第2話 家庭教師(M)、壊れる

 私の名前は、フィリア・レヴィオルス。

 大賢者の称号を持つ魔術師だ。


 エルフにおいても、数百年に一人の逸材。

 精霊の申し子。それが私だった。私は恐れられた。


 気付くと、私と対等に接してくれる人はいなくなっていた。

 雑に扱って欲しいのに。


 なんなら、豚のように接してくれてもいいのに……。誰も私の秘密の願いに気付かず、満たしてくれなかった。


 そんな時、私はひとつの噂を耳にする。


『リオン公爵家の嫡男が、傲岸不遜の天才児らしいぞ』

『メイドも執事も畏怖してるとか』


 なんという知らせだろうか……!

 これはぜひ、見てみないと。


 そうして、私はリオン公爵に雇われた。


 名目はリオン公爵家の魔術指南役。給金も高く、仕事も簡単だ。

 私のネームバリューを使えば、簡単に雇ってもらうことが出来た。


「あとはヴァルの家庭教師も、やってもらえると!」


「あの高名なフィリア殿ですものね。ヴァルの家庭教師にぴったりだわ!」


「ごくり、それくらいなら……」


「ありがとうございます! ぜひ、ヴァルをよろしくお願いしますっ!!」


 どうやら本命の仕事は、嫡男のヴァル・リオンの家庭教師だったようだ。


 初めてヴァル様にあったのは、1年前だ。

 色々と噂は聞いていた。


 王者の風格、未来の大人物。

 9歳の評判にしては、行き過ぎだ。


 ヴァル様と初めて会った日。

 私はそうした風評が、誇張でないと知った。この日のことを、私は生涯忘れないだろう。


「お前が、新しい魔術指南役か」


「……はい」


「精々、公爵家のために働け」


 数百年を生きてきた私でさえ、彼と実際に会って、圧倒されてしまった。


 漆黒の闇を思わせる髪、妖しく揺れる鮮血のごとき赤目、神が細工したとしか思えない気品ある顔つき。


(ごくりっ……)


 10歳にも満たない子供に、女の本能が疼いてしまいそうになった。


 そしてヴァル様は私の名前さえ聞かなかった。彼は私を恐れず、見下した。


 私の本能が告げていた。


(なんて、凄い……っ!!)


 誰もが、私を恐れて敬う。公爵でさえ、私に『お願い』する側なのに。


 でもヴァル様は全部が違った。彼は選ばれた側なのだ。

 理屈でも魔力でもなく、存在としてヴァル様は私を恐れなかった。


 そしてヴァル様の才能は飛び抜けていた。これまで教えてきた、どんな貴族よりも要領が良かった。

 彼は天才だ。読み書きはすぐに専門職のレベルになり、難解な本も理解できた。


「……つまらん」


 だが、どれも長続きはしなかった。

 すぐに飽きてしまうのだ。


 10歳にして、彼は飽きていた。

 そして傲慢だった。


 これには家の事情もある。リオン公爵は恋愛結婚の末、妻を迎えたという。

 長い間、子どもが出来なかったが……やっと誕生したのがヴァル様だった。


 なので両親はそれはもう、ヴァル様を甘やかしていた。

 残念だけど、私には彼を矯正することは出来なかった。


「ああ、本当にどうなっちゃうんだろう……。絶対にマズい気がする……」


 私はヴァル様の今後が心配だった。

 このままでは、歴史に残る大悪人になる気がした。


 もちろん英雄という可能性もあったが、悪の側に傾くのではないかと。

 私はヴァル様の可能性に恐れた。


「でも……それは真実の半分だけ」


 外から見た私は、悩める家庭教師。


 でも真実はもっと単純だった。

 私は、ヴァル様に魅了されていた。


 矯正したかったのは、彼の飽きっぽい性格だけだった。


 あの冷酷で危険な瞳に、ずっと見つめられたかった。彼が人を見下して、失望するたびに……わずかに嫉妬さえした。


 そして近頃のヴァル様は、性的なことに興味を持ち始めていた。


「男と女は、確かに違う。だが、なぜ違うんだ……?」


「ええと、それはですね……」


「誰に聞いても、まだ早いとか言われる。フィリア、お前は知っているだろう」


「~~ッ!!」


「……なんだ、お前も黙っているのか。もういい、下がれ」


 ヴァル様は失望した。


(ああ、私をゴミのように……。ダメ、そんな目で見つめられたら……っ!!)


 でもさすがに、こうしたことは執事長やメイド長から教えてもらうもの。

 結局、私は踏み出せなかった。

 

 ヴァル様に罵られ、踏みつけにされるのは妄想の中だけにしておこう。

 それがいい。それだけで満足するべきだ。


 そんな矢先、ヴァル様が高熱で倒れて、半月後に回復した。


 そして今日、メイドから呼び出しがあった時も、用件はいやらしいことだと思った。


「フィリア、参上いたしました。……どのようなご用件でしょうか?」


 だが高熱から復活した彼は、なんだか普段とは違っていた。

 なんというか……落ち着いているのだ。


 熱が出て回復したぐらいで、こうも雰囲気が変わるのか?

 どういうことだろう……?


「えーと……お前を呼んだのは他でもない。フィリアの知識を、俺は学ぼうと思う」


「それは、夜伽をしろということですか?」


「……はぁ?」


 思い切り呆れられる。

 背筋がゾクゾクしたが、理性によって一瞬で落ち着く。


 あっっっれぇぇぇ……?


