第3話 落城。
知り合い夫婦は確かに僕の味方の筈、けれども知り合いが連れて来た相手が、実に厄介だった。
「クロエ様が難攻不落だからこそ、単に手に入れたいだけでは?」
『だとしても僕は、手に入れた後も大切にするつもりでいる』
「未だにお心を開いてらっしゃる様には見えませんが、どう、大切にするおつもりなんでしょうか。クロエ様の好きな色は、ご存知ですか?」
『それは、今はクロエに好きな色が無いだけで』
「では好きな色が無いまま、とは考えてらっしゃらない」
『それは』
「では少しも、変わる期待は無いんですね?他のご令嬢の様に悲しみ、時に物を強請り、喜びはしゃぐ姿を望まないんでしたら、助言を差し上げられますが、どうなんでしょうか」
『僕はただ、彼女に幸せに』
「アナタ様の考える幸せとクロエ様の幸せは、同じなんでしょうか」
『クロエはまだ』
「もしかして、人を容易く変えられるとでもお思いですか」
『そんな事は思っては』
「でしたら、変えられる自分は凄い、と自信を取り戻したいのでしょうかね。不出来な姉の方に求婚なさった不手際を帳消しにする為、繕う為、では無い。と、どう証明なさるのか、教えて頂けますかしら」
僕は反論する事が出来ず、友人夫婦に慰められる事態となってしまった。
そうしてクロエへの気まずさが湧き、仕事の忙しさが相まって、再び会うまでに時間が空き。
「今日は、すみません、体調が悪いので」
『なら医師に診せよう』
「そこまででは無いので」
『なら付き添わせて欲しい、気を紛らわす手伝いがしたい』
「そこまででも無いので」
『なら一緒に居たい』
「物静かだから、ですか」
『この2年、君を嫌だと思った事は無い、無知で物知らずだとしても君は賢く』
「なら愚かになったら捨てるんですよね」
彼の目の曇りが晴れる言葉を、彼の知り合いの知り合いが沢山教えてくれた。
彼の為、家の為、私の為にと。
彼女の言う通り、彼は話題を逸らした後、黙った。
コレを続ければ離縁が叶う、と。
でも少し彼が悲しそうな顔をするのが気掛かりですが、彼の為家の為、私の為にも。
『君が爵位のせいで僕を受け入れてくれないなら、僕は爵位を捨てる』
「ダメです、私が大勢に恨まれます」
『なら僕の言葉を信じて欲しい、君を幸せにする』
「幸せと平穏は別物ですか?」
そもそも幸せとは何か、クロエは分からないのかも知れない、と。
それから僕は無理にでもクロエの傍に居て、どれが幸せか何が幸せかを、話し合う様にした。
『こうして手を繋いでいると、僕は幸せだよ』
「他の方、セバスチャンではダメですか」
『君から得られる幸せよりは遥かに少なくなるね』
「でもマリエとは幸せだったんですよね」
『偽りの幸せは偽りだと分かった時点で不幸せになるんだよ、凄くね』
「なら知りたく無かったですよね、すみませんでした」
『いや、偽りの幸せだと気付かないと、後に大きな不幸になる。果ては確実に領民にまで不幸が広がり、言わなかった君は、今でも恨まれ酷い目に遭ってた筈だよ』
「アナタは今、本当に幸せなんですか?」
『幸せだよ、けれど君が幸せかどうか分からないのが不安で苦しい、どうにかしたい』
「幸せかどうかは分かりませんが、好きな物は増えました、この軟膏の香りは好きです」
友人夫婦が連れて来た女性が渡した、異国の香りがする軟膏。
どうやら彼女はジプシーだそうで、友人夫婦には協力する、と言っていたらしい。
ただ、彼女の行動は正しかったのかも知れないとは思う。
僕には型破りな事を出来るだけの経験も、知恵も無く、あのまま穏やかな問答を続けていたら。
ココまで、到れていたかどうか。
『なら、またお願いしておこう』
「良いんですか?彼女をお嫌いなのでは」
『苦手、では有るけれど嫌いでは無いよ』
「苦手なのに嫌いじゃないんですね、不思議、私には良く分かりません」
『レモンみたいな人って事だよ』
「仕方無く、泣く泣く関わる、ですか?」
