浸食~呪言古書店綺譚~

霧内杳@めがじょ

第一章 客が滅多に来ない古書店

1-1

 ――薄暗く黴臭い、古びた古書店の奥。そこに僕は棲息している。


「……暇だ」

 大きく欠伸をし、読んでいた本を置いて番台に突っ伏す。四方を天井まである書棚に囲まれ、窓もない店内は昼間でも暗い。唯一開いている入り口からは、別世界のように白く光が差し込んでいた。

「暇だ……」

 机に顎をのせたまま、オイルランプの揺らめきでも数える。こんな紙ばかりの場所にランプなんてとお客には顔を顰められるが、かまわなかった。いっそ、燃えるなら燃えてしまえばいい。それこそ僕の本望だ。

「あーあ」

 ランプの揺らめきを数えるのもすぐに飽きた。お客でも来ればいいが、この店には滅多に客は来ない。なので僕は一日、番台に座って売り物である本を読んでいる。

「髪でも伸びれば、少しは面白いものを……」

 自分の、少し長めの黒髪を引っ張りながら、可笑しくなってくる。最後に髪を切ったのは、もう何年前か。五年か、十年か……それとも、もっと前か。それほどまでに長い時間、僕はここに座って過ごしていた。着物から伸びる手足は、驚くほどに白い。最後に日の光に当たったのがいつなのか、もう思い出せないくらいだ。

「あーあ、暇だ、暇だ。本当に暇だ……」

 ぶつぶつと言いながら眼鏡を外して目を閉じる。

「なんか面白いことでもないか……」

 とはいえ、ここに客が来るのは本当に稀。僕がこの店を祖父から引き継いでから売れた本は片手で足りる。それほどまでにここには客が来ないのだ。――否。来られないのだ。

「寝るのも、もう飽きた」

 そう言いながらもうとうととする。それしかやることがないのだから仕方ない。僕は退屈を飼い殺し、こうやって無為に生きていくしかないのだ。

「すみません」

「はい!」

 唐突に声をかけられて、飛び起きた。入り口からスーツ姿の男が入ってくるのが見える。頭頂部がかなり淋しくなっている男はハンカチでせわしく汗を拭いながら、店内をきょろきょろと見渡しつつ奥の番台にいる僕のところまで来た。

「……その。〝あれ〟を買い取ってもらえると聞いたんですが……」

 上目遣いでそろりと、男が僕を窺う。

 ……きた。

 無意識に口元が、綻んだ。

「〝あれ〟とは何のことでしょう?」

 それでも、知っていながらとぼけてみせる。先ほどまであれほど暇で死にそうだったのだ、少しくらい遊んだって罰は当たるまい。もっとも、僕はよほどのことがなければ死なないが。

「とぼけないでくださいよ! こっちは死活問題だっていうのに!」

 顔を真っ赤にし、男が食ってかかってくる。

「すみませんねぇ、随分ひさしぶりのお客なもんで、つい」

 視線で番台の前に置いてある、簡素な丸椅子を指す。男は意味がわかったのか、おずおずとそこに腰を下ろした。

「それで。お話を伺いましょうか」

 そのために来たというのに、男は鞄を抱いて上を見たり下を見たりしながら逡巡し始めた。

「あの、やっぱり。でも」

 意味をなさぬ言葉を発しながら、男は悩み続ける。じれったくて早く話せと言いたくなるが、一応貴重なお客様なので我慢した。

「その。……やっぱり、やめます!」

 腹が決まったのか、勢いよく男が立ち上がる。まあ、彼の身なりからそんなことだろうとは予想していた。

「そうですか、わかりました」

 相手がやめるというのだ、僕も姿勢を崩して立て膝にし、手近にあった本を捲った。

「えっ、あっ」

 しかし、男はなにか期待でも外れたのか、焦っている。

「そんな、あっさり」

 そのうち僕に、懇願してきた。

「あっさりもなにも、やめると言ったのはそちらですからねぇ」

 わざとらしくため息をついてみせ、拒絶するように本を閉じる。それを見て男は、びくりと大きく身体を震わせた。

「うっ」

 声を詰まらせ、男ががっくりと肩を落とす。

「……引き留めてくれたって、いいじゃないですか」

 勢いよく頭を上げたかと思えば、今度は涙で潤んだ目で僕を見てきた。

「本当に切羽詰まってるんですよ。もう、あれにいつ喰い殺されるのか気が気じゃなくて……」

 ごそごそと鞄を漁り、男は一冊の本を番台の上にのせた。かなり古そうな和綴じの本だ。しかしそれからは、禍々しいばかりの気が放たれていた。よくこんなものを抜き身で持ってこられたものだと感心する。

「これを手に入れたのは、ただの出来心だったんです」

 憔悴しきって男は椅子に座り、額の汗を拭っている。表紙の短冊にはなにやら題名が書いてあるが、達筆すぎて読めない。しかし僕には、問題なかった。

「私は便利屋のようなことをやっておりまして。その日はある旧家の蔵の整理を頼まれました」

 そっと短冊に書いてある文字に触れる。それは指先からするりと僕の中に入ってきた。〝おんこさま〟、そこにはそう書いてあったようだ。

「依頼人は私と同じ年くらいの、痩せぎすな男でした。ずっと俯き気味で、ぼそぼそと喋るものだから聞き取りづらくって。辺鄙な場所なので躊躇しましたが、依頼料が破格なもんで引き受けました」

 男は詳しくは言わないが、きっと金に困っていたのではなかろうか。すっかり擦り切れた革靴はそれを、物語っているようだった。

「訪れたのは、昔はそれなりに羽振りもよかったんでしょうが、今はうらぶれた、ただの田舎の家でした。蔵も半分、朽ちかけていましたしね。近々ここを引き払うので、片付けをしてほしいとのことでした」

 店の中は洞窟のようにひやりと肌寒い。なのに男は、大量の汗を掻きながら話し続ける。

「蔵の中のものは全部処分してもらってかまわない、なにかいいものがあったら勝手に持っていってくれと言われましてね。お宝でもあればいいと期待したものです」

 思い出しているのか、男は引き攣った笑みを浮かべた。

「案内されて蔵の中に入ると、がらんとしてるんですよ。片付けてくれということだったのに、ほとんどものがない。どういうことかと依頼主を振り返るんですが、もう帰ったあとでした」

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