第3話 餌付け。

 最初の旦那様とも、良くこうして一緒にお食事をしましたが。


「どうして食べさせたいのでしょうか」

『しっかりと食わせている安心感が有る、先ずは健やかになって欲しい』


「では、私には他に何が出来ますでしょうか」

『ココに居るだけで構わない』


 最初の旦那様と同じ言葉。

 目の前の彼は私への好意は無い筈なのに、同じ様に言っている様に思えて。


「すみません」

『どうした、具合が良くないか?』


 何を、どう説明したら良いのか。

 とても胸が苦しくて、悲しくて、どうしても涙が止まらなくて。


「すみません」

『謝らなくて良い、泣く程に辛い事を思い出したなら当然だ、泣いて構わない』


 私の中に、優しいと辛い、2つの言葉が一緒に有って。

 前は辛いだけで、その方が楽だったのに、今は酷く苦しい。


 悲しい、辛い。

 優しいは辛い、怖い。


「ごめんなさい」




 俺は、何を間違ったんだろうか。


『優しくしたつもりだったんだが』

「時に優しさが辛い場合も有るそうで、それかと」


『優しくして泣かれた事が無いんだが』

「僕も無いですけど、爺様はどうですか?」


《不憫で、堪りません》

『爺よ、頼む、泣かずにどうか、侍医として詳しく教えてくれないか』

「お茶を用意させましょう」


『あぁ、頼んだ』


 それからどうにか一服し、やっと話し初めてくれたが。

 俺には想像も及ばない、全く理解が難しい状況なのだ、と。


《では、酷く飼われていた犬が人に怯えるのは》

『あぁ、市井で見た事は有るが』

「レウス様は飼い主を罰し取り上げましたが、その後はご存知無いかと」


《仔犬ならば直ぐにも懐きますが、成犬ともなると懐くまでに非常に時間が掛かるのです。それこそ仔犬の倍以上に時間を注いでやらねばならない、人も犬も信用第一、かなりのお時間を要するかと》


