第17話 借り物競争
午前中と比べて、かなり日差しの強くなったグラウンド。生徒はみんな首にタオルを巻き、水筒をぐびぐびと喉に押し流している。午後一番の競技は全学年合同の大玉転がし。実況席にまで砂埃が舞うほどの大盛況だった。日焼けを気にしていそうなマダムたちの塊が物凄く嫌そうな顔をしていた。ああいう人たち、毎年運動会にいる気がするけど、誰かの保護者なのだろうか? それとも、ただ単に近くで運動会やってるから見に行きましょうと集まっているだけ? はなはだ疑問である。
あ、ちなみに勝ったのは、上級生のファインプレーでかなりの差をつけることができた赤組だ。このままいけば、赤組の逆転勝利も夢じゃない。
その後も、障害物競走だの綱引きだの様々な競技が続き、俺は今、実況席に座っている。
「マイクの使い方は分かりますよね? 台本通りにやっていけば大丈夫なので」
放送委員のリーダーらしき少女が「はい」と一枚のプリントを渡してくる。そこには、負けているチームの応援の仕方や、ゴールをした瞬間の決め台詞などが書かれていた。多分先生たちが考えたものだろう。あんなに白熱している放送でも、やはり裏には台本というものが隠れているのである。
「じゃあ、私行ってきます」
少女は赤いハチマキを頭にぎゅっと結ぶと、小走りに生徒たちの集まっている方へ行ってしまった。俺は適当な説明を聞かされただけで、一人実況席に取り残された。
「なんで俺がこんなことを……」
いせみんにカレーパンを貰った後、俺はなぜだか借り物競争の実況をやって欲しいと頼まれた。どうやら放送委員の生徒が急遽、補欠として競技に出ることになってしまったらしい。本当はいせみんが代わることになっていたらしいが、面倒くさいからと押し付けられた。拒否をすると抱きたいクラスメイトランキングの紙を取り出すもんだから、断るに断れなかったのだ。全くあの人は……。
「なかなかさまになってるじゃないか」
「まだ一言もしゃべってないけどな」
面白いものでも見るかのように、いせみんは俺の後ろでちょっかいを出してくる。いつも思うが、この人、絶対俺の事おもちゃとして扱っているよな。逆らえないからって、俺で遊ぶのはやめてくれ。
「はぁ……」
今、俺の目の前では四年生によるダンスが披露されている。午前中に言っていた通り、愛梨がドセンター。踊っているのは、今流行りのアイドルソング。実に愛梨らしい一曲だ。ピンク色のぽんぽんがよく似合っている。まるでチアリーディングみたいだ。
実況席の前でみんなが決めポーズをして揃ったところで、曲が終わった。愛梨がウインクをしながら俺の方を見てくる。まあ、特等席で小学生にしては完成度の高いダンスを見ることができたので、良しとしよう。愛梨に顔を向けながら、観客にそろって拍手をした。
「そろそろ始まるな」
四年生がグラウンドの隅の方へと散っていく。次の競技は実況を任された借り物競争だ。さっき一哉がナンパしていた女性教師が、借り物の書かれた紙をグラウンドに設置しているのが見えた。入場口となっているサッカーゴールの前には、参加者たちが四列になって並び始めていた。見たところ、全学年の選抜メンバーが出るみたいだった。こういうの、『好きな人』とか『かわいい人』とか、恋愛がらみのカードをひいてしまった時の公開処刑な雰囲気に耐えられなくて、絶対に参加したくない。見ている分には面白いのだが、陰キャなオタクが参加したら大惨事になること間違いない。
「カブ? やっと……見つけた……」
「桃音!」
「よお、蒼真! 実況やるんだって?」
そういえば、午前中ずっと俺にべったりだった桃音がいないことに今気づいた。後ろには一哉もいる。ずっと二人で、一緒にどこかで休憩していたのだろうか。全然見かけなかったが。
「夢野先生に……カード……見せてもらった……」
「俺たちも書くの手伝ったんだぜ?」
カードとは、今グラウンドで並べられてる借り物競争のカードのことだろう。いつの間に二人はそこまで仲良くなったんだ。
「女装するのが……好きなおじさん……」
「Dカップの美少女!!」
「昨日……合コンで失恋した人……」
「彼氏募集中の女の子!!」
冗談だよな? それ本当にカードに書いたりしてないよな? 一哉のはともかく、いやともかくで済んでいい話じゃないけど、そんなピンポイントに当てはまる人間が運動会に来ているのか? 仮にいたとしても、それはカードをひいた人じゃなくて、借りられる方の人が公開処刑されることになるけど?
