未来予血の筆記具 - ブラッド・ライナー - その5
「君は、うちの従業員に何をしたのか理解をしているのかな?」
穏やかながらも有無を言わせぬ迫力を伴い、マスターが訊ねる。
「何を言って……」
「まさか、君は自分が何をしたのか自覚していないのかな?」
「いや予知で幸せになれるって……」
その言葉に、マスターはやれやれと首を振った。
「ふざけるなよ」
瞬間――マスターは見たことのない迫力とドスの聞いた声で告げる。
「つまりお前は、その予知とやらで女を襲うと幸せになれると出たから襲ったなどと言うつもか?」
マスターかっこいい!
そして、マスターの言う通り。
あまりにも認識が甘すぎる。
「そ、そうだよ……! 最終的に襲った女も幸せになるから大丈夫だって、予知にそう出たから……!」
「救い難いバカだな」
所長さんもやれやれと嘆息した。
呆れを通り越した何かを感じる。
「襲われて殴られた女の子が幸せになれるってどういう状況よ。ほんとバッカじゃないの?」
リスハちゃんも私に抱きつきつつ、ベーっと舌を出しながら男を罵る。
「何だよ……何でだよ! 今までずっと予知は正しかったんだ。その通りに動けばその通りになったんだ! なのに……!」
「だから、何度も言ってるじゃないですか!」
どうして今度は上手く行かないのかなんて言い切らせない。
「
だから、そのペンに宿る妖精が、予知と現実のズレを修正しようとする。そのチカラは分け与えられた血の量次第。
だけど――人間の致死量の血を分け与えられようとも、その予知修正は必ずしも成功しない。
そして、貴方はこれまでたまたま予知が覆らなかっただけ……いや、違う。たぶん、食堂で私の友達が転んだ時に覆っているのに、気づかなかっただけ」
リスハちゃんも、所長さんも、マスターも名付けの話は知っているんだから、それが事実であるように語れば信じたりノったりしてくれるハズ。
「予知は私の友達が転ぶ――とかだったんでしょう?
でも私の友達は転ばなかった。私が支えた。その時点で予知と相違があったんじゃないの?」
「音野さん。君はその時点では、予知について何か知っていたのか?」
所長さんの問いに、私は首を横に振る。
「なるほど。ならば予知は正しく覆されたワケだ。
予知の内容を知らずとも、キッカケ次第で覆る。これが事実だ」
そう告げる所長さんの横で、マスターも大きくうなずいた。
「予知が覆るコトがあるのなら、その通りに動くコトで生じるリスクは当然に考えるべきだが……お前はそれを怠った。その結果がコレだ」
マスターはそれから一歩前に出て、男を思いきり睨みつける。
「その上で、敢えて言おう。
未来予知などというオカルトが真に現実であったとしても、その前に君が女性を襲い殴ったという現実が横たわっている」
「そ、それがどうかしたのかよ……!」
精一杯、強がるような男の言葉。
直後、男の背後にあるビルの入り口から、ガタイがよくて厳つい雰囲気に、丸レンズのサングラスをした男性が入ってきて、私を襲った男の肩に手を置いた。
「どうもこうもない。逮捕だ」
「え?」
新たに現れた男性は上着の内ポケットから警察手帳を取り出して、私たちに見せてくる。
「
「け、警察……!」
「逃がすワケがないよなァ?」
それを見て、慌てて逃げようとするけど、厳槻さんは当然のように男を捕まえた。
「オカルトなんざ話半分だが、現実の話ともなりゃあ、おれたちの仕事だァ」
厳つい身体と、四角い顔。そして鋭い眼光のすべてで男を脅すように告げる厳槻さん。
遠巻きでも迫力がすごい……。
「おれが見た未来予知に、こんなのはなかっただろ……なんで、逮捕って……」
「お前の持つ
「未来予知とやらが正しかろうが間違ってようが、お前はお嬢ちゃんを襲った事実は変わらねぇワケだから捕まるのは当たり前だよなァ」
所長さんと厳槻さんに睨まれる。
なんていうか懲りるとか反省するとかってのはないのかな?
