幕間 出立 裏
ここ最近、ドミニクは眠れぬ夜を過ごしていた。
仕事にも精が出ず、気が付けばボーっとしてしまう。食欲もあまり湧かず、気分転換にと読み始めた小説にも上手く入り込めない。
三度の飯より物語が好きなドミニクにとって、それは生まれて初めての経験だった。
最近は小説事業以外にも様々な娯楽興行に手を伸ばしている。
その中でも専ら評判なのが舞台演劇だ。
幸いにも、興行主である少女が精力的かつ主体的に活動しているおかげで、今の所、新規事業に支障をきたすような事態にはなっていない。
だが、それも時間の問題だろう。
執務中にもかかわらず、ペンを握ったまま上の空で虚空を見つめるドミニクを見れば誰だってそう思う。
それはドミニクお付きの執事であっても変わらない。
彼とてここ数か月、主人の行いには苦慮していた。
しかし、いくら諫言をしようともまるで耳に入っていないのだ。力のない空返事にはもう飽き飽きしていた。
ゆえに、助っ人を呼んだ。
主人を立ち直らせることのできない己の不甲斐なさに歯噛みする。同時に、主人の友人でもある彼ならば、この窮地を救ってくれると信じていた。
そうして、彼は現れた。
「伯爵、ここ最近のあなたはどこかおかしい。いったいどうされたのですか」
窓の外を呆然と眺めるドミニクと対面してすぐ、執事が呼び出した助っ人――カールは本題を切り出した。
「執務に精を出せとは言いません。しかし、何もしないと方々に支障が生じるのです」
ドミニクは答えない。
視線は窓の向こうを見つめている。
「......先日、新たなレーベルが立ち上がりました。王国文学を題材とした小説を発行しているようです。私もいくつか読んでみたのですが、なかなか面白かったですよ。一般受けはまだまだ難しいでしょうが......どうですか、私のおすすめをお貸ししましょうか?」
その言葉に反応したのか、ドミニクは緩慢な動作で振り返った。
しかし、表情は虚ろで覇気がない。カールの話に心を揺さぶられたという訳ではなさそうだ。
予想以上に深刻な事態にカールは息を呑んだ。
「......伯爵、黙っていては何もわかりません。せめて何があったのか聞かせてください。大丈夫です。なにを言われようとも、私は誰にも口外いたしません」
しばらくの沈黙を置いてドミニクは口を開いた。
「......カール、お前は、『竜騎士の冒険譚』を覚えているか」
「もちろん、忘れるはずがないでしょう」
カールにとって、ドミニクの問いはまさに愚問だ。
『竜騎士の冒険譚』といえばもはやこのロマンタでは知らぬものはいないほどに有名な物語である。
そして二人にとってはそれ以上の意味を持つものだ。
『竜騎士の冒険譚』と出会ってから、二人の人生は急変した。仕事は枚挙に暇がないほど増えた。毎日が忙しくてたまらない。さらには『竜騎士の冒険譚』に触発された新たなる芽が至る所で息吹き、まだ見ぬ小説がそこかしこから湯水のように溢れだしてくる。もはや趣味の物語収集が生産スピードに追いつかないほどだ。
休日の度、ドミニクとカールはお気に入りの小説を持ち寄って嬉しい悲鳴を上げていた。
「『竜騎士の冒険譚』がどうしたのですか?」
「私はあの物語が忘れられない。あの後も新たに発表された小説を読んできたが、あの物語の読後感に敵うものはなかった」
「それは確かにそうですが......」
カールとしても否定しずらい話だった。
小説ブームが巻き起こって以降、ロマンタでは様々な小説が誕生した。そのどれもが素晴らしいものであったのは間違いない。だが、それでも『竜騎士の冒険譚』を超える物語に出会えたことは一度もなかった。
「それ故に、私は後悔している。私は決して許されない罪を犯した。そのことが頭から離れないのだ」
取り乱したようにドミニクは顔を手で覆った。
彼の豹変を見てカールは度肝を抜かれる。
カールにとってドミニクは大事な取引先である。そして同時に、かけがえのない同好の士であった。その付き合いは相応に長い。そんな彼から言わせてみると、ドミニクは決して許されない罪を犯すような人ではないし、そんな度胸を持ち合わせているほど大それた人物ではない。
だが、実際の所、ドミニクは私生活に支障を来すほど憔悴しきっている。
緊張からか、流れる冷や汗をそっと拭う。そしてカールはドミニクの肩に手を添えて、ゆっくりと語り掛けた。
