過去に囚われたまま
アンジェリカは会場にいる全員の目を一瞬にして奪い去るほどの美貌を持っていた。
甘い蜂蜜のような波打つ金髪、春の空を思わせる澄んだ空色の瞳、陶器のような白い肌。
女神も嫉妬しかねないほどの美しさをもちながら、口を開けば豊富な話題と持ち前の明るさで人を惹きつける。
彼女は社交界の花だった。
『まあ……! みて、今日のアンジェリカ嬢のドレス!ステキだわ』
『あの刺繍はどこのものかしら』
『みて、もうあんなに人に囲まれているわ』
『いつ見ても華やかで可憐ね』
それまで会話をしていた令嬢達も、彼女が現れると引き寄せられるようにして一斉にそちらを見る。
その瞬間、世界中の光がアンジェリカに集まって自分は光の外に追い出されてしまうような錯覚をモーリーンは覚えた。
『――以上のことから、周囲はアンジェリカ・デイヴィスが有力であると判断しているようです』
親交が深い貴族の男が父親のもとを訪れ、気になったモーリーンは書斎の外で聞き耳を立てていた。
『ふむ……たしかにデイヴィス家の娘は容姿だけではなく社交性も飛び抜けている。教養はうちの娘も負けてはいないが……どうしたものか』
実の父親にも自分がアンジェリカよりも劣っていると思われていることを知り、モーリーンはいたたまれなくなった。
次の日、何食わぬ顔で父親に買い物へと連れて行かれたときは、どんな顔をすればいいのかわからなかった。
洋服店の鏡の前に立つのは、赤みのある灰色の髪で深いオリーブ色の目をした大人しそうな女。よく言えば落ち着きがあるが、悪く言えば地味。
あてがわれた新しいドレスは流行を意識した上等なもので似合っていないことはなかったが、今のままの自分では受け入れられないのかと、モーリーンの心は酷く傷ついた。
公爵家のために、エリック王子のためにと散々努力をしてきた自分を否定されたようで、悲しくて悲しくてしかたがなかった。
それでもエリックの婚約者選ばれるためにと、“無駄な努力をはじめた”とシュレイバー公爵家を快く思わないもの達から囁かれようとも我慢をしてきたのに。
エリックと婚約者候補が集まる大事なパーティーの日、モーリーンは仲良さげに会話をするアンジェリカとエリックをみた。ずっと目で追ってきた恋の相手が、珍しく声をあげて笑っていた。楽しそうだった。
アンジェリカは人を惹きつけてやまない。誰もを虜にする彼女が、その日、自分に初めて挨拶をした。
『婚約者候補同士、仲良くしていただけたら嬉しいですわ』
花が咲くような笑顔。向けられる眼差しは心からの尊敬と暖かさとが滲んでいた。
ああ、この子には敵わない。
それを感じとった瞬間、モーリーンの中でなにもかもが崩れ落ちた。
飛び抜けた商才を持つと他の貴族からも一目置かれている父親の才覚、母親の美的センスを継いだ社交界の花。地位も品位も格上のはずの自分が唯一恐れる相手。
でも、彼女は死んだ。
他の婚約者候補を姑息な手段で蹴落とし、最後に残ったモーリーンを階段から突き落として殺そうとした。
そして国外追放され、隣国へ渡る際に川を渡ろうとして溺死したのだ。
わたくしに恐れるものはもうない。
――そのはずなのに。
「王子は急遽他国の使者との会談に出席が決まりました。日を改めていただきたく……」
訪れたエリックの書斎の前で、いつものよう近衛兵に淡々と告げられる。
「……そうですか」
――今日も、会えない。
婚約者であるわたくしが会いに来ても、ほとんど顔を見ることは叶わない。
帰りの馬車、揺られながらそっと涙を流す。
なぜなの。
なぜわたくしは、この苦しみから解放されないの。
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