第33話 晴天の霹靂

 このパソコン課には素敵なパソコンが創りたいという夢を持って様々な技術者たちが集まっていた。

 その夢はパソコンというものにかけらも興味がない事業部長のコンパチ路線つまりは他社のパソコンの真似だけをしろという方針で徹底的に叩き潰された。

 上位機種として創られたラインナップはただパソコンの機能を持っているだけという何の面白みも新機軸もないシステムで人気はでなかった。


 U先輩はその中でも異色の一人であった。

 彼の望みは超高精細画像が扱えるパソコンである。

 U先輩がいつも新しいパソコンを提唱するので、間抜けの代名詞であるコンパチ命を唱える事業部長以下管理職の面々は彼を嫌った。最後にはたった一人だけの課に押し込んで、村八分状態にした。

 だがU先輩は諦めなかった。

 たった一人で部材を集め、実験室のお一角に居座って、畳一畳分の大きさがある試験基板を周囲の管理職の冷たい視線の中で組み上げた。

 それが面白いので新人たちは毎日覗きに行った。

 では三次元データ生成用のソフトは私が作りましょうかと提案したところで、課長気どりのF主任の登場である。

 じろりと新人たちを睨むと怒鳴った。

「ちょっと目を離すとすぐサボりやがる。お前たち、仕事しろ。仕事。ここにはもう近づくな!」

 F主任は別の課の人間なのだが、なんとか自分は管理職に向いているとアピールを欠かさない。誰かれ構わず上から目線の号令を出すという悪い癖があった。

 新人が入った直後には新人教育をやるからと言って新人を集め、たった一回で飽きたのかそれで後は放り出すという勝手な人間でもあった。


 こうなるとU先輩を手伝いたくても手伝えない。

 自分の仕事でもないのに日に何度もF主任が巡回して来て、U先輩が一人であるのかどうかを監視するのだ。

 何かU先輩に恨みでもあったのだろうか?


 U先輩はついにたった一人で試作ハードを完成させた。当時どこにも無かった超高精度でなおかつ各ピクセル六万色発色可能という当時では珍しいスーパー・グラフィックスボードだ。

 一人でレイトレーシングによる3Dデータも作った。出来上がったのは金属光沢を持ったロボットの絵だった。それを90度回転させて四枚をそれぞれ切り替えると、ロボットがぐるぐると走り回る回るアニメーションになった。

 当時の技術でこんな絵を作ったのはこの人が初めてだ。その画像は見る人に強烈なインパクトを与えた。


 U先輩がどれだけの物を創ろうが、事業部長に睨まれていては決して取り上げて貰えない。彼は仕事の成否よりも自分に逆らうかどうかで相手を判断する典型的な独裁者であった。

 そこでこの半導体事業部に見切りをつけて、U先輩は本社の事業部にこのシステムを見せにいった。

 畳半分の大きさがある二枚構成の試験基板である。専務に深夜のアポを取り、夜中の十二時にタクシーの運ちゃんに手伝って貰って試験基板を専務の自宅に運びこんだ。


 その結果、パソコン事業自体が本体の事業部に吸収される羽目となった。

 大変動である。


 当時半導体事業部は半導体サイクルと呼ばれる値段変動の煽りを受けて累積赤字が四十五億円(現在の百億円相当)であり、会社の重荷と見なされていた。

 後年このときの試験基板を元にして本体事業部で新しく作られたパソコンは原価率が二百パーセント。つまりは一台売るたびに一台分赤字になるという楽しい状況になった。この新発売にかかったお金が計算してみると約四十億円である。

 つまり本体事業部の課長がハンコ一つついて四十億円の赤字を作ることは許されても、半導体事業部の事業部長の累積赤字四十五億円は許されない。それぐらい二つの事業部の力には差があった。

 それを自嘲するかのように半導体事業部にはこういうセリフがあった。

『士農工商半導体』


 さて、パソコン事業を手に入れた本体事業部は元のパソコン部隊の全員を欲しがった。当たり前である。官公庁に納入する大型演算機についてはノウハウがあっても、パソコンはまったくの素人なのだ。人材は喉から手が出るほどに欲しい。

 だがこれに異を唱えたのが半導体の事業部長だ。

「俺の部下がいなくなるじゃねえか!」

 こう怒鳴ってただの一人も渡さないという構えを取った。

 結果として向こうに渡されたのはU先輩とその上司、他にはたった二名だけだった。とても信じられない状況である。

 一名はパソコンが創れないならただちに辞めてやると宣言したW先輩であり、もう一名は以前から深夜の実験室で二度火事を出した上で管理職に暴言を吐き徹底的に嫌われていた非常識マンのH氏であった。

 H氏が向こうに行けると分かり、残されたほぼ全員が歯噛みした。

 あいつが行けるぐらいなら俺ももっと強く言えば良かったとの声があちらこちらで起った。

 だがすべては後の祭りである。


 それからは大激変が続いた。


 パソコンが創れなくなり、失望の中で大勢の先輩たちが辞めて行った。

 そのときのセリフはこうである。

「俺はパソコンが創りたくてここに入ったんだ。事業部長が好きで入ったんじゃない」

 確かにそうだ。

 部下を失いたくなかった事業部長は結局は大勢の部下を失う羽目になった。机を叩いて怒鳴ることしかできない人物が、部下を繋ぎとめようと夢を見ることがそも間違いなのである。

 無理を通そうとした結果が大勢の人間の不幸を作りだしてしまった。もっとも本人としては自分は一方的に事業を奪われた被害者のつもりなのだとは思う。


 私も辞めたかったが、腕も何もない新人が贅沢を言うのは間違っている。三年はここで学び、それから転職しようとそう考えたのだ。


 なんと謙虚なこと。今から思うとそれが大きな間違いだったのだが。



ー暇話休題ー


 この上位機種シリーズ。人気もない上に創る上でのポリシーもないのでほぼバージョンアップされなかった。いくら新しいものが出ても、前の機種と比べてRAM容量が大きいぐらいで後は何も変わらないのだ。

 ところがこの面白くもないパソコンシリーズは工場での工程制御用のパソコンとして引っ張りだこになった。当時はFAという言葉すらなかった時代である。

 何年経とうが仕様が変化しないのは、一度ソフトを作った後は同じラインで十年二十年は動かし続ける工場という環境にはぴったりだった。

 パソコン本体がバージョンアップされてしまうと、また一から制御用のソフトを作らないといけなくなるので使う側に取っては迷惑でしかないのだ。

 最後には生産終了したこのシリーズを求めて、中古市場でまとめて買い占める者まで出る始末であった。

 世間はどのような所で需要が出るのか分からない。

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