「であれば、それなりに接しそれなりに過ごして頂き、程良い頃合いに修道院を巡り、修道院入りして頂くのが最も楽かと」


『俺は、楽さを望んでいるワケでは』

《彼の言う事は尤もですよ、的を射ております。生半可な気持ちで関わっては、誰の為にもならないのですよ》

「はい、流石爺様ですね」


『なら俺は、彼女に報いる事は出来無いのか?』

《望む事を怯える者も居るのです、そう教えられた者、そう思い込んでしまった者。そうした者を救うには貴方様は忙し過ぎる身、どうか大局を鑑みお考え頂けますよう》

「僕からもお願いします、興味本位は猫をも殺すそうですから」


『考えておく』


 考えながら、クロエの元へ。

 もう直ぐ餌付けの時間だ。


「レウス様、僕は言いましたよね?」

『餌付けはお前が提案した事だろう』


「愚策だったと大変反省し後悔を」

『クロエ、入っても構わないだろうか』


 戸を叩き暫くすると。


《すみませんがお坊ちゃま、どうにもお会いする事は難しいかと》

『何故だばあや』


《レウス様に合わせる顔が無い、と、何かを思い出されては泣き続けてしまうのです》


『なら、だからだ、話を』

「レウス様!そうしたお時間が有るなら!正妻を迎え入れる手筈を整えて下さい!」




 大声が聞こえたので思わず部屋を出ると。

 新しい旦那様の側近の方は倒れ、旦那様はすっかり怒ってらっしゃって。


『すまないクロエ、騒がせた』

「あの、側近の方が言う事は尤もだと思うので、僭越なのは承知なのですが、どうかお怒りを」


『君が謝る必要は無い、さ、持ち上げるぞ』


 頭を下げても、彼には容易く体を持ち上げられ、抱えられてしまい。


「あの、どうかお許しを、下ろして頂けませんか」

『コイツの代わりに謝らないなら下ろしてやる』


「では、正妻の方を迎えるご準備をお願い致します」

『なら、お前を正妻にしてしまうか』


「無理です、分不相応どころでは有りません、是非王家を支えられる方をお迎え下さい」


『だそうだ、どうする』

「僕は、クロエ様と共にお選び頂ければと、新たに進言させて頂きます」


『お前』

「選ぶ事すらも、私には分不相応かと」

「いえ、貴女様なりのお考えを、レウス様と共に僕に教えて頂きたいんです。貴女は賢く優しく正直だからこそ、どうか、お願い致します」


「一体、私の何処に賢さを」

『分かった。頼むクロエ、付き添うだけでも構わない』


 先程までお怒りだった筈が、すっかり機嫌が良くなってらっしゃってるんですが。

 コレをお断りしたら、私はこのまま落とされるか、投げられてしまうんでしょうか。


「付き添いだけなら、はい」

「ありがとうございます」


『よし、ではオヤツの時間だ、良いな?』

《では下ろして差し上げて下さい、坊ちゃま》


 やっと下ろして頂けて、軽食を食べさせて頂く事に。


「あの、どうしてケンカなさってたのでしょうか」

『少し行き違いが有ってな、それにクロエの部屋の前で大騒ぎをした罰だ、後で労っておくから気にするな』

「大声は偶に出る僕の悪癖なんです、失礼しました、僕が至らぬだけですから、どうかお気になさらず」


「あの、差し出がましいのですが」

『あぁ、出来るだけ暴力は無し、話し合いで解決する様、鋭意努力させて貰う』


「はい、宜しくお願い致します」

『次は何が良い、サンドか、クッキーか』


「では、次はその、魚のサンドでお願いします」




 レウス様は正義感が強く、良く側近とぶつかり合うのですが。

 最近ではクロエ様を介す事で、万事順調の様でして。


 クロエ様はお怪我もすっかり治り、順調にお体に肉が付き始めまして。


《爺は安心致しました》

「いつも僕の事を気に掛けて下さって、ありがとうございます」


《君は策略が上手いんだ、どうして今まで、もう少し上手く立ち回らなかったんだろうかね》

「あまり計略が過ぎると彼にもっと怒られてしまうので、ギリギリの匙加減だったんですよ、アレでも」


《だとしてもだ、もう少し身を大切には、難しいか、クロエ様の様に》

「お陰でレウス様よりお話し頂けてますから、何も全て悪い事でも無いものだなと、爺様には感謝していますよ」


 彼もまた、虐げられていた者の1人。

 しかも王族の血縁者が害していた者、昔はもっと愛想が悪く、それこそクロエ様の様に表情も殆ど出ず。


 そこを側近にと召し上げたのが、レウス様。

 王族に対し厳しく考えられる者を1人は近くに置くべきだ、と。


《恩を感じるのは構わないが、どうかアレを上に、等とは考えないでおくれ。アレは戦をしてこその者》

「分かってますよ、素養が有る方は他に居ると、良く存じていますから」


《信じておりますよ、さもなくば恨み化けて出てやりますから》

「はいはい、そう言う方に限って長生きするんですから、憂慮等せずご自愛下さい」


 憂慮で終われば良いんですが。

 どうにも、歴史とは繰り返すものだ、と年寄りは思わずには居られないのですよ。




「あの、かなり体も元に戻りましたので、そろそろ」

『まだまだだ、そんなに嫌か、俺に食わされるのが』