『そこまででは無いかな、そこに蜂蜜が混ざるか、肉に掛かってたら寧ろ好きな方だからね』
「場合によっては好ましい」
『好ましいと言う程でも無いけれど、偶に食べるには構わない、かな』
「私は何でしょうか」
『そのまま、君は蜂蜜で塩、僕に絶対に必要なんだ』
「馬には塩が必要なんだそうですね」
『そうそう、馬に塩、僕にはクロエなんだよ』
「分かりません」
『僕の本当の妻になったら分かる、分からせてあげるよ』
「仮初めの妻では分からない事でしょうか」
『寧ろ僕が分かって欲しい、色々と』
「色々、とは」
『主に、夜伽について』
「私以外を抱くのは問題無いですが」
『君が良い』
「こんな貧弱な体の」
『最初よりは貧弱では無いと思うよ』
「貧弱だとは思ったんですね」
『少女に見えて欲は出なかった、今は抱いても良い年齢に見える』
彼女が拒絶するには理由が有る。
それを上手く聞き出すのが、目下の僕の課題となっている。
「鞭の、傷が、有るので」
『なら僕が目隠しをしようか』
「それで出来るんですか、流石ですね」
『僕はマリエとした事は無いからね』
「なら他の方とは有るんですね」
この言葉に何の感情が無くても、僕には堪らなく嬉しい。
もしかすれば、僕に好意が有るかも知れない、と思えるから。
『気になる?』
「いえ、病気が無ければどうでも良いです」
偶に心が折れそうになる時も有る、けれどそれは僕の問題、僕はクロエがこうした子だと理解して手元に置こうとしている。
クロエの全てを変えてまで、一緒に居るつもりは無い、それはクロエじゃない何かを好きなだけ。
僕の好きなクロエは、こうした問答になるのがクロエ。
僕のクロエ。
『病気は無いよ、君が好きだからこそ君と夜伽がしたい』
「しないとどうなりますか」
『仕事をしない』
「毎日?」
『してくれるの?』
「あ、飽きるって」
『飽きない様に、飽きさせない様に努力する、僕と君の為に』
クロエは真面目だ。
だからこそ悩むし、慎重になる。
けれど、それにも理由が有る。
だからこそ期待をせず。
「分かりました」
返事をした時も、初夜を迎えた時も、彼は本当に喜んでる様に見えた。
もしかしたら、本当に私を好きなのかも知れない。
少しはそう思っても、大丈夫なのかも知れない。
『あ、君に渡そうと思っていたんだ、はい』
「コレは、離縁状?」
『違うよ、万が一にも離縁した時、君が貰う財産だよ』
「離縁しても、お金が残るんですか」
『僕はしたくないけれど、君がしたいなら、君にそのお金が行く』
「何故」
『僕の愛の証』
「なら愛が減ったら金額も減るって事ですかね」
『面白い案だけれどそれは無いよ、コレが最高額、後は領主になるなら全てを譲っても良いよ』
「無理ですそこまでは要りません」
『そう言うと思ったから、コレが最高額、本当はこの倍だよ』
「何に使うんでしょうか、他の方は」
『愛に、贈り物に、喜ばせる為に』
「私に、この価値が」
『僕には有る』
「そんなに良かったですか?夜伽」
『クロエは、痛かった?本当に要望を言ってくれないと本当に困るんだけれど』
「ちょっと、今もヒリヒリします」
『次はもっと優しくするよ、ごめんね』
「次、とはいつなんでしょうか」
『今から、もし不快じゃ無いなら』
「不快は、少しヒリヒリ以外は無いです」
それからも彼は飽きずに良く抱き、私は体力が無いなと思い、散歩をする様になりました。
そのお陰なのか、食欲も増し。
『良い食べっぷりだね、凄く嬉しいよ』
「何処まで増やせば良いんでしょうか」
『体調が良い具合で止めてくれて構わないよ』
彼は私を否定せず、痛い事もしないで、私を見て嬉しそうに笑う。
子が成せなくても、本当に良いんだろうか、もう直ぐ3年目になってしまうのに。
《旦那様、そろそろサーニャ嬢の事をお伝えしても良いのでは?》
『すまない、すっかり忘れていたんだけれど、今はどうなっているんだろうか』
《元使用人の証言で妾に降格後、
『そうか』
