読書と鑑賞の記録

芳岡 海

読書

推し、燃ゆ/宇佐美りん

「メッセージの通知が、待ち受けにした推しの目許を犯罪者のように覆った。」(P3)


 この一文にノックアウトされ読むしかないと思った。

「推しが燃えた。」で始まる小説。

 正直、遂に来たかって感じで、同時にそれを待っていたとも思う。


 基本的に、「若者文化」が好きです。しかし自分はなぜか、小説を読むときだけやたら保守的になってしまう。

 流行り廃りを小説で見たくない。Twitterとかインスタは、せめてSNSと大きな括りで書いておいてほしい。極端な話、インターネットなんて登場しないでほしいし、ましてやネットスラングなんてもってのほかと思っているふしがある。

 けれど、数年で陳腐化してしまうこの日常を、早く文学に昇華してほしいとも思っていた。


「推しの結婚式に何食わぬ顔して参列してご祝儀百万円払って颯爽と去りたい」(P105)

 などの作中内ツイートがありそうすぎて笑った。


 言及されないものの、おそらく発達障害の主人公。

 推しがいなくなっても、悲しいことに我々の生活は回る。けれども主人公の生活は回らなくなってしまう。

 食べたケーキを吐くところなど生々しく、推しという画面やステージの向こうの人を見ていながら、それが生死に直結する気にすらなる。

 このへんの生々しさは、川上未映子さんや西加奈子さんなどの女流文学の系統という印象。いまどき女流文学など言わないのかもしれないが、この肉体感覚に思い浮かべるのはそのあたりだ。


「携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。」(P62)


「現実の恋愛もしないと」なんて言われるアイドルファン。それが同性のアイドルだったとしても、今度は「自分もアイドル目指してんの?」なんて言われたりする。

 推す、って、好きとは違うよね。(ねえ同志たち?)

「祈るように推す」

 この言葉に集約されていると思った。ほとんど祈りなのだ。

 見返りとか、ギブアンドテイクとは別のベクトル上の行動。応援すること、好きでいることが何かの目的のための手段ではない。それをすることそのものが目的。

 自分の行動や感情の根拠を委ねてしまう対象。もはや自分の幸せそのものまでを委ねてしまう。

 普通の生活ができない主人公には、それが顕著なのだろう。

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