「そう、こうしてお顔を向けさせられるのは嫌です」

『泣き顔を見せたく無いとは、謙虚で控え目だな、クロエは』


 私を抱き抱えた後、頭を撫でて、また顔を向けさせられて。


 私は、新しい旦那様のお顔を見てしまうと、どうしても泣いてしまって。

 けれど理由も何も分からないので、ただ、お顔を見ない様にするしか無く。


 なのに。


「どうして、意地悪をなさるんでしょうか」

『そう涙を溜めた顔がいじらしいからだな』

《お坊ちゃま》


『すまん、意地悪が過ぎた、泣かないでくれクロエ』

「なら、顔を向けさせないで下さい」


『泣くのは嫌か』

「泣くのは良い事では無いと、煩わしいかと」


『煩わしさは、有るが、それはお前に対して思う事では無い。どうして泣くのだ、クロエ』


「分からないんです、すみません」

『理由が分からないのか?』


「はい」


『では、どんな言葉が浮かぶ』


「優しい、辛い、怖い、です」


『誰を思い出す、正直に言ってくれて構わない。俺を含め、クロエが4度婚姻したのは知っている、それに関連する事で俺はお前を怒らない』


「初めての、旦那様です」

『そうか、どんなヤツだったんだ』


「優しいとは何か、平穏や幸せについて、教えてくれた方でした」


『恋しいか?』


「恋しい、とは、会いたい、で宜しいでしょうか」

『あぁ、そうだな』


「少し、どうしてらっしゃるのか、見てはみたいです、お元気か、知っても、どうにも出来ませんが」

『会いたくは無いのか』


「新しい奥様がいらっしゃったら、お邪魔する事になるので、はい」


『もしクロエが未婚で、向こうは妻を迎える事も無くクロエを待っているとしたら、どうする』




 俺は、意地悪な事を尋ねている。

 俺の側室となり、共に正妻も選んだ責任を感じていると知りながら、酷い事を尋ねている。


「本当に」

『誓う、ばあやにも爺にも神にも誓って、クロエを痛め付けない』


「お話し合いは、したいと思います」

『ふふふ、そうか、クロエは本当に賢いな。良い答えだ、俺も使う時が有れば真似させて貰おう』


「誰かいらっしゃるんですか?なら」

『いや、残念だが居ない、会いたいと思う様な相手は手元に置くしな』


「そうですか」


『何だ、選んだ正妻に自信が無いか』


「正妻が側室を選ぶとは聞きますが、側室が正妻を選ぶだなんて」

『それが嫌なら断れば良い、そう選ばれた事に甘んじ王宮入りするなら、相応の振る舞いをすべきだ。それが出来ぬ者なら、また選び直せば良い、心配無い、例え失敗しても取り返せる失敗だ、問題無い』


 言葉を尽くすのが如何に大切か、クロエは俺に分からせてくれた存在だ。

 物言わぬのは足りないか相応の理由が有るか、相当に愚かか。


「はい」


 この可愛いクロエを、俺は抱く欲は無い。

 だが腕に小さく収まり、素直に撫でられてくれる事には、寧ろ喜びさえ感じる。


 もし、相応な正妻を迎え入れられた暁には。

 クロエを手放し、隣国に送り出すつもりだが。


 向こうは今でも愚かな国で、愚かな元夫はただ待ち続けているのかと思うと。

 どうにも素直に譲る気にはなれない。


 クロエには相応の幸せを得て欲しい。

 女としてで無くとも、何処であろうとも。




《クロエ様、本当にそうお待ちにならなくても》

「いえ、折角ですから」


 私とレウス様の正妻選びは、失敗してしまいました。

 正妻の方が王宮入りしたので、私は側室として1番にご挨拶に伺ったのですが、廊下で待たされています。


 何の理由も告げられず。


 ですが私は試金石だ、と。

 レウス様からも側近の方からもお墨付きを頂いてるので、試金石としてお役に立てるなら、私は喜んで待ち続けます。


《クロエ様》

「座ってて大丈夫ですよばあや、と言うか座っていて下さい」


《仮にも私は侍女ですよ、確かに年は取ってますけど》

『あら、すっかり忘れていたわ、どちら様だったかしら』


 私とレウス様が選んだとは、知らされていないんでしょうか。


「レウス様と共に貴女様を選んだ側室のクロエと申します」

『知ってるわよ、コレだから学も教養も無い愚か者は皮肉の1つも分からないね、本当、困るわ』

『あぁ、俺も困るよ、こんなにも愚かで心根が醜い女を正妻にしたと知られるのはな』


『そ、あ』

『どうだクロエ、近衛の衣装も似合うだろう』


「はい、大変お似合いです、レウス様」


 レウス様は多分、彼女の性根が悪いと知ってらして、敢えて私に隠して正妻にと指名したんですね。

 どうしてこうも意地悪なさるんでしょうか。


『コレが正妻では国としても困るんだが、どうする』

「僕の意見で構いませんかね」


『おう、頼んだ』

「先ずはこんな者が正妻候補として書類が上がった事がおかしいので、書類の不備を疑って片っ端から捜査させて頂いて、この方には病で辞退して頂きます。かように酷く下品で稚拙で愚かで性根が腐りきったどうしようも無い方が再びレウス様の正妻となっては、レウス様と王家の名に傷が付いてしまいますので、何を措いても病で辞退して頂き、舌を切り取り一生軟禁されて頂こうかと」

