庭師総括長 フローラ・ヴァイタル

 イグニスたちは中庭へとやってきた。


「これはこれは、王がこんなところに来るとは珍しい」


 子供のような声。コロコロと笑うその姿はアメリアと同年代の女の子にしか見えない。

 緑の髪、緑の瞳。自然界全てを統べる緑樹龍族の族長。

 緑樹龍族長、フローラ・ヴァイタル。今は宮殿周辺の森の管理を行っている。森の全てが彼女自身と言ってもよかった。森で起こる全ての事象は彼女に筒抜けなのである。


「お前もそんなことを言うのか?」


 うんざりとしたようにイグニスはため息をついた。


「キャハハ! 王がよく王宮を逃げ出すことは周知の事実! 何をいまさら!」

「最近はおとなしく宮殿にいるぞ!」


 胸を張るイグニスの隣でハボリムがうんうんと首を振っている。


「それは可愛いアメリアちゃんが宮殿にいるからでしょ!」

「うぐ……っ!」


 図星をつかれイグニスが言いよどむ。

 脱走癖のあったイグニスがアメリアの誕生を境にすっかりと鳴りを潜めたのは宮殿内では有名な話だった。


「まったく。逃亡癖のある王なんて聞いたことないよ」

「今はきちんとしているんだから大目にみろ」

「それにやっぱり僕はここを『宮殿』って呼ぶのには違和感があるんだけど」


 フローラは小さくため息をつく。本来であれば王がいる宮殿であれば王宮と呼ばれる。その呼び方をあえて否定したのはイグニス本人だった。

 宮殿は、王族や皇族などの君主やその一族が居住する御殿を指す。


「俺は龍族の代表だが、別に君臨するつもりはない」


 王としての心構えをフローラに聞かれたときイグニスの答えはそっけないものだった。

 

「それにしても、最近リーフリンダちゃんは元気してる?」

「ああ、先日も迷い込んだ子供を看病してもらったばかりだ」


 樹霊リーフリンダはフローラの使役する樹霊だった。イグニスはその樹霊を借りているに過ぎない。


「魔人族の……子供のことだね」


 フローラは目を細めてイグニスを見る。


「本当に大丈夫なのかい?」

「さあな、俺にも正直よくわからん」

「よく分からない……って」


 フローラがイグニスの答えにフローラが目を丸くする。その後ろではハボリムも同じように呆然とした顔で王たる男を見つめている。


「何、見た感じ悪意を感じなかったぞ。ちと妙な感覚はあったが……」

「妙な感覚とは?」

「それがよく分からんのだ」


 答えはいつにもましてあいまいなものだった。イグニスはこう見えても龍王と呼ばれるほどの男。その男が分からないというのであればそれ以上の追求は無意味だった。


「リーフリンダちゃんも分からないって?」

「ああ」


 少年が寝込んでいる間。イグニス部下たちにできる限りの情報を集めさせた。アメリアと一緒に看病を続けるリーフリンダにも少年についてできる限りのことを調べさせたが、返って答えは「分かりません」という答えだけ。

 魔人族ということは分かるのだが、そもそも周辺に魔人族の集落などない。

 霊峰セレスティアルピークを越えてきたということは分かるが、ここは越えたからといってたどり着ける場所などでは決してない。結界にはいるだけでも必ず何かしらかの反応があるはずだ。

 特に森の結界を維持・管理しているのは目の前にいるフローラなのだから。


「この子の侵入には私も気づかなかったんだよね」


 庭師総括長フローラ・ヴァイタルだけでなく、宮殿統括長エアリス・ソアラの二人の龍族長の結界を抜け魔人族の子供は侵入したことになる。


「あの魔人族の少年にそれだけの力があったのか……もしくは……」

「何者かが、この宮殿に入れるように手配したか……」


 フローラの言葉にイグニスは沈黙で答えた。


「注意しなよイグニス」


 フローラはいつになく真面目な声で言った。


「みんなが僕らみたいに強いわけじゃない」

「分かっている」

「この宮殿内で一番弱いのはアメリアちゃんだよ」

「ああ、だからリーフリンダにもリヴァにもアメリアの護衛を任せている」


 樹霊リーフリンダと風霊リヴァは本人には内緒だが常に行動を共にしてもらっている。何かがあれば彼女たちがアメリアを守ってくれるだろう。


(そうならなければ一番いいのだがな)


 イグニスはそっと独白した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る