テスト返却日の憂鬱。

「――あ~~~~! もうムカつく~~!! 何なんだよあの偏屈オヤジ~~っ!!」


 お昼休み。あたしは中庭で玲菜とお弁当を広げながら、思いっきりたけびを上げていた。


「こっちの言い分なんか聞く耳持ってないし! 絶対に自分が正しいって何なのアレ!? あり得ない!」


「ちょっと落ち着きなよ、麻由。そんなにカリカリしながらランチしたって美味しくないっしょ」


「そうだけどさぁ。だって納得いかないんだもん」


 そう言いながら、あたしはお弁当の唐揚げを口に放り込んだ。……確かに、あんまり美味しくない。


 ――あの後、あたしは理科の教師ともやり合った。それもあいまって、あたしの怒りはもう噴火寸前だったのだ。

 国語、英語、社会科の先生とは何のトラブルもなかったけど。国語のテストを採点したのは長尾先生だったし。


「にしたってマジでムカつくわー、あのジジイ! 早く定年退職してくんないかな」


「――朝倉、うるさい。お前声でけぇよ」


「あ、先生。先生も今からお昼?」


 耳を押さえながら顔をしかめた長尾先生が、駅ビルにあるパン屋さんの袋をげて現れた。


「うん。――そういやお前、数学の谷本たにもと先生とトラブったんだって?」


 あたしがムスッとして頷くと、先生は「やっぱなぁ」と呟いた。

 すかさず玲菜が、サンドイッチにかぶりついた先生に切り込む。


「〝やっぱ〟って。先生、谷本のじいさんのこと知ってんの?」


「まぁな。もちろん今はおんなじ教員同士だけど、高校時代からよ~く知ってるよ。あの頑固さは全っ然変わってねえんだな。俺も何回、あの先生とぶつかったことか」

 

 先生はツナサンドをゴクンと飲み込んでから、苦虫にがむしを嚙み潰したように玲菜の問いに答えた。


「谷本先生ってさ、自分の教え方に絶対的な自信持ってんだよな。めちゃめちゃプライド高いしさぁ。だから生徒に反論されると余計に意固地いこじになるんだよ」


「うわ、面倒くさっ!」


 玲菜もあたしもした。中学時代の悪夢アゲイン。もう勘弁してほしい。

 あんな先生とこれから少なくとも一年はやり合っていかなきゃいけないなんて、もうウンザリだ。


「でも、朝倉みたいに真正面からぶつかっていった生徒はめったにいなかったかもな。大概たいがいのヤツは論破されて終わりだから。そこで心が折れて、もうぶつかる気もなくなるんだと。実は俺もその一人でさぁ」


「へぇーー……」


 あたしは論破されるのがキライだし、自分でも口は立つ方だと思っている。逆にあたしの方が相手を論破できる自信はある。

 だから、周りからウザがられたり煙たがられたりするのだけど……。


「俺は正直、朝倉みたいなヤツが羨ましいよ。誰に対しても自分の意見言えるって、なかなかできることじゃないしな。ハッキリ言って、朝倉のこと尊敬するわ」


「え……、そう? これって喜んでいいんだよね?」


 まさか教師から尊敬されるなんて思わなかった。今まで反感を持たれてばかりだったので、こんな経験は初めてだ。この先生、あたしが今まで出会ったどの教師よりも変わっている。でも、いちばん人間味あふれていて好感が持てる。


「っていうか、先生って元ヤン?」


 玲菜が訊ねると、缶コーヒーを飲んでいた先生はう~ん、と唸ってから答えた。


「ヤンキー……ではなかったけど、ちょっとヤンチャではあったかなぁ。つうかダルい系? 授業についていけなくて、しょっちゅうサボってたな」


「へぇー……。サボり魔だったのによく教師になれたねぇ」


「自分でもそう思う。今の俺がいんのは、当時の担任の先生のおかげなんだ。その話はまた今度な」


 先生は腕にしていたスマートウォッチに目をると、慌てて残りのサンドイッチを平らげた。……おいおい先生、喉につまるよ。


「俺、そろそろ行かねぇと! 教師ってのはやること多くて大変なんだよ。じゃあな。五限の国語の授業、俺が担当だからサボんなよ!」


「うん。……って先生、口の横にマヨネーズついてるよ! それ拭いてから行きなって」


 そそくさと行こうとした先生は、マヨの汚れにも気づいていなかった。まったくもう、いい年齢とししてわんぱくなんだから!