「それ、あの中に混ざってたりしないよな?」
「え、夢野っち笑いながらカード持ってったけど?」
一哉がグラウンドを指さす。どうやらカードの配置が終わったようだ。夢野先生、清楚でいい人そうだなーなんて思っていたけど、そういう人間だったのか。
「まじかよ……」
二人とも平然とした顔で、頭を抱える俺を見つめて来る。あんなカード引かれたら、実況する俺の方にも責任がかかって来るぞ。はぁ、先が思いやられる。もう溜息が止まらない。
「大丈夫……普通のお題も……書いといた……」
「そういう問題じゃねえよ」
親指を立てて、グーっとしてくる桃音は、今やお人形のようなかわいい顔をした変人にしか見えない。見かけによらず遊び心のある奴だな。どうりで一哉と気が合うわけだ。
「始まる……」
桃音が呟く。どうやら入場の準備が整ったようだ。俺はマイクのスイッチをオンにする。
「続いての競技は借り物競争です」
隣に置いてある音楽プレイヤーのスイッチを入れた。台本の一行目を読み終えると、パワフルな邦楽ロックと共に、生徒たちが小走りで入場してくる。それと同時にグラウンド周辺からカメラのフラッシュする音が響き渡った。
「柚葉だ……」
隣で桃音が呟いた。本当だ。上級生に挟まれて、柚葉がグラウンドに並んでいる。あの位置からするに、多分参加するのは最終レース。「あれが噂の」と一哉が桃音に話しているのが聞こえた。きっと桃音が一哉に話したのだろう。ほんと、今日が初対面とは思えないくらい桃音と仲良くなっているじゃないか。俺は最初、名前さえ教えてくれなかったというのに。
「ルールを説明します。参加者たちはまず、五十メートルを走り、その先に置かれているカードを一枚拾ってください。中に借りるものが書かれているので、それを持って審判の元に向かってください。審判からの合格が出たら再び五十メートルを走り、終了です」
生徒たちの緊張が伝わった。ルール説明を聞いている時間が一番ドキドキするよな。分かる、分かるよみんなの気持ちが。
「えー、放送委員不在により、実況はこの俺、蕪木蒼真が担当します」
なにげなく放ったその言葉。とたんにざわめき出す校庭。さっきまで賑やかだったグラウンドが、一気に事件の野次馬が集まったような雰囲気に変わる。不思議そうに顔を見合わす生徒や保護者、ヒソヒソと内緒話を始める女子生徒。え、俺なんか変なこと言った?
「蕪木蒼真って、あの変質者だよね?」
「去年の実習でパンツ盗んだっていう」
「なんであそこにいるの」
「……」
グラウンドにいる全員が揃って、こちらの実況席を見つめ始める。何人何百人の生徒の視線。ニュースで犯人が捕まった時みたいな、まるで汚いものでも見るかのような痛い視線。みんなが俺の方を見ている。それも、不快な顔をして。
「ぷっ……」
後ろでいせみんの苦笑する声が聞こえた。振り向くと、彼女は真っ赤な口元に手をあて、もう片方でお腹を抱えながら笑いをこらえていた。周りにいる教師たちも、その様子を変なものでも見るような目で見つめていた。もう嫌だ、俺。逃げ出したい。保護者からも不快な視線を感じるし、俺この街で暮らす権利ないんじゃない?
「今日も盗撮しに来たんだよ。きっと」
「今のうちに警察通報しとく?」
女子生徒たちの怪しむ声が聞こえた。やめて? ここで逮捕なんてされたらニュースになるから。俺、何も悪くないのに世間からロリコン変態キモ男子高校生というレッテルを張られちまう。
「人気者……だね……」
「不審者扱いされてるってのは本当だったんだな」
あたかもこの状況を当たり前かのように話してくる二人。そんなのんきにしてないでこの状況をどうにかしてくれ。
「えー、俺帰ってもいいですかね?」
グラウンドがしんと静まり返る。気まずい。気まずいったらない。プールの授業で間違えて女子更衣室に入って行ってしまった時よりも気まずい。あの時学級委員が俺の事をみんなの前で変態って罵ったんだけ? それの大規模版じゃねえか!
すると、今までずっと俺の後ろで笑いをこらえていたいせみんが、ズカズカと俺の隣までやってきた。そして「ごほんっ」っと咳ばらいをし、スイッチの入ったマイクに顔を近づける。
「えー、実況を任せたのは学校側での指示であり、こいつが変なことをしないか私が監視しているので、みんなさん安心して競技の方に集中していただきたい」
いせみんがマイクのスイッチを切る。そして何事もなかったかのようにさっき自分が座っていた位置へと戻って行った。グラウンドに熱気が蘇る。
「変なことってなんだよ!」
「そんなの気にしてる場合か。早く始めろ」
冷たいその一言で、俺はしぶしぶマイクに口を近づけた。再びスイッチを入れる。
「それでは、気を取り直して。第一レース。位置について」
さっきまでざわざわと話をしていた参加達の表情が、一気に引き締まるのが見えた。競技に参加する側ではないっていうのに、心臓がドクンと大きく波打つ。俺は大きく息を吸い、マイクに向かって思いっきり声を上げる。
「よーい、スタート!!」
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