新たな国 ☆6☆


「リーズ、わらわは疲れた」


 シュエが足を止めてリーズに向かって手を伸ばす。もちろん、疲れはいないが、こう言えば彼が抱き上げてくれることを知っている。


「では、こちらへ」


 ひょいとシュエを抱き上げる。子どもは羨ましそうにリーズとシュエを見上げていた。


「リーズ、もうひとりいけるじゃろう?」

「ええ、もちろん。抱っこしますか?」

「えっ、ええと、……いいの?」

「もちろんじゃよ。案内は抱っこされていてもできるじゃろ?」


 ぱぁっと表情を明るくする子どもを見て、リーズが抱き上げた。右腕にシュエ、左腕に子どもを抱き歩き出す。


「この坂の上が、目的地ですか?」

「うんっ、きっとお客さんたちも気に入ると思う!」


 子どもはそう言って笑顔を見せる。リーズは息を切らすことなく上り坂を歩く。そして、坂の先に待っている景色を見て、シュエとリーズは大きく目を見開いた。


「これは見事じゃな!」

「ええ、海がとても綺麗に見えますね。満月の日は見応えがありそうです」


 シュエはうなずく。水平線が良く見える。そして、街並みも。


「そなたはこの街で暮らしているんじゃなぁ……」

「そうだよ! お客さんたちは、どんなところに住んでいたの?」

「そうだのぅ……どこじゃと思う?」


 じっと海を見つめるシュエに問いかける子ども。シュエはちらりと視線をやるとすぐにふっと表情を緩めて逆に問う。


「えー、わかんないよ」


 むぅと頬を膨らませるのを見て、シュエは八重歯を見せて笑う。そして、再び視線を海に戻した。


「ここよりもずーっと遠いところじゃ」

「ずーっと?」

「うむ」


 子どもは首を傾げてシュエの視線の先を追う。


 この場所は子どもにとってとても大切な場所だ。ずっと仕事ばかりしていた両親が、『今日は特別よ』と一日だけ仕事を休んでつれて来てくれたところだから。だからこそ、自分よりも少しだけ年の離れているように見えるシュエが『ずっと遠く』から来たと聞いて、目を丸くして彼女の顔を見つめた。


「さびしくないの?」

「目新しいことがたくさんあるから、さびしさはあまり感じんな」

「そういうもの……?」


 意外そうに目を瞬かせる子どもに、シュエはくふくふと肩を震わせて笑う。


「リーズもいるしのぅ」

「お兄さんといるから?」

「……のぅ、わらわとリーズはそんなに似ておるか?」


 シュエの問いに、子どもは素直に首を横に振った。それを見て、シュエはホッとしたように息を吐く。


 これで似ていると思われていたら、この世界の人たちの視力を疑っていた。


「でも、一緒にいるから、家族なのかなって」

「ああ、そういう解釈もあるんじゃな……。まぁ、家族と言えば家族じゃ」


 むしろ家族より長い時間を共にしているのでは? と思いリーズを見上げると、彼は小首を傾げた。彼の前髪がさらりと流れるのを見て、シュエは唇を尖らせる。


 なぜそんなに髪がさらさらなのか、と。


「兄妹じゃないなら……夫婦?」

「待て、なぜそこに飛んだ」


 シュエが思わずと言うように鋭い言葉を放つ。子どもはびくっと肩を震わせて、ぎゅっとリーズの服を握った。


「だって、家族なんでしょう?」

「そこで『夫婦』が出るのが謎なんじゃが」

「じゃあ、婚約者?」

「さてはお主、そういう絵本を読んだな?」


 バレちゃった? と子どもはバツが悪そうに視線を明後日の方向にやった。


「前にお母さんに読んでもらったことがあるの。歳の差のラブストーリー」

「それ本当に絵本か?」

「この世界の絵本事情が気になってきましたね」


 一体どういう内容の絵本だったのか、聞きたいような聞きたくないような、とシュエが悩んでいると――


 小さな、声が聞こえた。


 いきなり黙り込んだシュエに、子どもが声を掛けようと口を開ける。その気配を察し、シュエは口元で人差し指を立てた。


「静かに」


 と目で子どもが声を出すのを封じた。子どもは口を両手で覆い、こくこくとうなずく。


 リーズを見上げるシュエ。彼は小さくうなずき、シュエを下ろした。


 シュエは目を閉じて、耳を澄ませる。


 ――たすけて


 そう、確かにそう聞こえた。


「リーズ、わらわは先に行く。急を要するようじゃ」

「かしこまりました。お気をつけて」

「え、お客さん!?」


 子どもがシュエに手を伸ばす。シュエはひらりと手を振って、地面を蹴って高く跳び上がる。


 空中で耳を澄ませて、先程の声の主を探す。声を出すのもつらいのか、うめき声が風に乗ってシュエの耳に届いた。


「やはり、困っている人は捨て置けんな」


 それが偽善だと言われたら、そうなのだろう。だが、シュエは人助けをやめるつもりは毛頭ない。


 助けられる人が助ける。それだけの話だから。


 声のしたほうへ顔を向けると、数人の大人が小さな子を囲んでいた。


「あそこか。まったく、なにをしておるんじゃ、あの大人たちは」


 呆れたように呟いてから、シュエはすっと扇子を取り出した。


「んーと……、このくらいかのぅ?」


 そして、その扇子を閉じたまま投げる。勢いよくシュエの狙った場所へ飛んでいく扇子は、どうやら大人たちを驚かせることができたようだ。


 空中を歩くようにゆっくりと足を動かしていたシュエは、「なんだこの扇子! 地面に刺さってるぞ!?」と声を荒げる大人たちに近付いて行く。


 ――すとん、と軽い足音を立てて地面に降り立つシュエに、大人たちは目を大きく見開いた。

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