「あ、ヤベぇ」と言いながら、先生はパーカーの袖で汚れをぬぐった。


「取れたか?」


「ちゃんと取れてるけど、せめてティッシュ使いなよ。行儀悪いなぁ、もう」


 そのわんぱくぶりに、あたしと玲菜は思わず笑ってしまった。



   * * * *



 ――午後の授業では、二教科とも先生と揉めることはなかった。


 五限目は長尾先生が担当する国語の授業で、テストも返ってきたけど採点のしかたが独特だった。特に自分の意見や文章の解釈を問われている問題の解答は減点ではなく加点方式になっていて、あたしはもちろん百点満点。こういうテストばっかりだったら受けてもいいかなと思う。

 六限目は社会科(世界史)。基本的に文系科目は好きなので、ここでも百点満点が取れた。

 午前中に返された英語と日本史のテストも満点だったので、満点が取れなかったのは理科と数学の二教科だけだった。それも、あたしにはとても納得のいかない理由で。


「――麻由、帰ろー♪」


「うん。……あーでもなんか憂鬱ゆううつ。家に帰ったらお母さんにイヤミ言われんのかと思うと」


 帰り支度をしながら、あたしは玲菜にグチった。


「そんなにひどいの? 麻由の家族のイヤミって」


「まぁねー。お母さん、あたしに都立受けてほしがってたんだ。だからあたしがこの高校に入ったこと、あんまりよく思ってないみたい。お父さんも多分そう。お姉ちゃんは……どうなんだろ?」


 ウチは両親ともに教師で、有名進学校できょうべんをとっている。お姉ちゃんも教員志望の大学三年生。こんな家の次女として育った天才的頭脳の持ち主であるあたしだから、当然家族からの期待はハンパなかった。

 でも、あたしは進学する気なんかなかったし、高校生活をエンジョイしたかったので勝手に大鷹学園の受験を決めてしまった。両親に一言の相談もなく、だ。

 そんなわけで、合格してからも両親からの風当たりが強く、特にお母さんはイヤミっぽくなった。お姉ちゃんはどちらかというとあたしの味方寄りっぽいけど、両親の顔色が気になって表立っては味方できないという感じだろうか。


「あ、でも家で肩身がせまいとかそんなんじゃないんだよ? あたしはあたしだし」


「まあ、それは分かるけど。あんたっていい意味で開き直ってんだね」


「そういうこと。家族の機嫌取りばっかしてたら息苦しいもん」


 あたしはスクールバッグのファスナーを閉めると、肩をすくめた。


「――朝倉、栗林。まだ帰ってなかったか。ちょうどよかった」


 さあ帰ろう、と立ち上がろうとした時、先生があたしたちのところにやってきた。玲菜が不思議そうに首を傾げる。


「先生、どしたの? あたしたちに何か用?」


「用があるから来たんだっつうの。お前、っていうか朝倉、お前にな」


「えっ、あたし?」


 今度はあたしが首を傾げた。先生があたし個人に何の用だろう?


「え、待って先生。連絡先ならもう交換してるよね? 入学式の後に、クラス全員と」


「ああ。だから困ったことあった時は、いつでも俺に連絡してこいよ。あと、これだけは言っておこうと思ってさ」


 まじまじと眺めた先生の表情は、あたしが初めて見るくらい真剣だった。


「お前の性格からして、これから先、教室で居心地の悪い思いをすることがあると思う。けどな、お前の居場所は俺がちゃんと用意するから。ちゃんと学校には来いよ。……俺が言いたいのはこれだけ。じゃあまた明日。気をつけて帰れよ」


「……うん。じゃあ、また明日」


 ――玲菜と一緒に帰る道すがら、あたしは先生のことが気になって仕方がなかった。


「さっきの先生、ちょっとカッコよかったよね」


「…………うん」


 無邪気に言う玲菜に、あたしは頷いた。――でも、なんでこんなに先生のことが気になるんだろう……?

 まさか、これって……?


 







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