「教えてください。あなたをそんなにまでして苦しめる罪とは何か。願わくば、このカールもともに背負わせてください」
「,,,,,,」
一瞬の間が空く。カールは決して急かさない。
そうしてしばらくの時が過ぎる。
決心が付いたのか、ドミニクはゆっくりと顔を上げると、小さく呟いた。
「私は、嫌われたのかもしれない」
「......なんですって?」
「私はっ、『竜騎士の冒険譚』の作者である少女に、嫌われたのかもしれないということだァッ!」
そうやって吠えるとドミニクはわんわんと泣き出した。
「......」
机に突っ伏してべそをかく友を前に、カールはすごく微妙な表情をしていた。
冷や汗などとうに乾ききっている。
その視線に気遣いはなく、どこか冷たい色をしていた。
「伯爵、あなたはまだそんなことを言っていたのですか。あれはもう気にしないと決めたではありませんか」
「しかし、やはり気になるものは気になるのだ!」
まるで癇癪を起した子供である。
カールはそう思った。
ドミニクが言っている罪。
それは、以前『竜騎士の冒険譚』の作者である少女をロマンタに連れてこようとしたことを言っているのだろう。
カールを介して行われた招待は、少女にすげもなく拒否された。
それどころか、その翌日には村からも忽然と姿を消していて、今や消息不明となっている始末である。
カールとしても言葉足らずであったことは反省している。
片田舎の少女にしてみれば、貴族などまったくの別世界の住人だろう。そんな人物から急に招待されたとしても普通は警戒をするはずだ。
猫のように聡明なあの少女であればなおさらである。さもありなん。
とはいっても、即日で出奔するのはいかなカールとて予想できなかったが。
村から帰還した後、カールがその旨をドミニクに伝えたところ、彼は酷く狼狽した。
彼としては自分に素晴らしい体験をもたらしてくれた少女に一言礼を言えたらそれでよかったのだ。
いや、あわよくばサインとか創作秘話とか資金援助とかいろいろ考えていたが、とにかく、少女のこれからの創作活動が上手くいくことを切に願っていた。それ故に応援したかった。
だが、現状はどうか。
『竜騎士の冒険譚』を発表して以降、少女は音沙汰がない。
それどころか消息も分からない。
どこぞで筆を執っているのか、そもそも生きているのか。
それすらわからない状況なのだ。
もし少女が筆を折っていたとしたら。
その原因は間違いなく自分にあるだろう。
ドミニクはそう考えていた。
少女がいかに物語を愛しているか。
『竜騎士の冒険譚』を読めばすぐにわかることだ。
そんな彼女から物語を奪った自分を、少女は決して許してはくれない。否、少女が許したとて、自分で自分が許せない。
ここ数ヶ月、ドミニクの頭の中はその事でいっぱいだった。
カールには考えすぎるなと諌言されていたが、それでも事が事だ。
ドミニクにって、考えるなという方が無理な話であった。
「もう私は無理だ......彼女なくして生きてはいけない.......」
「......実はその事でご報告があります」
ドミニクは構うことなく泣き続けた。
カールも無視して続けた。
「実は、このロマンタで少女らしき人物の目撃情報が上がっているのです」
ぴたり、と。ドミニクの慟哭が止んだ。
彼はおもむろに顔を上げてカールの仏頂面を凝視する。
「......なんだと?」
「つい先日のことです。冒険者ギルドに貴族の子女がお忍びで依頼を出しに来たと噂が流れておりました。一応、噂の真偽を確かめようと密偵を放った次第です。結果、件の貴族の子女と思わしき人物が見つかったのですが、その方と我々が探し求める少女の特徴が合致したのです。その他にも、ロマンタの各地で目撃情報が相次いでいます。最初は二等地区の宿に続き、次はスラム、冒険者ギルド、バザールと広範にわたって拠点を転々としているようです」
カールの報告を聞いているうちに、ドミニクの表情は加速度的に明るくなる。
その報告はドミニクにとって福音だった。
「確かなのか!?」
「はい、一部関係者に聴取を行いました。中には少女から物語を読み聞かせてもらったものまでいたとも」
「なんだと!」
「これはパリファ=スラム劇団の座長殿のことですね」
「なんと羨ましい......」
先ほどの悲哀から打って変わってドミニクの表情はころころと変わる。
