第3話 女子高生 前編

「いらっしゃいませ」


龍臣が穏やかに声をかけると、その人物はおずおずと店の中に入ってくる。

隣町の高校の制服を着た可愛らしい女の子だった。

しかし、ここは高校生が気軽に買えるような物が売っている店ではない。

時々、若い子が興味から店の中を覗いていくこともあるが、体外は的外れの様ですぐにつまらなそうに出て行ってしまう。

しかし、女の子は戸惑いながらもしっかりとした意志をもって中に入ってくる。

きっと間違って入ったのでなければ、彼女が「本」の持ち主なのだろう。

女の子は本棚を見て回り、うろうろとしていた。

その瞳は不安そうに揺れている。

しばらく店の中を歩き回った後、カウンターにいた龍臣にゆっくりと近づいた。


「あ、あの、本を探しているんですけど……」


消えそうな小さな声だ。

しかし、どこか確信めいている。探している本はここにあるとでも言うように。


「それはどんな本ですか?」

「えっと……どんなっていうか、説明しにくいんですけど、あの……」


女の子が困ったように眉を下げる。

「本」を探している人にもその「本」がどういったものかはっきりは分からないんだとか。

ただ、ただ漠然とここに自分の探している本があると確信を持ち、足がここへ向き、本を探すのだという。

龍臣は小さう頷いた。そしてカウンターから一冊の本を取り出す。


「それはこれではありませんか?」


困り顔の女の子に業務用の穏やかな声で手元の革表紙の本を見せる。

すると女の子はパッと笑顔を見せた。


「これ……、そうです。これです。あの、これおいくらですか?」


きっと本来ならこの本を目にするのは初めてだろうに、何故かこれを求めてくる人は自分の探している本がこれであるとわかるのだ。

本が人を呼んでいるのか。

財布を鞄から取り出そうとした女の子に龍臣は申し訳なさそうにする。


「これは売り物ではありません」

「え……」


龍臣が穏やかに告げると女の子は落胆した表情を見せた。

修也はそのやりとりを2階へ続く階段の上からこっそりと見ていた。

肩まで伸びた黒髪に華奢な体。可憐な可愛い子だ。修也はどこかで見たことがあると思ったがすぐに思い出せた。

隣町にあるS女学院のマドンナで、下條あかりだ。

可愛いと評判で、噂は修也の高校にまでおよんでいた。そんなこがこんなところにいるなんて。

間近で見られたことに少しドキドキしながら、修也はふたりのやり取りを見つめていた。 


「あの、お金なら払いますので、どうか売っていただけませんか」

「申し訳ありません。残念ながらこれはお売りすることはできないのです」

「そんな……」

「しかし、奥のソファーでお読みいただくことはできますよ」


そう言って、先ほどまで修也が座っていたカウンター横のソファーを指す。

そう。記憶の本は売ることができない。

いくらその人の本だからと言って売ることは出来ないことになっていた。そのため、いつも奥のソファーで読んでもらうようにしているのだ。

奥のソファーは本棚に囲まれ、小窓があって明かりは入るが外から中は見えにくい。レトロな雰囲気を持たせる綺麗な茶色のソファーにローテーブル。これが外に面していたらちょっとしたサロンのように見えるだろう。


「あ、じゃぁ読んでもいいですか?」

「ええ、お気の済むまで」


あかりは受け取った本を大事そうに抱えてソファーへ腰かける。

そして、深呼吸をしてからゆっくりと本の表紙を開いた。

そのタイミングで案内した龍臣がパチンと指を鳴らすと――……


「あ……」


あかりは気を失うように目を閉じて眠りについた。


「いってらっしゃい。気が済むまで視てくるといい」



――――……

次にあかりが目を開けると、見覚えのある公園にポツンと立っていた。

周辺にはブランコに滑り台、シーソー、砂場がある。


「ここは……」


そこは高台にあって、公園の端から下を覗くと最寄りの駅が見える。そうだ。ここはあかりが小学校まで住んでいた町の公園だった。

この公園で弟と一緒によく遊んでいた。

夕方になると父が帰るまでここで遊ぶ。公園から駅を覗き、父が帰る電車を見つけ、父が駅から出てくると公園を飛び出して迎えに行っていた。


「懐かしい」


すると突然、公園の中央にある大きな時計が夕焼け小焼けの音楽を鳴らし、ハッとする。

この時計は夕方の五時になるとそれを知らせるように音楽が鳴るのだ。

一緒に遊んでいた子供たちはそれを合図にみんな「また明日ね」と家へ帰って行く。

父を待つあかりと弟はいつも最後になっていた。

あかりは懐かしく思いながら、そのまま砂場に目を向けるとそこには幼い姉弟が寄り添って砂山を作っていた。


「あれは」


あかりの目に涙が浮かぶ。

女の子は黄色いひまわり柄のワンピース、男の子は車の絵が書いてある白いTシャツに半ズボンを穿いている。

よく覚えている。

あれは幼いころのあかりと弟の大樹だ。


「大ちゃん」


あかりが思わず名を呼ぶが、こちらの声は聞こえないのかふたりは振り向かない。

ふたりには自分が見えていないのだと知る。

すると幼いあかりが公園の端まで行き、駅の方を眺めて弟に叫んだ。


「あ、大ちゃん。お父さんが帰って来たよ」


そう声をかけると弟が走り寄ってきた。


「本当だー」


幼い姉弟は嬉しそうに微笑みあい、父を迎えに走り出した。

いつもこうして仕事帰りの父を迎えに行き、手を繋いで家に帰る。帰ると母が夕飯の支度をして待っていてくれるのだ。

あの頃は当たり前の時間だったけど、今思うとそれはとてつもなく幸せな時間だった。

走り出した二人が大人になったあかりの横を通り過ぎていく。

その姿にハッとして手を伸ばす。

ここが「あの日」「あの時」の時代なら。

あかりは二人の背中を見て青ざめた。

駄目だ! このまま二人を行かせてはいけない!