嫁ぎ先の男爵家の方は幸いにも非常に良心的で、事実を知り非常に心を痛めておいででしたので。
私達も良く知るジプシーの女性を紹介し、無事、解決となり。
今は旦那様をご信頼して頂けている良き貴族仲間、とも言えるのですが。
何分、旦那様は社交や商業に興味は無く。
《奥様の贈り物も、かの男爵家が関わっております》
『なら、クロエの今の姿を見せた方が良いかも知れないな』
《はい、直ぐにご用意を》
そして男爵家の新しい奥様と、サーニャ嬢のお子様、男爵様をお屋敷に招き。
無事、対面を果たし、クロエ様の健やかなお姿をご確認頂けました。
「見ず知らずの方に心配頂くのは、とても不思議です」
『君の家族はおかしかったんだよ、普通は心配するんだ、例え見知らぬ人の事でも』
「流石貴族ですね」
『平民でも、だ。セバスチャンも聞き知ったらどうにかしたいと、僕に相談するだろう』
《はい、どうにかして頂けないかと。例え他の下働きから聞かされていたとしても、確認後、ご相談申し上げますね》
「領民はお金を生むから」
『君からもお金は生まれてるから大丈夫』
「まるで王族みたい」
『そうだね、偶に出るんだよ、平民にも貴族にも。ただ居るだけで十分な者が』
「役に立たせたいとは思わないんですか?」
『僕の役に立たってるから大丈夫、花や水と同じ、有るだけで良い場合も有るんだよ』
「前と、逆です」
『愚か者には、価値に気付かない者には分からなかったんだろうね』
《愚か者は愚かだと知らない場合も有りますからね》
「難しいですね」
『そうだね、僕にも見極められない事はまだまだ有るからね』
思った事を素直に口に出す。
たったそれだけの事なのですが、クロエ様の育った状態を知れば、とても大きな進歩で。
ただ、素直にお話になられると少し、幼くなってしまい。
それがまた、私達の心に少し響いてしまうのですが、そう最も感じてらっしゃるのは旦那様。
こうした令嬢を、お子様を出さない為、旦那様は死力しており。
それを私達は全力でお支えする事で、心の慰めにと、そう思い鋭意努力させて頂いております。
どうか、虐げられるお子様が居ない世を。
いつか、是非にも。
「あの、そろそろ4年目になるんですが」
『離縁したいのかな?』
「未だに、すべきか悩んでいます、私は夜伽と読み書きと刺繍しかして無いので」
『家の者も僕もそれで良いと思っていても、クロエは嫌なのかな』
「前と全然違うので、やっぱり、生きてて良いのか」
『例え子供が居なくても、僕らは幸せになれる、一緒に長生きして一緒に死のう』
「はい」
僕はこの誓いを守れなかった、3年を過ぎても子が居ない事で王命が下り、僕は妾を持つ事に。
要は王族からの囲い込みに遭ってしまった、政権争いに巻き込まれた形で。
そして彼女はどう用意されたのか離縁状に署名し、僕が居ぬ間にひっそりと屋敷を去った。
『僕は、どうしたら』
《クロエ様の後ろ盾として、他家と養子縁組をさせるべきだったかも知れませんが、今となっては、そもそも王族から横槍が入った可能性すら考えられます。そして例え養子縁組が叶ったとしても、家が関わる王族の派閥次第では、結局は逃れられなかったかと》
『セバスチャンや領民には申し訳無いけれど』
《貴族位も何もかも捨てクロエ様と共に逃げる事は不可能かと、相当に上手くやらなければ、クロエ様は同じ様に身を引く筈。例え叶ったとしても、賢いクロエ様なら、いつか罪の意識を覚えるかと。そして既に王族の目に留まっていた段階を考えると、すみません、お辛いご決断をさせてしまい、申し訳御座いません》
それから暫くして国内は干ばつで荒れ、領民も飢饉で数を僅かに減らした。
そして娶らされた公女は干ばつ後、直ぐに王家に戻り、また僕は1人になった。
クロエは、健やかに生きてるだろうか。
僕は爵位の降格を願い出て、元の侯爵に戻り、クロエを待ち続ける事にした。
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