2・一口サンドイッチ / ハンバーグ




 二日目のお昼はサンドイッチ。

 卵を潰すのではなくだし巻き卵。卵に出汁に砂糖、少しだけ醤油で甘さを引き締める。

 マヨネーズをパンに塗ってから挟む。

 二つ目はハムとチーズ。これはスライスチーズとハムを切って、マヨネーズをハム側にのみ縫って挟む簡単なもの。

 最後はフルーツサンド。

 植物性のホイップクリームに気持ち砂糖を多め。キウイを薄めに輪切り、黄桃缶といちごも三ミリ程度の薄切りに。

 三種類のサンドイッチを手早く完成させる。


「うましっ! やっぱ一番はだし巻きかなー?」


 味見係はレイナだ。

 三種類全部食べてご機嫌だ。


「でも、私が先に食べてよかったん?」

「食べてもらわないと困る。あいつのためだけに作るとか、軽く俺の精神が病む。レイナが食べた残りくらいがちょうどいいんだよ」

「セイはめんどくさいなー」


 けらけらとレイナは機嫌よさそうに笑う。


「でもこのサンドイッチ、サイズ小さくない? 指二本分くらいしかないけど」

「いいんだよ、これくらいが食べやすくて」


 さあ、後は良太おじさんに届けさせるだけ。

 あいつは、このサンドイッチを覚えているだろうか。




 ◆




 私と誠一くんはご近所さんだけど、幼馴染というほど仲が良くはなかった。

 ちゃんと交流を持ったのは中学生になってから。

 新しい教室には別の小学校からの来た人も多く、その中でなんとなくでも顔を知っている同士だったから、入学当初はだいたい一緒に行動していた。

 私がテニス部で彼が陸上部、帰る時間が重なりやすかったのも理由の一つだろう。

 夜道は危ないと、陸上部が先に終わっても誠一君は待っていてくれたっけ。


 帰る方向も同じだから、辿る家路を二人で笑い合う。

 くだならない雑談ばかりだった。あの先生厳しくない? とか、購買のパンが意外と美味しい。

 やった、タイムが縮まった。ダブルスでレイナちゃんと組んで、部内四位にまでなったよって。

 あの頃から料理上手だった誠一君は、部活で疲れた私のために「応援してる」って言いながら、レモンのはちみつ漬けをくれたっけ。

 今考えれば、どうしてあんなに楽しかったのか分からない。

 それでもあの夜道は、私にとって特別だった。


 テスト前になると部活が禁止になる。

 私は勉強もできたけど、誠一君はそんなに成績がよくなかった。

 だから彼の部屋でよく二人きりの勉強会を開いた。

 教科書を手にうんうんと唸る姿が、なんだか妙に可愛らしくて笑ってしまったのを覚えている。

 休みの日にも勉強会をすることがあって、そんな時はオヤツ代わりにちょっとつまめる小さなサンドイッチを誠一君が作ってくれた。

 だし巻き卵と、ハムとチーズ。私の好きな、フルーツサンド。

 晩ご飯が食べられなくならないように、指二本分くらいの大きさだった。


「懐かしいなぁ」


 今日のお昼は、量こそ多いけれどあの時のサンドイッチだ。

 お父さんから聞いた。今、誠一君は実家に戻っているらしい。

 だからその間だけ、私にご飯を作ってくれるよう頼んだのだと。

 

『引きこもりになった原因はアイツにもあるのだから』


 そうお父さんは言うけれど、結局は私の浮気のせいだ。 

 よく短い間だけでも食事作りを受けてくれたな、と思う。

 お母さんや元クラスメイトのメッセージから、高校卒業後にレイナちゃんと東京の大学に進学したということ聞いた。

 一番の親友だったレイナちゃん。

 でも、あの娘は誠一君が好きだったから。彼を裏切った私を心から軽蔑して、率先して私の嘘を暴いたのだ。


「おいし……」


 サンドイッチは特別だ。

 だって二人が付き合い始めたのは、勉強会の途中。じゃれ合っているうちに勢いあまって抱き合う形になり、突発的に誠一君が告白するという冴えないものだった。

 でも、私もずっと好きだったから、照れながらも頷いた。

 お互い顔を真っ赤にして「これで本当に恋人なんだよな」「うん、わ、私誠一君の恋人でいいんだよね?」なんて何度も確認し合うなんて変な真似をした。

 そうして残ったサンドイッチを頬張った。大好きなフルーツサンドなのに、全然味を覚えていない。


「いまは、ちゃんと、味が分かる……」


 あの時ほど心が動かないから。

 美味しいのに、どこか物足りない

 サンドイッチはもうなくなってしまった。

 あと、三食分。

 ここのところまともに食べてなかったけど、全部平らげてしまった。

 もう、次のご飯は何だろうと考えていた。







 日中は久しぶりに旧友に会った。

 メインの話題はやはり来年の結婚式だ。仲人は俺だ、出し物は皆でやるからね、と各々盛り上がっている。

 クラスメイト達は意識してか、莉緒の話はしない。

 俺を気遣っているのと、そもそも話題にしたくないからだろう。


 当時、莉緒はクラスの中心人物だった。

 文武両道を地で行く美少女だ、俺と付き合っていてさえ複数人の男に告白されていた。

 その度にヤキモキして、そんな俺の拙い嫉妬をレイナによく笑われた。

 