「お嬢さんには署まで一緒に――と言いてぇが、その格好じゃあ無理だわなァ」
私の姿を見て、困ったように頭を掻く厳槻さんにマスターが笑いかけた。
見た目や雰囲気は怖い人だけど、悪い人じゃなさそう。
「お巡りさん。よろしければ、明日の今くらいの時間にこの建物の隣の喫茶店へ来て頂けますか?」
「ん? なんでだァ?」
「明日のこのくらいの時間に、シフトに入って貰っているので」
「それじゃあァ、本来の担当と一緒に邪魔させて貰いますかなァ」
マスターと厳槻さんがそんなやりとりを終えたタイミングで、外からパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「誰かが通報して急行してきたかァ。ちょうどいいなァ」
そうして厳槻さんが連れて行こうとするので、私は思わず待ったをかけた。
「ちょっと待ってください」
「ん? どうしたァ、お嬢さん?」
私はコートの前を手で押さえながら、男の前に行き――
「気持ちは分かるがァ、バカをブン殴るのはやめてくれなァ」
「いえ。それはやりたいですけど、そうじゃなくて……」
適当に男のポケットを探って――
「あったあった。このペンを回収したかったんです」
私は先端が赤く染まった万年筆風のボールペンを男のポケットから取り出した。
「テメェ、オレの……!」
「私物化しないでください。別にあなたのペンじゃないでしょう」
「お前、ロクな男じゃないなァ?」
サングラスの下で厳槻さんは半眼を向ける。
そうして私は素早く男から離れると、リスハちゃんが駆け寄ってきた。
「はい存歌。手頃なコンクリ片」
「ありがとう、リスハちゃん」
右手にペンを、左手にコンクリ片を持った私に、この場の男性たちが
ちょっと憮然としながら、私はみんなに告げる。
「血を与えると未来を予知してくれるというペン。
嘘か本当か、このペンを巡って人死にも出てるっていうペン。
そして、ペンの予知を信じて他人を襲うような人が出てるんです」
だから――
私はペンを床へと放り投げ、コンクリ片を構える。
「ま、待てッ! それは本当に未来を教えてくれるんだぞ……!」
「噂の真偽も、チカラの真偽もどうでもいいッ!」
叫ぶ男にそう
派手な音を立てて、ペンが砕け散る。
私はすぐにチカラを使って、音を回収。
「存在そのものがなくなれば、それに振り回される人もいなくなるんだからッ!!」
そう告げると、砕けたペンから血色の妖精が弱々しく飛び出してくる。
怒ったように私に向かって突撃してくるけれど、さっきまでの鬱陶しく飛び回る感じじゃない。
「あ、ああ……未来が、分からなくなっちまうじゃねぇか」
男がうなだれたように何か言っている。
「そもそも、予知なんて見ちゃうから、未来を知れるから、判断がおかしくなっちゃうんでしょうが」
だから、私は素早く屈んで音を握ると、すぐに立ち上がってその妖精に押しつける。
「未来なんて分からなくて当たり前。だけど想像はできる。
他人に暴力を振るえば怒られる。逮捕される。そんなアタリマエすら想像できなくなるような道具なら、存在なんてしない方がいいッ!」
コンクリ片を叩きつけられて砕け散るペンの音を押しつけられた妖精が、ペンのように砕け散った。うーん、スプラッタ。
私も所長さんやリスハちゃんと同じようにスプラッタ仲間になってしまった。
急に屈んだ私を訝しみつつも、特に追求せずに厳槻さんが小さくうなずく。
「お嬢さんの言う通りだわなァ……。
実際に未来を知れたのかどうかなんてのはどうでもいい。だが、そのアタリマエが想像できなくなっちまった時点で、お前さんは、本当の未来って奴を見えなくなっちまってたんだろうなァ」
そして、パトカーが到着した。
駆けつけてくるお巡りさんたちに、厳槻さんが何か指示をしてから、男を渡した。
それから、改めてこちらへとやってくる。
「それじゃあお嬢さん。申し訳ないが明日少し時間をくれなァ」
「わかりました」
「破けた服とかは処分したり洗ったりしないで、そのままにしておいてくれ。証拠品なんでなァ」
そう言われたので、マスターに確認するとお店に予備の制服があるみたいなので――
「お店の制服に着替えるので待ってて貰えます?」
「着替えられるんなら、むしろ一緒に来て貰いたいが、まぁ明日でいいと言っちまったしなァ……顔の手当もあるだろうし、仕方ないかァ」
こうして、厳槻さんに証拠品として服を渡して一件落着かな。
そのあとは、お店にお邪魔して一息。
マスターにほっぺたの手当をしてもらった。
制服に借りちゃってるし、軽くお仕事のお手伝いとかしつつ……
とりあえず、換えの服を近くのスーパーの衣料品売場で見繕うとして――ブラウスとデニムでいいかな。
「さて、音野くん」
「さて、音野さん」
「さて、存歌」
「さて、存歌」
のほほんとグラスやカップを磨いていると、カウンターの内側に一人。外側に三人。合計四人が私に対してなにやら半眼を向けている。
――あれ、いつの間にか綺興ちゃんが増えてない? いつ来たの???
「なにがあったか、洗いざらい吐いて貰おうか?」
みんなを代表するように綺興ちゃんが告げる。
どうやって逃げようかなと思っていると、マスターがカウンターの出入り口の前に立ちふさがっている。
逃げ道はない。
「襲われたの、不可抗力だよ?」
精一杯の思いでそう口にしたけれど――みんなからのお叱りは避けられそうになかった。
「心配をかけちゃったのは申し訳ないと思うけど!」
……この
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