してあるらしい。
今日は天気もよく、薔薇の森をとり囲む青空も美しい。シーナはふと、「今日は洗濯日和ね」と思った。そして――
「シャボンを泡立てて、何もかも洗っちゃおう……汚れも嫌なことも、ぜんぶ流してしまおう……」
「……変わった歌だな。初めて聞いたぞ」
「えっ」
シーナはハッとして、口元を手で隠した。心臓が激しく音を立てている。
(わたし……今なにを言ったの……!?)
身に染み付いたクセというのは恐ろしい。シーナは洗濯のときにいつも同じ歌を口ずさんでいるから、無意識にそれを歌ってしまったのだ。
「すみません! 今の歌は忘れてください!」
慌てて頭を下げた瞬間、マリベルの忠告が頭をよぎる。マリベルは確か、「貴族の令嬢なら簡単に頭を下げてはいけない」と言っていたのではなかったか。
(頭さげちゃった……! でも殿下が相手なら、下げてもいいのではないの!?)
混乱したシーナは頭を上げたあと、また下げてしまった。上げ下げする頭に合わせて、手までワタワタと動いている。レクオンは目を丸くしてシーナを見ていたが、しばらくして大声で笑い出した。
「はははっ! どうしたんだ、ルターナ。今日のきみは面白いな」
「すっ……すみ、ません……」
恥ずかしい。穴があったら入りたい。愉快そうに笑うレクオンの向かい側で、シーナは真っ赤になってもじもじとスカートをいじった。
「確かに変わった歌だが、なにも謝る必要はない。どこでその歌を聞いたんだ?」
「あの……洗濯のときにメイドが歌っているのを聞いて。なんどか聞いてるうちに、覚えてしまいました。すみません」
すみませんと口にすると、どうしても頭を下げてしまう。謝罪しながら生きてきたシーナにとって、謝らずに堂々としろというのはかなり難しいことだった。
しかし俯いたシーナの頭上から、レクオンとは思えないような低い声が降ってくる。
「……謝るなよ。たとえ誰が相手だろうと、自分に非がないのなら謝る必要はない」
「は、はい……っ!」
怒らせてしまったのかと慌てて顔を上げたが、王子はいつも通り平静な表情だった。顔が整っているせいで無表情だと怖いぐらいだけど、今は怒っている顔ではない。三年間も婚約者の振りをしてきたお陰で、シーナもレクオンの感情を読み取れるようになっていた。
(さっきの言葉、まるで自分に言い聞かせてるみたいだった……)
いつも穏やかなレクオンでも、王宮では苦労が耐えないのかもしれない。ルターナもシーナもレクオンに王宮のことを訊いたことはないが、王子として生きるのが楽ではない事ぐらい想像できる。
「風が冷たくなってきた。そろそろ帰ろうか」
「はい」
レクオンは木のベンチから立ち上がると、シーナの手を取って歩き出した。がさがさした指先や荒れた爪の感触が伝わっているだろうに、なにも言わずに手を握っていてくれる。
この人になら、ルターナのことを任せられる。どうか姉をよろしくお願いします――。
広い背中に向かって、シーナは無言で祈りを捧げた。
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