「ダメ!!」


あかりは叫びながら止めようとする。

二人を追いかけて、必死に手を伸ばす。

しかし、ふたりに触れようとするその手は、まるで幽霊のように二人の身体をすり抜けて触れることが出来なかった。


「嫌っ!」


どうしよう。このままでは。このままではまた……。

あかりがパニックに陥りそうになった時のことだ。

その瞬間。

ピタッとすべてが止まった。

文字通り、周りの動いているもののすべてが静止画のように止まっていたのである。動いているのはあかりだけ。時計も、幼い二人も全てが停止ボタンをしたように止まっていた。


「え、なに?」


あかりが戸惑っていると側で穏やかな男性の声が聞こえた。


「ここがあなたの後悔している記憶なんですね」


自分以外に人がいたことに驚いて、ビクッと肩を震わせてから振り返ると、そこには先ほどの本屋の店主が微笑みながら立っていた。

店主はゆっくりとあかりの元まで歩き、隣に立った。

この中で動いているのはどうやら彼と自分だけだと気が付く。


「店長さん?これはどういうことですか」

「ここはあなたの記憶の中です」


記憶の中?

そんなことが起こるのか?

いや、これは夢を見ているのに違いない。

そう思いながら混乱した頭で辺りを見回す。でも確かにこの場所、幼い二人は「あの日」のあかりと弟だ。

こんなことがあり得るのか。

そう言えばあの本……。もしかしてあの本に導かれたのだろうか。


「これから起こることはあなたが後悔してやまない記憶。そうですよね?」


そう言われてあかりはハッとした。

そう、ここはあかりがいつも戻りたいと願う場所だった。

そうか、本当にここは自分の記憶の中なのかと納得した。


「……そうです」


自然と頬に涙が伝う。

あかりは目の前で、笑顔で父の元へ走り出そうとしている姉弟を涙を流して見つめた。

これから起こることはあかりを一生苦しめ後悔させたことだ。


「これから私たちは走っていつものように父を迎えに行くところです。でも……、私はそこの横断歩道の手前で転んでしまうんです。派手に転んで痛くて、すぐに起き上がれないんです。すると、弟は渡り切った横断歩道を引き返してきてくれるんです」


思い出したくない過去。

一度も他人に話したことがない過去。

それを何故かあかりは泣きながら龍臣に話していた。まるで、話すことが自然のことの様に抵抗なく。


「そうですか」

「転んだ私を助けようと、引き返して来て――」


そこまで話すと、あかりは耐え切れなくなったように耳を塞いで頭を振った。

その時の記憶を頭から消し去りたいとでもいうように。記憶にある映像、音を消すかのように。

その姿を龍臣は悲しげに見つめる。


「あなたはいつも思っていた。あの時自分が転ばなかったらと。いいえ、もともと走らなければ、と」


あかりは泣きながら頷いた。嗚咽が漏れる。

何度も後悔していた。後悔して後悔して、何度泣きながら目が覚めたことか。

もう戻れないとわかっていても、あの時こうしていれば、と出来もしないことを考えてしまう。


「あなたの過去は変えられません。歩んできた人生は変えることは出来ないのです。しかし、この記憶の本は、やり直したいと思う時の分かれ道、すなわちもう一つの選ばなかった選択肢の人生を視ることができます」


龍臣がそう伝えると、あかりは泣きはらした顔をゆっくりとあげた。


「もう一つの人生?」

「はい。あなたが、転ばなかったら。いえ、あなたたちが走り出さなかったらどうなっていたか。あなたが思っている、選ばなかったもうひとつの人生です」

「視られるんですか?」

「ええ。ただし、それはあくまでももう一つの人生。あなたの人生や過去は変えられません」

「つまり、視るだけということですか?」


あかりの言葉に龍臣は静かに頷く。

パラレルワールドみたいなものだろうか、とあかりは考えた。そういう小説を読んだことがある。

並行したもう一つの自分の人生。

今の自分の人生と交わることは決してないけれど、龍臣が言うにはそのもう一つの世界を見ることが出来るということだ。

記憶の本は、その人の見たいと思うもう一つの人生を視ることができる。

しかし、それは「もうひとつの人生」であり、本人の歩んできた人生ではない。

過去は変えられず、ただ視るだけなのだ。


「見せてください」


あかりは全てを納得した上で、頷いた。もう涙は流れていない。


「あなたの過去は変わりませんよ?」

「わかっています。それでも、見たいんです」


あかりがそう話すと龍臣は小さく頷く。


「では、どうぞ」





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