嫉妬の炎に燃えそうになっていたドミニクはハッとして意識を切り替えた。
「そんなことはどうでもいい!いや、よくはないが今はいい!少女だ!少女は今どこにいるんだ!?」
デスクから身を乗り出して興奮したドミニクを前に、カールは言いづらそうに口をつぐんだ。
「どうした?早く教えてくれ!」
「......昨日の深夜、ロマンタを出立したようです。夜間警備をしていた門兵が城壁を乗り越える少女らしき人物を目撃したようで......」
目を逸らしながらカールは答えた。
カールとしては、ドミニクが落ち込んでいる理由を引き出せたことは僥倖であった。
だが、問題は内容だ。
カールが今日持って来たこの報告も、本来であれば、落ち込んでいるドミニクを励ますためのものだった。消息不明だった少女の生存を伝えて少しでも気が晴れたらと思ったのだ。
だが、蓋を開けてみればドミニクが落ち込んでいた原因は件の少女であった。これが保護の報告だったらどれだけよかったことか。現実は少女をみすみす取り逃し、再び消息不明に陥らせてしまったのだ。
わざわざ上げて落とした形になる。
これでは今回の報告がトドメになりかねない。
忸怩たる思いでカールはドミニクの反応を待つ。
だが、そんな懸念に反して、ドミニクが絶望することはなかった。
「ふ、ふふっ」
カールは気が付いた。
デスクに両手をついたまま項垂れる彼の肩は小刻みに揺れていた。
「――わっははははッ!真夜中に脱走とはッ、想像通り、勇敢で気概に溢れる素晴らしい御仁だ!カールよ!いつでも出られるようにしておけ!私は可及的速やかに溜まっている仕事を終わらせる!」
そう言って、ドミニクは先ほどまでの抜け殻っぷりが嘘のように覇気に満ちた顔でデスクに向かった。
「よーしッ!速攻で終わらせるぞッ!」
「お、お待ちください。伯爵、出られるようにしておけとは?いったいどこに行こうとしているのですか」
「決まっている!我々は少女――否、先生を追って王都に向かうのだ」
そう断言したドミニクの目は本気だった。
「なぜ少女が王都に向かったと分かるのですか?」
その根拠はいったいどこから...?
言外に込められた質問に、ドミニクは呆れたように肩をすくめた。
「私がこの数か月間どれだけ先生のことについて考えたと思っている。忌々しきあの日、出奔した先生は何の目的でそこに向かったのだと思う?たとえ希望的観測であっても、私は己を慰めるために考えざるを得なかった。だが、それがいま生きた。お前の報告を聞いて確信したが、先生は見聞を広めるためにこのロマンタに来た。様々な地区を転々としているのがその証拠だ。物証はない。だが確信はある。更なる密偵を放て。もっと興味深い話が集まるはずだ。......そしてこの王国でも有数の都市となったロマンタより見聞を広められそうな場所といえば数あるが、その中でも地理的にもっとも行きやすく、かつロマンタにはない魅力があるのは一つ......」
ドミニクはニヤリと笑って、
「それはもう王都しかあるまい」
そう断言した。
ドミニクの話を聞いて、カールは唖然とする。
先ほどとは違う意味での豹変ぷりに開いた口がふさがらない。
「伯爵、しかし......」
思わず反論しようとして、ふと考える。
説き伏せるのは簡単だ。
ドミニクの言う通り、あまりに希望的観測がすぎる。
確かに王都は文化的にも学術的にも魅力溢れる都市ではあるし、王国人なら一度は訪れたいと考える場所ではあるが、言ってしまえばそれだけである。
ドミニクが語るのはあくまで妄想でしかなく、なんら根拠のない妄言に近い。
しかし、ここで無駄にやる気を削ぐのも忍びない。
話がこじれてまた執務を投げ出されると厄介なのも事実だ。
そして少女に再び会いたいのはカールとて同じである。
少女が王都に向かったか否かは半信半疑だが、見つかれば儲け。見つからなかったらその時考えればいい。
ここは彼の言う通りにしよう。
一瞬のうちに結論を出すと、カールは了承の意を告げて部屋を退出する。
ドミニクの希望的観測だけで動けるほどカールも暇ではない。彼の執務が終わるまでに少しでも行方に関して手掛かりがないか調査するのだ。
そうして。
執務室に残されたのは、やる気に満ち溢れたドミニクと、そんな主の急変に度肝を抜かれた執事だけだった。
◇
ロマンタの城門を馬車の隊列がくぐり抜ける。
