ノートの切れ端

[冒頭 没稿1] コンクリートと熱

 夏が来るたび脳裏をかすめる、一つの光景がある。

 陽射しと日陰が半々、コントラストをなす横断歩道を渡った先に、それは広がっている。

 どこまでも続く無地の平面――虚ろな白色ホロウ・ホワイトに光るコンクリートの上、ぽつんと一つ落ちている、小さな黒点。

 近づき足を止め、少し観察するとわかる。黒点は、通行人に踏みつけられた一匹のありだ。

 靴底の形が悪かったか、不運な踏まれ方をしたか、身体の後ろ半分だけが潰れた蟻は、固く平板な人工の地面に、小さな胴体破裂の染みを晒している。

 辺りは余地なく、まとわりつくような湿度の午後の暑気に満ちている。

 風鳴りの他は車の走行音が反響するばかりの、人波の途絶えた小広場。

 不随になった蟻は半身を地面に刻印プリントされたままもがき、しかし甲斐なくわずかもえず、少しずつ衰弱の途をたどっている。

 雨はいつ降るか、と、蟻を見下ろす俺は思う。

 蟻を殺すと雨が降る、と、随分小さい頃に聞いた。

 足なり手なりを出すにしても、何もせずに見ているにしても。俺はこいつを殺すことになる。傍観は見殺しにするのと同じだから。

 やがて蟻の動きは止まる。ぴくりともしなくなる。

 けれど、雨は降らない。どれだけ待っても、空はずっと晴れたままで、変わらない。

 俺は生まれてからずっと同じところに住んでいるけれど、頭に思い浮かべる以外でここへ辿り着けたことはない。

 だから多分、これは俺が勝手に空想した場所なのだと思う。

 踏み潰されて死んだ蟻にも、本当は出会っていないのかもしれない。

 そう考えるようになってからは、あまり気にかからなくなった。

 うだるような暑さの中、何かの拍子に足を止めると、たまに、路傍にあの黒点が刻まれているのではないか、とは感じる。でも、それだけだ。

 大した意味も秘密もない。このまま大人になれば、きっと忘れて思い出せもしなくなる、誰もが持つ些細ないつかの空想イメージ

 そんな風に思っていた。

 不条理が落とした小さな死、その痕跡をいつまでも照らし出す、虚無の白ホロウ・ホワイト

 冷え切ったその光の熱をる、との夏。その終わりにたどり着いてしまうまでは。

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