だれの蝶

芒なずな

第1話

   だれの蝶

                  

              芒 なずな

 夜の色を雲と混ぜたかわたれ時の校舎裏で、

先生は仄暗いコンクリートの上に置かれた美しい蝶が、ことごとく羽を剥がされた姿を見下ろしていた。

しばらくそうしていて、私に気がつき手招いた。

ピントの合わぬ青闇に浮き出た大きな手は、白くゆらゆらと手首から煽られ私に片付けろと放った。

私は先生の膝ほどに小さくしゃがみ込み、服の裾を用いて破片を拾い上げる。私の輪郭の端から、白く後を引く指がするりとそれを奪い去る。


「切り取ったんだな。」


 先生は美しい流れのある青緑を目に映り込ます。

蝶の色が、艶やかに眼球に沿って湾曲している。

薄いビードロの張られた目が、耳にすうっと届く細縁メガネのレンズ層に入られる。


「彼を、切り絵にしました。」


 先生は動かない。私の若さゆえの直感的な不安が背にともりだす。

ますます目の前のピントが合わず全てがわからなくなってくる。

先生は、そうなんだな。と地面に言葉を落としながら全てを拾おうとしている。

次はこちらが動けなくなった。重いだけの布切れから出た私の下半身は、くるぶしから下が、凍りながら空気に流されていく感覚だ。

幾度と身に覚えのあるこの焦燥感を私がかき消せぬまま、先生が片付けを終えた。


 ミヤマカラスアゲハの雄は大変きらびやかで、朝露を滴らせるドラセナのぬらぬらとした光沢を帯びていた。

先生は鱗粉がつくことをまるでいとわずに破片を丁寧にめくり取り、モグラのようにして掘った土の中に包みしまってやった。

やがて放心したように、一瞬の時を忘れた二人は途端に帰ることを思い出した。

さあてと立ち上がり、先生は車で送ると言ってくださった。

その時に私が感じたのは恥だったのか。カアッと背、肩、胸、顔に熱い電子が走る。

苦しむ胸をバカにしながら、その背を見ずに追いかけゆく。

そうでなければ私の目を読まれ、先生であり先生ではない何かのようになってしまうのではないかと、ふいに怯える自分を踏みつけて嫌悪した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だれの蝶 芒なずな @susuki_nazuna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る