『莉緒が浮気なんてするわけないじゃん!』


 ……きっと、レイナが率先して俺を助けてくれたのは、彼女にも負い目があったからだ。

 高校生になって、莉緒はとてもキレイになった。

 明るくて運動も勉強もできるクラスの人気者。

 反面俺は料理がそこそこできるだけのフツメン。だから、唯一誇れる陸上を必死になって頑張った。

 それを応援してくれたのもレイナだ。

 練習して、練習して練習して。

 そうして膝を壊して、俺には何もなくなった。


『ごめん、ごめんね、誠一ぃ……』


 無責任に応援して、俺に無理をさせてしまった。

 浮気なんてしないと俺を油断させて、隙を生んでしまった。

 どちらも自分の間違いだったレイナは悔やんでいた。

 だけど結局は俺の力不足だったんだ。だから莉緒は離れていった。それだけのことだろう。


「セイー、今日は何すんのー」

「今日は、ハンバーグにするかな」

「チーズ、たっぅぷぅりで!」

「あいあい」


 帰宅してから夕食の準備に取り掛かる。

 俺が作るハンバーグは、牛と豚の合い挽き。少し豚が混じっていると、冷めても柔らかくなるからだ。

 割合は牛と豚で7:3。

 まず玉ねぎを飴色になるまで炒めてよく冷ます。熱が残っているとタネを作る時点でひき肉に火が通るため美味しくならない。

 パン粉は市販のものでなく、食パンをちぎり牛乳で浸したものを使用。


 ボウルに合挽き肉を入れ、底を氷水で冷やしながら、肉の粒がなくなるまでしっかりと練る。手もボウルもしっかり冷やすのが重要だ。 

 次に塩コショウ。本格的な味を出すためにはナツメグを入れるレシピも多いが、ウチは苦手な人が多いので抜いて作る。

 冷やした玉ねぎとパン粉、溶き卵を混ぜて均一になるようひたすら練る。

  

 タネは両手で投げ合うようにして空気を抜いて、焼いた時の割れを防ぐ。

 焼くときの注意点は、肉汁が出るのを極力避ける為、両面焼いた後は下手に触らず、フタをしてしばらく蒸し焼きにすること。


 ソースはフライパンに出た肉の油を流用し、赤ワイン・ケチャップ・ソース・砂糖などを加えデミグラスソースに近い味を出す。

 隠し味は少しの醬油とオリーブオイル。

 レイナの分には中にチーズ、さらに目玉焼きを添える。

 付け合わせは人参のグラッセとコーン炒め、後はレタスくらいでいい。

 これがウチの定番だった。




 ◆




 お父さんが夕食を運んできた。

 今日は、ハンバーグだった。

 御飯とみそ汁も付いている。


「わあ……」


 唾液が出るのを自覚する。

 誠一くんの作る料理の中で、一番好きなのはカレーライス。二番目はハンバーグだ。

 どうやら彼の中ではカレーは普通の日、ハンバーグは特別な日のごちそうという認識があるようで、後者の方が出る回数は少ない。

 ……そんなことを理解してしまうくらい、私は彼にご飯を作ってもらっていたんだと、今さらながらに思い知る。

 両親が共働きだとはいえ、ずっと彼に頼っていた。 

 なのに、どうして浮気なんてすることができたのか。


「……おいしい」


 肉汁たっぷりのハンバーグ。

 ダブルスで部内四位になった時、テニスの大会でレギュラーを取れた時。高校に合格した時。

 嬉しい時には彼のハンバーグがあった。

 振り返れば料理の思い出は母よりも誠一君の方が多い。

 振り返らなければ、そんなことにさえ気づけない恩知らずだ。

 

 高校半ばくらいから、ハンバーグを食べる機会は少なくなった。

 母の仕事がひと段落つき、家にいることが多くなったから。

 そして、誠一君が膝を壊して、お祝いをすること自体が減ったためだ。 


「ああ、そっか……」


 あの頃、私は部活の先輩と浮気をしていた。

 誠一君という恋人がいながら、イケメンでテニスもうまい先輩がとても魅力的に思えた。

 女性に慣れている、という点も当時の私にはスマートに映ったのだろう。

 キスも気持ちよかった。……初めてを捧げたのも、先輩にだった。


 なんであんなに簡単に裏切れたのか。

 今なら分かる。

 私は、散々世話をされておきながら、そのことに慣れ切っていたのだ。

 やってくれるのが当たり前になっていたから、お母さんが家事をしてくれるようになって「もう誠一君がしてくれなくても大丈夫」と本気で考えた。

 その上で、怪我をして膝も駄目になって。

 美人で何でもできる私と、なんにもできない彼という構図を無意識のうちに描いていた。

 だから浮気になんの罪悪感もなかった。

 

 先輩の方が私には似合っていると。

 いつの間にか誠一くんの優先順位が、価値自体が下がっていたのだ。


「うっ……ぐ………」


 涙がこぼれる。

 ハンバーグはとてもおいしかった。

 これは、特別な味。私に喜んでもらおうと、彼が心を尽くしてくれたからこその味だった。

 当たり前の料理じゃない。いともたやすく失われてしまうものだと、あの頃は気付けなかった。

 なんでだろう。

 どうしてこの味を忘れていた。

 もしもちゃんと覚えていたなら、他の男に靡いたりせず、いっしょに大学に合格してお祝いのハンバーグを……なんてことだってあったのかもしれない。


「おい、しいよぉ……寂しいよぉ……」

 

 なのに、なんで私は一人暗い部屋でハンバーグを食べているの?

 誠一君がいないのに。

 誰も私を祝ってくれないのに。


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