おちこぼれ幼女の成長記録
一七
第1話 パンツを拾っただけなのに
目的地周辺です。カーナビがあれば、そんな女性の機械的な声が聞こえてきたことだろう。右手には地図、左手にはキャリーバッグ、そして大きな旅行鞄を肩にかけ、すっかりこった首を上げる。
「ここか……」
「……」
手書きで書かれた地図をしまい、おそるおそるインターホンを押す。何も反応はない。
「おじゃましまーす」
誰もいないのだろうか。寮の中はすっかり静まり返っている。今日は日曜日。普通小学校は休みのはずなのだが。
「おーい。誰かいないのかー」
一通り一階を回ったところで、廊下の突き当りにある階段を上ってみる。寮というよりは広い一軒家みたいだ。十年前に建てられたとは思えないくらい綺麗だし。
「お?」
一番奥の部屋から何か聞こえる。近づいてみると、それは数人の少女の声。キャッキャウフフと何やら楽しそうだ。
「おーい、入るぞー」
茶色いノブに手をかける。俺はノックをするのも忘れて恐る恐るドアを開けた。
「チャイム押したんだぞ。返事くらいしてくれたって――」
そこには、下着姿でじゃれあう四人の幼女がいた。一人はブラのホックに手をかけ、一人はスポーツブラを胸の半分まで持ち上げている。キャミソール姿の二人も、仲睦まじげにお互いの胸を触りあっていた。
「あ、着替え中だったか。すまない」
俺は何も見ていない。そう、何もな。そう思って部屋の扉を閉めようとした瞬間――
「変態!」
「ぐおっ!!」
栗色の髪の少女が放った枕が、俺の顔面に直撃した。少し赤らめた頬が最高に男心をくすぐったが、そんな興奮に浸っている間もなく、俺の首は重力で直角にへしまがった。その瞬間、ハッキリとしていた意識が一瞬ゆらいだ。
◆◆◆
見間違いだ。そう思って何度も瞬きを繰り返したが、それは俺の間違いだった。
『
何度読んでもその文字は変わらない。
「こんなの納得いかねえ! なんで俺が停学――」
「パンツ窃盗事件」
女教師が口を開く。彼女の名は
「君は去年の教育実習で、プールの時間に女子生徒のパンツを盗んだようだな」
「はぁ!?」
「その生徒の親御さんからクレームが来ている。小学生のパンツを盗むようなロリコンは、学校にいらないと!」
いせみんがバンッと思いきり机を叩く。その反動で、校長の残り少ない髪の毛がふわりと揺れた。
「それは誤解だって。廊下にパンツの落とし物があったから拾っただけだ!」
「廊下にパンツが落ちているわけないだろう!」
まるで刑事ドラマの取り調べのよう。室内に漂うピリピリとした雰囲気。これでかつ丼があればバッチリなのだが。
「落ちてたんだよ! それに、俺はパンツよりスク水派だ! あの時だって、さっさとパンツを担任に届けてみんなの水着姿が見たかったのに……」
「スク水よりも……」
今までずっと黙っていた校長の、ハゲた頭がキラリと光る。そして険しい顔をして、重たい唇をゆっくりと開いた。
「バニーガール派じゃ」
「死ねっ!!」
いせみんの飛び蹴りが、見事校長の顔面に命中した。パンプスのかかと部分が丸みの帯びた険しい顔をぐしゃりと潰していく。ピカピカな頭で後ろの窓を突き破り、鼻血を飛び散らせながら、彼は高さ五メートルもある校庭へと落っこちていった。
「こうちょおおおおおおおおおおおお」
直後、ドゴンッという鈍い音が俺の耳に響く。聞こえてはいけない効果音が聞こえてしまった。
「ちょっと! さすがにまずいだろ。ここ二階だぞ!」
「大丈夫だ。あやつはもう落ち慣れているからな」
「落とされ慣れてるの間違いだろ!」