『違うんです、私はただ、ただ言われた通りにしただけで』


『誰に言われた通りにしただけなんだ?』


『そ、それは、どうか舌を切るのだけは』

『今全て言えば許してやるつもりだが、どうする?』

「あの、私、ココで下がらせて頂いても宜しいでしょうか」

「はい、ありがとうございました、クロエ様」


「では、失礼致します」


 この側近の方が、多分、この筋書きを考えた方なんでしょうね。




『助かったぞ、クロエ』

「私、最近知ったのですが、コレは猫可愛がりと言うそうで」


『そうだな、俺は猫に触れないんでな、クロエは猫だ』

「猫は自分で餌を食べられますが」


『なら雛鳥だ』

「だから私を謀ったんですね、愚か者だからと」

「そこは少し違いますよ、僕がお願いしたんです、すみませんでした」


「次も、ですか」

『いや、次こそ本気だ』


 クロエがむくれる顔を、初めて見たかも知れない。

 僅かにムスッとし、黙り続け、すっかり外を見て。


「すみませんクロエ様、レウス様は最初は反対したんですが、僕が口説き落としました」


「お国の為なら、構いませんが、私に言わなかった理由は何か教えて頂けますでしょうか」

「言わない理由が無いとクロエ様が気付くかどうか試させて頂きました、それから正妻選びを本格的に行った方が、周りも安心ですから」


「分かりました」


 性根が良く、物分かりが良くて賢さも有る。

 勿体無い、どうして実の家族はこんなにも勿体無い事を。


「ご理解頂けて助かります」


 いや、コイツと同じ理由か。

 賢さが鬱陶しかったか、当主の脅威だと思われたか。


 真相を知るのは、無理だろうか。


『次は本当に頼む、クロエ』

「はい」


 理屈さえ分かれば、騙された事を根に持たない。

 クロエは本当に良い子なんだが。


 コレで正妻が本決まりとなれば、死別を除き3度目の離縁をさせてしまう事になる。

 本当に、それで良いんだろうか。


「では、明日から宜しくお願い致します」

『今日はゆっくり休んでくれ』

「はい」




 クロエ様とレウス様は寝室も何もかもが別、清く白い婚姻のまま。

 レウス様は離縁後、修道院か元夫へ送り出すか、と考えている。


 けれど、それは。


『はぁ』

《せめて正妻様が王宮入りしてから、先の事を考えて下さいませ》


『爺は俺の事なら何でも分かってしまうな』

《長年の勘で御座いますよ、頭の良さとは別物です》

「成程、では僕の考えを当てて頂けませんか?」


《お前さん、全く、ワシに言わせないでくれないか》

『どう言う事だ?』

「そろそろ僕の考えを読める様になって下さいよ、レウス様」


『全く分からん』

《あの方の下賜を考えているのだろう》

「はい」


『は、お前』

「少なくとも、王族の側室よりは楽ですよ、僕の嫁は」

《やれやれ、ワシは下がらせて貰うよ》


『どう言うつもりだ』

「アナタこそどう言うつもりですか、飼われていた小鳥は野生には戻れなくなるんですよ」


『だが』

「待つ者が居なかった場合、適任で無いなら、です」


『アレを抱けるのか、お前は』

「はい」


『お前、いつから』

「最初からですが何か問題でも」


『そう、お前はそう言う目で』

「最初のお姿は流石に無理ですが、まぁ、今は有る程度まではお育ちになってますし」


『お前と言う奴は』

「拾ったら最後まで面倒を見る、アナタが言ったんですよ」


『だが』

「3度も離縁をした女に手を差し伸べる者は限られます、アナタが考える幸せを与えるには、修道院では不足かと」


『愛せるのか』

「望まれれば」


 彼女が望む幸せや平穏を、最初に婚姻を果たした者が与えられる、とはどうにも僕には思えないんです。

 この国まで轟いた隣国の大粛清、その悪事に関わった悪女へ求婚した後、クロエ様のご実家を潰した人物が最初の夫なんですから。

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