マトリクスとフリーメン

「暑い……」


 ハヤトは荒々しく額の汗を袖で拭う。

 見渡す限りの砂と岩の大地。

 かつてこの地は緑にあふれ、青々とした海が広がり、近くの活火山からは悠々とした噴煙が上がっていた――映像ライブラリで何度も見返した映像を思い返しながらハヤトは深々と息を吐いた。

 吐いた息が鼻下の砂を吹き上げる。

 呟いてもしょうがない。それは分かっているのだが、呟かないことにはそのうちにたまった不平不満を解消すべがなかった。

 ハヤトはキャラバンの一員だった。

 キャラバン――食料から武器まであらゆる物を――時には者を――扱ういわゆる何でも屋だった。

 シンクロニティ・マトリクス――ハヤトたちはマトリクスと呼んでいる――は「人類捕獲計画」を行っていた。圧倒的優位であるマトリクスは昆虫を模した機械生命体ストライド・ハンター――通称ハンター――を用い、人間を見つけるや否やすぐさま捕獲し人間強制収容施設――通称楽園へと「保護」しているのだ。

 楽園に保護された人間たちがどのような扱いを受けているのかを知る者はいない。捕獲された者で帰ってきた者はいないからだ。しかし、殺されている可能性はないと考えられていた。武力的な抵抗をしない限りマトリクスは人間を保護しようとする――それは、人間を管理するというマトリクスの思想に沿ったものだからだ。だからと言って、それを許容できるはずもなく人々はマトリクスから隠れるように生活していた。

 マトリクスは反抗する者たちには武力をもって制裁を加える。反抗する人間には徹底した武力行使を行うのだ。

 しかし、楽園に保護されることを良しとしない者たちがいた。それが楽園に暮らす人間――ハーモニアントの開放をもくろむフリーメン――ハヤトたちのような者たちだ。


(オヤジ……今日も俺を護ってくれよ)


 自然と首にかけたペンダントを握りしめる。中には写真などは入っていない。そこに入っているのは一個の種子。

 リンゴの種――だった。

 

 ――大地が豊かになったらこいつを植えてくれ。

 

 それが彼の父親の口癖だった。

 世界は荒廃し、雨どころか曇にすらならない。

 海は塩の荒野と化し、既に緑と呼べる物は世界にないのではないかと思えてしまうくらいだ。


(この世界に緑あふれる未来なんてのはあるんだろうか)


 ペンダントをいじりながらそんなことを考えていると――ふと、目の端に何かが映った。


「ん?」


 ハヤトは空を見つめる。

 空に何かある。否、発生したと言った方が正しいだろうか。

 黒い球体のようにも見えるそれは中空でだんだんと大きくなる。


「コウヤ……空に不審物が……」


 通信機に向かって報告する。


『……こちらからは……何にも……』


 とぎれとぎれの通信。

 ハヤトは太陽の位置を確認しながら双眼鏡を覗き込む。

 黒い球体が弾けた。


「………………………………は?」


 ハヤトは目を疑った。

 黒の球体が弾けて、その中から現れたのは……人……?


 ――いや。あれは――


「コウヤ! 空から女の子が……!」


 言いかけてやめた。

 幼い頃に観たアニメ映画を思い出す。あいまいな記憶だが、確か空から女の子が降ってくる話だった。


(あれって絶対服脱げるよな……)


 ワンピース着て空からダイブとか、常識で考えれば普通は服が脱げる。

 ありありと思い出される幼少期の頃の記憶。


(いやいや、今はそんなこと考えている場合じゃない!)


 双眼鏡で確認。わずかだが効果速度が落ちている。

 土煙が上がった。

 巨大な機械生命体。多脚型移送兵器――ムカデを連想させるその形と動きが見ているだけで肌に蟻走感を感じてしまうほどだ。

 女の子の周囲に光が走った。

 稲妻がムカデに襲い掛かる。

 稲妻が直撃しているはずだが、ムカデに効果があるようには見えなかった。

 ムカデが大きく口を開ける。


 バクン!


 女の子を飲み込んだ。


(あいつ……女の子を捕獲した!) 


『ハヤ……ト、そっちに……ハンターが……』


 とぎれとぎれの通信が響く。

 成層圏はかつての戦争の影響で磁気嵐がひどく衛星を利用した通信ができない。その代わりラジオ波やマイクロ波を使用した暗号通信が主流だ。それもハンターたちに解析される心配があった。なので通信は日ごとに暗号キーを変え、通信自体も短いものにならざるを得ない。


「来た!」


 視界の端、遠方で土煙が上がった。

 なだらかな丘の上を土煙を上げてムカデが向かってくる。その背にはオレンジ色をした球体。マトリクスが人間を捕獲し保護している「ゆりかご」と呼んでいる球体だった。

 ハヤトはその場をゆっくりと動き岩の陰――正確には岩を模した塹壕へと駆け込んだ。


「コウヤ! 前方三〇〇!」

「分かっている!」


 コウヤは細身の男だった。ハヤトが飛び込んでくるよりも早く彼は狙撃銃を構えファインダーを覗き込んでいる。コウヤの銃は彼の身長に対して不釣り合いなほどに大きい。重量はどう軽く見積もっても五〇キログラムを超える。それを細腕で軽々と扱う姿は異様であった。


(動きが鈍い!)


 いつものような軽快さではない。むしろ足の動きもちぐはぐで瀕死の状態で必死になって走っているようにも見える。いつも周囲にいるはずの護衛のハンターもいなかった。土煙と一緒に黒煙も上がっているようだ。

 稲妻は予想以上に効果を上げていたようだった。チャンスだ。


「外すなよ?」

「誰に言っている!」


 ハヤトの言葉に何の気概も感じさせない声で応えコウヤは引き金を引いた。

 重鈍な音と共に銃口が火を吹く。

 数瞬の間をおいてムカデ型のハンターの前方部、頭部がさく裂した。


「ヒット!」

「確認してくる!」


 銃を肩に担ぎハヤトが隠れていた塹壕から身を乗り出した。

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