しかも校長に向かってあやつって。ここの学校の上下関係はどうなっているんだ。まあいい。そんなことより――
「貴様は停学の間、
まるで俺の心でも読んだかのように、さらりと変わる話題。舎監? 俺が? 寮母的なことをしろってか。
「霧立小って、毎年教育実習で行ってるところじゃねーか」
「そう、問題児たちが集まった寮だ。今そこには寮母がいない。そこで、一年間貴様にその役を担って欲しいという訳だ」
「一年!?」
そしたら高校はどうなる。実習は? 選択補講は? いや、どっちにしろ停学だから、学校へは行けないのか。留年確定。ばいばい、俺の青春。
「心配するな。問題児たちを全員寮から卒業させることができたら、二年のうちに取る資格を全て取得できるようにしてやろう。進級もさせてやる。だが……」
「だが?」
ゴクリと唾を飲み込んだ。真剣な空気が部屋中に漂う。いせみんのきりっとした瞳が、俺の顔面を包み込んだ。
「卒業させることができなかったら、普通科に移動してもらう。それと留年だ」
「はあ!? それじゃあ俺は何のために教育学科に来たんだよ。俺の教師になるっていう夢はどうなる!」
納得がいかない。俺、そんなに悪いことしたか。パンツを拾っただけなのに。パンツを拾っただけなのに!!
「そんなの知ったことか。全てはパンツを盗んだ貴様が悪い」
「だから盗んでねえって!」
こうやって冤罪が生まれるんだな。なるほど、授業で習うよりよっぽどわかりやすいぞ。俺はもう社会を信用しない。
「言っておくが、手を出したら即退学だ。というより牢屋行きだな」
すでにあなたのせいで牢屋行きになりそうなんですけど。いつの間にか窃盗犯に仕立て上げられてるんですけど。
「ちょっと待ってくれよ! 俺はそんなことっ……」
「寮の生徒にはお前のことをもう伝えてある。明日からよろしく頼んだぞ」
◆◆◆
「と言うわけだ」
俺の前にちょこんと座った四人の小学生たちは、まるで未確認生物でも見るような目で俺のことをじーっと見つめている。もちろん私服姿で。
長々と俺の話を聞き終えた彼女たちは、互いに顔を見合わせた。ちゃんと理解してくれましたよね。何か言ってくれないと、いつ警察に通報されるか不安になるんですが。
すると、さっき俺に枕を投げた少女。ぱっちりとした目を何度か瞬きさせ、思い出したかのように口を開いた。
「ああ、あの時の変質者か」
「変質者!?」
何、俺前からそんな変態扱いされてたの? 実習生じゃなくて?
「あの下着泥棒ね」
「下着っ!?」
ツインテールの少女が釣り目をさらに吊り上げて俺のことをキッっとにらんだ。やめて、怖いから。いせみんみたいな顔しないで。
というか、いつの間に噂がここまで広まっていたのだ。そりゃ保護者からクレームが来るわけだ。いや、俺は何一つ悪いことしてないんだけどね。勝手に変質者扱いされてるだけなんだけどね。
「それで、変質者さんが今日からここに住み始める寮母さんなのです?」
四人の中でも特にオシャレに気を使っていそうな少女。ツヤツヤな黒髪にカールのかかった毛先をたなびかせながら、彼女は俺に問う。くるんと上がったまつげが実にかわいらしい。小学生にしてはメイクが濃いし、目の周りがすげぇピンクだし、涙袋がキラキラだし、なんというか……派手。
「そうだ。正確に言えば舎監だけどな」
「は? 変態と一緒に暮らすなんて絶対いや」
ついに変態扱いされた。俺、ちょっと前まで普通の男子高校生だったはずなのに。
「そのうちお風呂も覗いてくるかもよ」
うん、君たちちょっと黙ろうか。確かに着替え中を覗いてしまったわけだが、あれは不可抗力だろう。
「痴漢……ダメ、絶対」
