第63話 託す

 それから十五分ほどで理玄たちは銀桂に到着した。目立たないよう、鳳凰に王都を囲う森林で降ろしてもらう。


「ありがとう。助かった」

『礼には及ばぬ。……はてさて、この地に降り立つのはいつ振りか』


 ――僅かながら鸞の気配も感じ取れる。


 天を仰ぎながら赤瞳を細め、鳳凰は理玄に向き直る。


『我は空にいるゆえ、何かあれば呼ぶといい』

「分かった」


 鳳凰が飛び立つと共に、理玄は黒衣の頭巾を被って秋冷の文に書かれていた賓館へと急ぐ。

 賓館に着くと秋冷の部下二人が待っており、彼らから具体的な現状を聞いた。その報告を受けて、理玄はすぐに秋冷もいる宮廷へと一目散に駆けた。


 禁門が見えてくる頃には、民衆による抗議や批難の叫びが鼓膜をつんざき、おまけに激しい剣戟音が混在していた。

 だが、この混乱に乗じて警備兵の目を掻い潜り、宮廷内に侵入することができる。

 理玄は人波を掻き分けて、何とか宮廷内に足を踏み入れた。


 ――銀桂の宮廷構造は金桂こちらとほぼ同じか……。


 外朝が先にあって、その奥に内廷がある。更に、内廷の中央には王の執務室がある一際大きな宮殿が配置されているはずだ。

 恐らく白琳たちが今いるのはそこだろう、と理玄が内廷目指して地を蹴った刹那――


「また侵入者か!」

「命が惜しければ武器を捨て、投降しろ!」


 何人かの兵たちが理玄の前に立ちはだかった。

 頭巾で金髪を隠しているせいか、どうやら金桂君だとは気づいていないらしい。秋冷たち同様、反対派の暴徒だと思っているようだ。

 いつの間にか背後にも兵がいて囲まれてしまったので、戦いは避けられない。


「……仕方ない」


 理玄は愛刀を抜いた瞬間、目にも止まらぬ速さで兵たちを一蹴した。

 彼らが持つ剣や槍を払い、無防備になった隙をついて鳩尾を柄の先端で一打ち。あとは手刀や掌底しょうていを巧みに使いこなし、意識を奪った。


「すまない。しばらく眠っておいてくれ」


 鎮圧するや否や、理玄は銀漢宮に向けて疾走した。





 内廷に到着するまでの間も、何度か警備兵が行く先を阻み、その度に理玄は武力行使にでるしか無かった。

 いくら六将軍顔負けの実力を有しているとはいえ、一人で何十人もの熟練兵を伸した後は流石に疲労が目に見えて現れる。

 乱れた呼吸を何とか整え、吹き出た汗を拭いながら理玄はようやく銀漢宮に足を踏み入れた。


「内部構造も同じなら、執務室は二階にあるはず――」


 正面にある階段を登ろうとした時、右手奥の方からけたたましい金属の衝撃音が聞こえてきた。

 理玄は即座にそちらへ視線を寄せる。すると、見知った顔ぶれが複数の兵と交戦していた。


「秋冷! 翡翠殿!」


 反射的に理玄が名を呼ぶと、両者は吃驚きっきょうして彼の方を振り返った。


「理玄様!」

「殿下……⁉」


 兵たち――〈鴆〉の面々も、秋冷が金桂君の御名を口にしたことで動揺を隠せない。


「理玄だと⁉」

「なぜ金桂君がここにっ!」

「チッ!」


 いち早く気を取り直した暗器使いの一人が、いくつかの飛刀ひとう(投げナイフ)を理玄めがけて投擲とうてきする。

 理玄はそれらを躱し、繰り出された追撃を刀で叩き落とす。が、一本だけ捌ききれず、自身の右頬に束の間の痛覚が走った。やがて赤い一筋が浮かび上がり、血の雫が頬を伝う。そのうえ飛刀を躱した時に頭巾もとれていた。

 理玄は粗雑に流血を拭い、秋冷たちの元へ突っ走る。


「大丈夫ですか、理玄様」

「問題ない。それより、偵察任務と通達ご苦労だった」

「労いの御言葉は全て解決してから仰ってください」

「そうだな」


 迫りくる凶刃を防ぎつつ、主従は言葉を交わす。しかし、秋冷が参戦する以前から〈鴆〉の相手をしている翡翠は既に満身創痍まんしんそういだった。とはいえ、中々膝をつかない翡翠と秋冷に焦っていた〈鴆〉もそれなりに疲労が蓄積している。

 そのせいか、理玄の一太刀や体術に競り負けて遂に地に伏す者も現れ始めた。


「翡翠殿、白琳殿は?」

「二階のっ……執務室にいらっしゃいます! 早くしないと、白琳様がっ……」

「分かった。なら、ここは俺たちに任せて翡翠殿は先に執務室へ――」

「いえ、殿下が行ってください!」


 彼らしくない予想外の発言に、理玄は思わず目を瞠る。


「しかし……!」

「本来ならば、私が護衛役として白琳様をお守りしなければなりません。その役目以上に、私個人があの方を直接守って差し上げたいと強く思っています。ですが——」


 翡翠は歯を食いしばりつつ、弱っていた〈鴆〉の一人を薙ぎ倒した。そして、僅かに妬心が滲んだ苦笑を浮かべて理玄に言う。


「見ての通り、私にはもう満足にあの御方を守れるだけの力がありません。それに――」



 白琳様が本当に必要としておられるのは、きっと貴方でしょう。



 まさか、翡翠の口からそのような言葉が紡がれるとは。

 理玄は敵をまた一人倒した後、惚けた面持ちで翡翠を見据える。


「翡翠殿……」

「秋冷殿も一緒に行ってください。お二人のおかげで敵も残りわずかです。あとは私だけで何とかなります。いえ、何とかしてみせます」


 だから早く!


 翡翠の断固として譲らぬ強い意志とその催促に、理玄は拳に力を入れる。


「分かった」


 ありがとう、


 翡翠の傍を通った瞬間、理玄は謝意を述べて秋冷と共に入口正面の階段へと向かった。


 ――翡翠、か……。


 こんなところで敬称を取り払うとは、相変わらず気障な人だと翡翠は笑みを零す。

 気づけば、〈鴆〉はあと二人になっていた。

 翡翠が剣を構え直すと同時に、敵方も肩を上下させながら体勢を整える。


「……申し訳ありません。白璙様」


 貴方の最後の命令を、遂行できませんでした。


 白琳の即位式の際、白璙が自身に課した厳命。




『僕の代わりに白琳を守って欲しい。これは、王子としての最後の命令だ』




 ――でも、あの人になら……貴方の大切な妹君を任せられると思うのです。


ならきっと、白琳様を幸せにしてくれる」


 そう静かに呟いた刹那――

 ぽん、と右肩を優しく叩かれたような気がした。

 咄嗟に自身の右側を見ると、そこには懐かしい人物がいた。


「白璙様……」


 すっかり顔色や体格が元通りになった見目麗しい青年は、満面の笑みで頷いた。まるで、翡翠の言葉に賛同するかのように。

 思わず涙がこみ上げそうになったが、翡翠はそれを必死に押し留めて微笑を返す。


「約束通り、慰めに来てくださったのですか?」


 白璙はやはり何も言わずに、只々笑みを深めるばかりだった。


「……ありがとうございます」


 やがて、白璙を形作る幻影は儚く霧散していく。

 彼が去るのを見届けて、翡翠は改めて己に刃を向ける難敵と対峙した。そして、今度は愛する者のために駆けていった好敵手に言葉を送る。


「理玄様。白琳様をよろしくお願いします」

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