先頭を進むのは豪商カールの馬車だ。
もともと有力な商人ではあったが、ここ最近ではカール文庫を立ち上げて急速に商会の規模を拡大している。今では王国小説文化を牽引する筆頭商会となっていた。
その少し後ろに列をなすのは、豪商カールの馬車以上に豪奢な馬車。掲げられているのは白い野薔薇の紋章。
ロマンタを統治するドミニク伯爵のものだ。
通行を妨げないよう、脇に逸れていた人々は物珍しそうに眺めるが、それ以上はない。
彼らの仲はロマンタでは有名だ。仕事しかり、プライベートしかり。今までも連れたって諸国漫遊に出かけたりもしていた。今更物珍しいということはない。
ついこの間までドミニク伯爵が病を患っているという噂も流れていたが、そんな風聞を払拭するように、最近は精力的に公務に励んでいるようで。
今回の外出もその一環だろう。
馬車が去ると、彼らは興味を失ったようにいつもの日常に戻っていく。
だが、そんなロマンタから出立した貴族の御一行を見送ったあとも、日常に戻らない者たちがいた。
「なあ、ほんとに追いかけるのか?やっぱりやめた方がいいと思うんだが......」
「同感だ」
「何言ってるんですか二人とも!私にはわかります、あの馬車が向かう先に私の神がいるのだと!」
城門を抜けた先。草むらの中。
赤、青、白の彼ら――今を時めく『勇ましき剣』は、道の向こうへ消えていく馬車を眺めがら密談を交わしていた。
「まったく、さっきから後ろ向きなことばっかり言って!そんなんだからブルストはいつまで経っても金等級のままなんですよ!」
「それは今関係ないだろ......」
数ヶ月の新米期間経て『勇ましき剣』は着々とその頭角を表し始めた。ブルストなどは元の実力は申し分なかったこともあって、今ではギルド内でも上位に位置する金等級に昇格している。
だが最近は伸び悩んでいると専らの噂だ。
ブルストは肩を落として落ち込んでいる。
コールは背中を叩いて慰めてやった。
コールとしてはまだまだ成長途中なのだから気にするなと言いたいが、向上心の塊であるブルストにはなかなか響かない。
仕方ないので、無理やり話を本筋に戻すことにした。
「プシー、すまないが、もう一度君が言っていた少女のことを教えてくれないか?」
「もうっ、コールったら仕方がないですねっ!時間もないので手短に言いますが、あの子は私の神さまだったんです。しかし、愚かにも私は不敬を働いてしまいました。申し訳なさで今にも胸が張り裂けそう。嗚呼、私はなんと愚かだったのでしょう。なのでっ、私は再び神さまに会って許しを請わないといけないのです!」
「......待ってくれ、急展開が過ぎる。百歩......いや千歩譲って少女が君の神だとして、なぜあの馬車の行く先にその少女がいると思うんだ?」
「乙女の勘です!」
「......なるほど」
プシーが話してくれた内容はつい先程ギルドの酒場で聞いたものと全く同じだった。
なのに、全く同じ話を二回聞いたのに理解できなかった。支離滅裂な内容だ。思わず頭を抱える。
コールは己の理解力がないのかとブルストを見る。
ブルストも首を捻っていた。おてあげだ。
「むふーッ!今から神さまにお会いするのが楽しみでなりません!お会いした暁には必ずやわたしの愛をお返しいたします!あんなことやこんなことも......!ああ、もう。想像しただけで身体が......ぁあッ!」
身体を掻き抱いて何やら身体をビクつかせている。明らかに正気ではなかった。
何か反論しようにも、今の彼女に何を言ってもどうしようもない気がする。
コールとブルストはそう思った。
「あっ!急がないと馬車を見失ってしまいます!ほら、早く早く!急ぎましょう!待っててください、我が神よ!このプシーが今、あなたの元へ馳せ参じます!!」
そんなことを叫びながらプシーは馬車を追って走り出した。後衛職とは思えないほどの健脚だった。これが信仰心のなせる業なのか。
「......なあ、プシーってこんな感じだったっけ?」
「いや、違う気がする......」
釈然としない様子で二人は顔を見合わせる。
仕方がないとばかりにため息を吐いた。
惚れた弱みだなぁ、と。
奇しくも同じことを考えながら、二人はプシーを追いかけ始めた。
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