今までずっと俺たちの会話を黙って聞いていた短髪の少女が口を開いた。透明感のある肌と、透き通った声が非常にマッチしている。
「俺は変質者でも変態でもなく、蕪木蒼真だ。お兄ちゃんて呼んでくれてもいいんだぞ」
実はずっと妹が欲しいと思っていたんだ。一人っ子だし、いとこも年上だから、ずっと下の子に憧れていた。
「って、あれ?」
気づいたら四人が目の前から消えていた。辺りを見渡すと、部屋の隅っこの方でみんな小さく固まりながら、何やらヒソヒソと話をしている。
「あの男どうにかならないの!」
「無理です。先生にも昨日決まったことだって言われたです」
「でも……あれは変質者……」
「今からならなんとかできるんじゃない?」
ヒソヒソヒソヒソ。小さい声で話しているつもりだろうが、全部丸聞こえだ。やめて、これ以上はさすがの俺も傷つくから。
「とにかく! 俺はみんなと仲良くしたいと思ってる。みんな、名前を教えてくれ」
「怪しい人には……名前を教えるなって言われてる……」
どんだけ信用ないんだよ俺。顔はそこそこだと思うし、体格だっていい方だと思っているし、どこからどうみても普通の男子高校生にしか見えないと思うのだが。いや、そもそも男子高校生と小学生が同じ寮に住むこと自体が異常か。大丈夫、俺は幼女よりも美人なお姉さんがタイプだから。
「じゃあこれならどうだ。俺と一緒に住めば、掃除も料理も洗濯も全部やらなくていい。しかも毎日お菓子付きだ」
まあもともと家事は全部俺がやることになっていたし、お菓子だって作るのは得意だ。こんなことでつられる四人じゃないかもしれないが。
「お菓子……!?」
真っ先に飛びついてきたのは、俺のことをずっと睨みつけていたツインテールの少女。さっきまでとは違い、吊り上がった眼をキラキラと輝かせよだれを垂らしている。
「家事をしなくてもいいのはとっても助かるのです!!」
「遊ぶ時間が増えるね!」
「お昼寝もできたら……もっといい……」
なんだ。びっくりするほどみんな食いつきがいいな。やっぱり、小学生に家事を任せるのは相当な負担なんだろうか。そもそも寮母がいないというのがおかしいのだろうが。
「昼寝も付けてやる。その代わり、宿題はちゃんとやるんだぞ」
『はーい』
揃って返事をする四人。なんとか寮生活を始める事が出来そうだ。
「私は
と最初に俺を変質者呼ばわりした少女。右手を広げ、五を主張してくる。腰の下あたりまで髪が伸びているけれど、今まで一度も切ったことがないのではないか。それにしては毛先が綺麗に整っている。確かに四人の中で一番しっかりしているように見えるな。笑顔が素敵だ。
「四年生の
「あ、愛梨ちゃん……」
なんていい子なんだ。ああ、愛梨ちゃんのような妹が欲しい人生だった。一生ついて行きます。
「あたしは
プイっとそっぽを向かれてしまった。ツインテールの髪がふわりと揺れる。一瞬可愛いだなんて思ってしまったが、相変わらずきつい言葉を放ってくるな。将来絶対ギャルになりそうな見た目だ。だがしかし、ドSツインテールロリもいい!
「
四人の中で唯一の短髪少女。肩まである黄色い髪が顔の丸さを強調させている。
「よろしく……カブ……」
そんなあだ名をつけられたのは初めてだ。まあ、変質者呼ばわりされるより全然いいけど。
「改めて、蕪木蒼真だ。困ったことがあればなんでも相談してくれ。よろしく!」
全員の自己紹介が終わった。今日から一年間、みんなと一緒に過ごすんだ。色々あるだろうが、その時はその時。ようやく俺の春が始まる――
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