第13話 作戦

 時の流れというのは早いものだ。俺がこの寮にやって来て、もうすぐ二か月を迎えようとしている。つまり、それは運動会が近づいているというわけで。今日は五月二十六日。本番当日まであと一週間を切ったというわけだ。

「蒼真ー! 朝ごはん!」

「わーい! 今日はオムレツなのです!」

 いつも通り、苺花と愛梨が一番にテーブルに近寄って来る。二人とも、ちょこんっと椅子に座ると、俺は冷蔵庫からケチャップを取り出した。そしてそれを愛梨に手渡す。

「はい、苺花ちゃん」

「ありがとう!」

 苺花はケチャップを絞り出しながら、ふんふんと鼻歌を歌い始めた。隣でオムレツを頬張り始める愛梨。二人とも、朝からご機嫌な様子だ。

「はい、蒼真!」

「おう!」

 俺は苺花から使い終わったケチャップを受け取る。すると、眠たい目をこすりながら桃音がリビングへとやって来た。ゆっくりとした足取りで、愛梨の隣へと座る。桃音はテーブルに置かれたケチャップを手に取ると、思う存分オムレツにかけまくった。

「かけすぎじゃないか?」

「このくらいが……ちょうどいい……」

「そうなのか」

 ほとんどオムレツの姿が見えないが。まあ桃音がいいならそれでいいのだろう。俺は使い終わったケチャップを冷蔵庫へと戻した。

「あ、柚葉ちゃん」

 苺花の声で、俺はリビングの入り口に目をやる。光のこもってない目でトコトコと歩きながら、苺花の隣に座った。

「あたしもケチャップ」

 柚葉がみんなのオムレツが乗った皿を見ながら呟く。

「……」

 俺はそれに返事をすることなく、自分の席へと付いた。もちろん俺もケチャップをすでにかけている。今日のはうまくできた気がする。食べるのが楽しみだ。

「蒼真?」

「です?」

 苺花と愛梨が不思議そうな目で俺のことを見てきた。俺は無視して一人、朝ごはんに食らいつく。

「……」

 寝ぼけているのか、柚葉はそれ以上俺に何かを言ってくることはなかった。黙って座っている俺のことを見ていた苺花は、冷蔵庫からケチャップを取り出し柚葉に手渡す。

「ありがと」

「うん!」

 ニュース番組を垂れ流しながら、いつも通りの朝食が始まる。俺と柚葉は終始無言を貫いたままだった。


   ◆◆◆


 お風呂が沸きましたという合図とともに、苺花が一番に脱衣所へと乗り込んだ。今日は九時から見たいドラマがあるらしい。苺花が出ると、今度は愛梨が風呂場へと向かう。次に寮の中で一番に就寝時刻の早い桃音が愛梨の後に続く。そんな中、柚葉が寝室からパジャマを持って出て来た。きっと次にお風呂へと入る気満々なのだろう。ごめんね、次は俺なの。

「はっ、なんであんたがここにいんの?」

「なんでって、風呂入りたいから」

 当たり前だろう。夜に脱衣所にいるのはなんのため? お風呂に入るためだ。

「だめ。あたしが入るから」

「いーやだめだ。俺が先に来たんだから」

「絶対いや! 変態が入った後のお風呂なんて入れない!!」

 柚葉は強引に俺のTシャツを引っ張って来る。でも、高校生の俺が小学生の力に負けるわけないだろう。

「離せよ。俺が先なの」

「ダメったらダメ! うぎぎぎ」

 何分こんなことをしていただろう。びくともしない俺に諦めがついたのか、「もう!」と一言声を上げると柚葉はどこかへと行ってしまった。ごめんな。俺だってこんなことしたくてしてるわけじゃないんだよ。

 次の日も、その次の日も、調味料を渡さない、柚葉よりも先にお風呂に入る、食後のデザートを柚葉の分だけ冷蔵庫から取り出さない、自分の分だけ洗濯物を畳まない。そんな俺に柚葉はだんだんイライラしているようだった。もともと下着類だけは柚葉本人が畳んでいたが、家事が面倒だと思っている柚葉からしたら腹が立って仕方がないのだろう。そんな日々が五日も続いたある日、ついに柚葉の感情が爆発した。

「もう! なんなの! あたしがなんかしたって言うの!」

 想像通り、かなりご立腹の様子だ。地団太まで踏み出して、相当ストレスが溜まっているみたいだった。でも、俺は知らんぷりをする。

「さあ、俺は何もしてないけど?」

「っ……」

 これには苺花と愛梨も何かを思ったようで、俺と柚葉の間に割って入って来る。

「最近蒼真ひどいのです!」

「そうだよ。柚葉ちゃんにばっかり!」

「ふん、そんなの知るかよ」

「……」

 怒りというよりも、二人はどうして俺が変わってしまったんだとでも言いたげにお互いの顔を見つめ合っている。「そーだそーだ」と続けて柚葉が何か言っているが、俺は無視した。そして何事もなかったかのように、

「日誌書かないと」

 と言って俺はリビングを後にした。鼻歌なんか歌いながら階段を上る。ちょうどトイレから帰った桃音が、おかしなテンションの俺を不思議な顔で見つめていた。

 部屋に入ると、俺は一直線にベッドへとダイブ。あー、布団が気持ちい。このまま眠ってしまいたい。

 机が置いてある方に寝返りを打つ。俺の部屋に飾られたカレンダーの六月一日のところに、『運動会』と書かれているのが目に入った。あれは俺が書いたものだ。

「あと一日……」

 そう呟くと、俺の意識はだんだんと遠のいていった。視界がぼやける。そして、いつの間にか、それこそ運動会のあとのような、深く、長い長い眠りについていた。

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