 あれ? あれ? あれれ?

 違った? そういう方向じゃなかった?


「最近、ヴァル様はずっと言っておられました。俺に女を教えろとか、女体について講義しろとか――」


「勘違いするな。俺は魔術について、学びたいだけだ」


 マズいマズいマズい!

 私の危ない思考がバレてしまうっ!

 

 自制心、自制心、自制心――!!

 ふぅ……もう一度、私は瞬時に思考を切り替えた。


 でも、あのヴァル様が魔術について学びたい、だなんて……。


 びっくりしてしまう。

 やはり、何かがヴァル様の中で変わったのだ。


 もちろん、ヴァル様が魔術を学びたいというなら、止める理由はない。

 私はうっきうきで、魔術の講義を始めることにした。



 屋敷の中庭。ここは広く、今は誰もいない。

 魔術の練習にはうってつけだ。


 魔術の基本体系は火、水、命。


 火は攻撃特化であり、とにかく派手。

 水は地味だが防御に長けて便利だ。

 命は生物に作用する魔術で、身体強化や治癒だ。


「基本から始めましょう。まずは『水』です」


「貴族向けの教本だと、魔術の基本は『火』のはずだが?」


 それは貴族がとにかく魔術に派手さを求めるからだ。

 火は簡単に魔獣を殺し、平民を恐れさせる。


 ヴァル様はすぐに飽きてしまうかもしれない。でもせっかくなら、本格的な道を進んで欲しい。


「魔術を本格的に志すなら、応用の広い水の系統です。水の系統を極める者は、魔術を極めますから」


「そういうものか。……わかった。始めろ」


「はい……!」


 そして数時間。


 恐ろしい……。

 私はヴァル様の才能を、甘く見ていた。見過ぎていた。


 こんなことがあーるーのー?

 そんな気持ちでいっぱいだ。


 ほんの数時間で、ヴァル様は水の魔術を使いこなそうとしている。


 初めは嘘だと思った。

 たった1回やってみせただけで、ヴァル様は指先から水滴を生み出していた。


「これでいいのか? ぽたぽたと水滴が落ちるだけだが」


 水滴が出来るまでに、常人なら数ヶ月かかる。

 魔術師の才能があったとしても、1ヶ月は必要だ。


 そして課題はどんどん高レベルになっていった。

 怖い。しかし止まれない。


 どこまで吸収してしまうのか。出来てしまうのか。

 先を見たいという欲望に、私は抗えなかった。


 ヴァル様は集中を切らすことなく、課題をクリアしていく。


「案外、簡単だな」


 ヴァル様は、感慨もなさそうに言い放つ。彼の手のひらには、大きな水球が生まれていた。私が半年かかった道のりを、わずか数時間で。


 ――天才。

 いや、そんな言葉では全然足りない。


 怪物。異形。特異点。


 だめだ、足りない。

 そんな程度では、形容できない。


 運命の子ども。

 世界を変える、大いなる運命の持ち主。


 そうだ、それがふさわしい。

 他人の才能が心底恐ろしいと思ったのは、初めてだった。


「こ、こんな……ああ、これほどだなんて……」


「何を感動してるんだ……?」


 お前は馬鹿か、とでも言いたげな言葉。


 ヴァル様の手にある水球は、空中で静かに浮かんでいる。

 そこで私は気付いてしまった。


(私の水球より、形が真円だ。歪みが全くない……っ!)


 驚くべきことに、たった10歳のヴァル様は水球を限りない真円にしていた。

 私でもこの大きさの水球は、真円には出来ない。

 

 あっ。

 ああっ……。

 あああーーーーっ!!


 負けた。

 生まれ持った才能で、負けた。


 屋敷の人間がヴァル様を評した言葉の数々を、私はやっと理解できた。


 世界には真に、神に愛された人間がいる。

 祝福された人間。与えられし者。運命を支配する側。


 彼は側なのだ。


 私にも才能はあった。人並み以上にはあった。

 でも、それは人が理解できるレベルのものだ。


 彼の才能の限界は?

 きっと神にしかわからないだろう。


 そして運命は、私にも巡ってきていた。

 これほどの才能が、私の手元にいるのだ。


 楽しい。楽しい。楽しい。

 こんな才能の成長を見られることが、嬉しい!


「ふふっ、うふふっ……」


「なんだ、いきなり笑い出して。何が面白いんだ?」


「失礼いたしました。ヴァル様の才能に感服して、少し……私も愉快になってしまいました。ご不快でしたか?」


「……わけがわからんが、フィリアも楽しめているのなら結構なことだ」


 わかるはずもない。彼は、常人が数年かかる道のりを数時間で踏破した。

 この先、どれほどの高みに達することが出来るのか。


 あるいは、これも彼の暇潰しでしかないのかもしれない。

 ある日、突然飽きるのかもしれない。


 でも見たい。

 見たい見たい見たい!!


 遠い昔、私は自称予言者に出会った。

 その時はただ、それらしいことをそれっぽく言う変人に会ったとしか思わなかった。


『お前は勇者にはなれない。だが魔王が復活する時、お前は勇者に出会うだろう。そしてお前が勇者を導くだろう』


 でも今ならわかる。

 心の底から信じることができる!


 私はこのヴァル・リオンという勇者に、出会う運命であったのだと。


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壊れちゃった……。

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