第11話 弱み

 何もしないまま一週間が過ぎてしまった。相変わらず柚葉とはギスギスしたまま。というか、日が経つにつれてどんどん寮の雰囲気が悪くなっていってる気がする。夕飯は終始無言だし、愛梨と苺花以外の他愛もない会話というものが耳に入ってこない。まあもともと二人以外は騒ぐようなタイプでもなかったが。

「ふーん。まあ女は根に持つからなあ」

 購買の焼きそばパンを頬張りながら、一哉が口を開く。今日の昼食争奪戦はいつもよりすさまじかった。月に一度ある全品半額デー。この日はいつも金欠学生がチャイムとともに購買に殺到する。パンを求めてやって来た学生の半分が何も買えずに、空腹のまま教室へと戻って行くらしい。そんな大合戦に俺たちは二人そろって勝利したというわけだ。ちなみに俺が買ったのはベーコーンパン。ベーコンととうもろこしの上にこんがり焼けたマヨネーズのかかったフランスパンだ。焼きそばパンに続いて人気のある商品なのである。

「一筋縄じゃいかねえと思うぞ」

 まるで経験者のような言い草だ。いや、実際経験者なのだろう。過去の彼女と何かあったに違いない。ま、そんなことはどうでもいいけど。

「じゃあどうすればいいんだよ」

「んー、そうだなあ。タイマン張るとか!」

「小学生相手にそれはやべえだろ」

 何。俺ってやっぱり逮捕される運命なの? おまわりさんに手錠かけられるために生まれてきたの? せめて美人で巨乳なポリスメンであって。

「まあお前なら大丈夫だよ。親友の俺が言うんだから間違いない。以上! ごちそうさま」

 無理やり話を終わらされてしまった。はあ、自分でどうにかするしかないのか。

「てか、昨日見たビデオの女優が院瀬見センコーに似ててよぉ……」

「私がなんだって?」

 神出鬼没。まるで空間を飛び越えてきたみたいに一哉の後ろでいせみんが腕を組んで立っていた。いつの間に! 俺ずっと一哉のこと見てたけど全然気づかなかったぞ。

「あ、いや」

 真っ青な顔をした一哉が恐る恐る後ろを振り向く。多分これが漫画だったらいせみんの周りに炎が舞っていたと思う。釣り目をさらに吊り上げて、真っ赤な唇を固く結び、一哉のことを一直線に睨みつけていた。女って怖い。本当に!

「ふん。どうせ卑猥な話でもしていたんだろう」

 ギクッと一哉が肩をビクつかせる。いせみんの目力ほど、この世に怖いものはない。俺は何も知らないぞ。一哉が勝手に話し始めたんだからな。

「ま、いい。それよりも……」

 そう言うといせみんはポケットの中から一枚の紙切れを取り出した。小さな文字でそこには何やら書かれている。

「えーっと、抱きたいクラスメイトランキング……」

「ああ! それは……!」

 一哉が再び顔を青ざめる。これには俺も聞き覚えがある。そうだ。これは男女別の保健の授業をしている時……。

「男子みんなで投票したやつ! あっやべ」

 思わず大声を出してしまった。クラスのみんなの視線が俺たちの方に集まる。キラリと光った男子の視線が痛い。絶対にバラすなという固い精神がうかがえる。

「ほう。では取引をしよう」

『取引?』

 俺と一哉の声が重なる。いせみんは一哉のカクカクした字で書かれた紙切れを俺たちに見せつけながら、敗者を見るような目で口を開いた。

「今ここで、ランキングの結果を音読されたくなかったら、机に置かれたプリンをよこせ」

「はぁ!?」

 いせみんの視線の先、そこには俺と一哉が争いの末に勝ち取った限定プリンが置かれてある。一つはサクランボ付き。ホイップクリームの乗った代物だ。

一体何を言い出すかと思えば……。なんでそんなことを。

「ほら、早くしないと読んでしまうぞ。さん、にい、い――」

 ぎゅるるるるる。

「……」

 得意げに紙切れを掲げたいせみんの顔が、徐々に赤くなっていく。紛れもない、今のはいせみんのお腹から聞こえた。聞き間違えなんかじゃないぞ。俺の耳はそんなにやわじゃない。

「もしかして、購買間に合わなかったのか?」

「っ……」

 図星だったようだ。

「ししし、仕方ないだろう! 授業が長引いてしまったんだ!!」

いせみんの強面の顔面が、唇と同じくらい真っ赤になった。親にエロ本を隠しているのがバレてしまった男子中学生のように、彼女は慌てふためきながら言い訳をする。

「私が行った頃には、もうもぬけの殻だったんだ。うう、シクシク……」

 いつものいせみんとは思えない、悲しそうな顔。今にも涙を流しそう。さっきとは違い、体を丸めて両手の人差し指をツンツンしている。彼女でもこんな姿見せるんだな。仕方ない。

「やるよ。どうせ、こんなんコンビニでも買えるし」

「いいのかよ!? 俺たちの汗の結晶だぞ」

 確かに、このプリンを手に入れるのは至難の業だ。購買常連のベテランじゃない限りゲットできるはずがない。

「ああ、女子たちの視線も痛いし」

 まるで初めて寮に行った時のことを思い出させるようなこの感覚。ゲテモノでも見るような目で女子が全員俺たちのことを見つめていた。もう俺どこ行っても変態扱いされるじゃん。

「まあ、蒼真がそう言うなら……」

 一哉がプリンをいせみんに手渡す。いせみんはよだれを垂らし、目をキラキラと輝かせながらそれを受け取った。

「渡すのは俺のだけでいいんだぞ?」

「いーや、こういうのはお互いさまってことよ!」

 そう言いながらえっへんと胸を張り上げる。なんだよ。泣かせてくれるじゃねえか。さすがは俺の親友だ。

「分かればいいのだ。こちらはありがたくいただく」

 やれやれ。全く素直じゃないな。ま、それがいせみんの魅力だったりするんだけど。

 これで満足したのか、いせみんはプリンを大事そうに抱えながら、俺たちの前を立ち去ろうとした。

「待てよ」

 だが、話はまだ終わっていない。大事な取引をしなければならないのだ。

「紙をよこせ」

「紙だと?」

「ああ、プリンと引き換えだったはずだろ」

「そんなこと一度も言っていないが?」

「は?」

 おいおい、俺は忘れてなんかいないぞ。ちゃんと取引したはずだ。

「私は音読をされたくなかったらプリンをよこせと言ったんだ。誰もこの紙を譲るなんて言っていない」

「……」

「……」

 一哉がポカンと口を開けている。何を言っているんだお前は。こっちはお昼ご飯を提供してやったんだぞ。

「ずりぃぞ、院瀬見! 裏切ったな」

「騙されるお前らが悪いんだよ。ここを使えここを」

 そう人差し指でトントンと頭を指さす。腹が立つ。その姿にとても腹が立つ。

「いーせーみーんー」

「はーはっはっ! 返してほしくば寮をどうにかするんだな。はーはっはっはっ」

高笑いを上げながら腰に手を当てるその姿は、まるで悪者のよう。ほら見ろ。周りの奴らが冷たい目であんたのこと見てるぞ。

「まあ金は払ってやるよ」

 そう言い残すと、ポケットから取り出した百円玉を俺の前に置き、女王様気取りで教室を出て行ってしまった。してやられたな。あの紙を取り戻さないと、俺たちの学生生活生命が危ない。何とかしないと。

「あープリンあげなければ良かったー!」

 俺の心の中で思っていた雄たけびを、一哉が頭を抱えながら大声で叫んだ。

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