第31話 ハプニング

 校庭にホイッスルの音が鳴り響く。それと同時に走り出す生徒。現在行われているのはハードル走。実習生活初めての体育の授業。といっても俺は校庭の隅でただハードルを飛んで行く生徒たちの姿を眺めているだけなのだが。

「はい、次!」

 次、また次と休む間もなく笛の音が鳴り響く。これでもう何週目だろう。準備運動をしてからノンストップで続けている。数十分間変わることない目の前の光景。そろそろ生徒たちにも限界がきているようだった。

「次!」

「はぁはぁ……もうダメ……」

 順番が来たにも関わらず、ふらふらと体を揺らし立ち止まってしまう生徒がいた。確か、夢気颯ゆめきそう。生まれつき体が弱いらしい。そろそろ休ませてあげないと、不味いんじゃないか?

「遅いです!! 次の人が待っています!! 早く走って下さい!!」

 牧野先生の厳しい声が、寒空の下に響き渡る。それはまるでスポーツ選手に就いているコーチのよう。水泳の監督とか、こういうヒステリックなおばさんのイメージ。

「僕……もう……」

「さあ、飛びなさい!!」

 彼女の怒鳴り声に、颯太は止まりかけていた足を動かし続ける。もうほとんど平行に走れていない。身体は左右にフラフラと揺れ、力の入っていない腕がだらりと下がっている。なんだか、危険を感じる。

「颯太!」

 怒られると分かっていたが、急いで俺は颯太の元へと走った。彼の目はうつろだった。このままじゃいけない。

「何をしているの!! 早く!!」

「やめろ、颯太!」

「はぁ、はぁ、えっ……うっ」

 遅かった。俺がたどり着く前に、颯太の身体が宙に浮かんだ。とたんに崩れるハードル。ガラガラっという音と共に、地面に倒れる颯太の小さな身体。

「大丈夫か!?」

 声をかけると同時に、女子生徒の悲鳴が校庭に響く。牧野先生が持っていたホイッスルを手放した。俺が駆け寄ると、颯太は両手で左足を押さえ、歯を食いしばりながら唸っていた。指の隙間から、血がにじみ出しているのが見える。さすがに不味いと思ったのか、さっきまで怒鳴り散らかしていた牧野先生は顔に冷や汗を垂らしていた。

「ほら、颯太。掴まれ」

「あなたはダメです!! 保健委員!!」

 こんな状況でさえそんなことを言うのか、こいつは。俺は掴みかけていた颯太の手を離す。すると、保健委員であろう男女が俺たちの元にやって来た。

「颯太くん。痛い?」

「大丈夫だよ。ほら」

 俺の体が固まっている間に、二人が颯太を連れ、校庭から消えていく。

「クソっ」

 なんで俺はここに来たんだ。何もできなかった。こんなに近くにいたのに。

「蒼真……」

 気づくと目の前には苺花が立っていた。その顔は心配そうな表情をしていた。

「……」

 俺が何も答えられずにいると、苺花はみんなのいる方へ走って行ってしまった。

その後も、何事もなかったかのように授業を続ける牧野先生。しばらく俺は、この場から動くことができなかった。


   ◆◆◆


「あーーーーー。むかつくあんのババァ!!」

 今日の実習の反省会が終わり、牧野先生の消えた相談室。防音なのをいいことに、俺は一人頭を掻きむしりながら大声を上げた。

「あ、いかん。カツラが取れちまう」

 俺はズレたカツラを元に戻した。これを付けているせいで頭がかゆい。蒸れて汗疹もできているし、今すぐにお風呂に入りたい。

「はあ。どうすればいいんだよ」

 一週間なんてあっという間だ。この調子じゃあ、何も成果を得られずに実習が終わってしまう。他の先生に協力してもらおうにも、きっと俺は生徒の頭を叩いた実習生として認識されてしまっているだろう。あいつのせいで……。

 そうだ。ボイスレコーダー。あれを取り返せばいいんだ。苺花はお昼休みの時間までの音声なら録音できていると言っていた。それを再び手に入れる事ができたら、校内放送で全貌を流してやる!!

「よしっ」

 パンッと頬を叩く。気合を入れ直すと、俺は隣にある職員室へと向かった。

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