第17話 「絶対に、許さへん」

 雑貨店の店内では、シックな木箱に納められたオルゴールが落ち着いたメロディを奏で、ゆったりとした穏やかな雰囲気が流れていた。

 雑貨店だけあり棚には雑多な品物が数多く陳列しているのだが、不思議とごみごみした感じはしない。これはひとえに、店主のこだわりと美意識の為せる技だろう。


「すいません、お手を煩わせてしまって……」

「いいってことよ、まいどありー!」


 カウンターでジンが品物を受け取り、店主がにこやかに応対する。

 ジンはある品を買い求め、通りがかった雑貨店にふらっとまた立ち寄った。しかし、欲しかった物はなかなか見つからず、最後には店主に頼んで倉庫から探して引っ張り出してもらっていたのだ。

 結果、数分ほど想定より時間を食ってしまった。


(ヒリングさん、待たせちゃったな……大丈夫かな?)


 ジンとしては目の届くところにキルシェは置いておきたかったのだが、彼女は彼女で気になるものがあったようで、珍しくジンには同行しなかった。

 ベルムートが店内に入れなかったので、不安は残るが、まあそれならと一緒に店外で待たせていたのである。


(ハハ、いくらヒリングさんでも、さすがに心配し過ぎか……)


 滅多なことでは、彼女は他人に危害を加えない。ジン一家以外には少々トゲのある言動が目立つが、根は善い人なのだ。……まるでDV彼氏を庇う彼女の心境だが、その点に関しては信頼している。

 そう考えることにして、ジンは店の外に出た。そして、目撃した。


「オレの名はウィル。以後、お見知りおきを……」


 ウィルがひざまずき、キルシェの手の甲にキスしているところを。


「──死にさらせコルァアァァァアアァァァ!!」


 そこへ、向こうから猛ダッシュで駆け抜けてきたカミンが、そのままの勢いでウィルの背中へとドロップキックをブチかました。


「うえ……きゃああああああぁああぁ!!?」


 その刹那、死んだ目で硬直していたキルシェも我に返る。自分に向かって吹っ飛んできたウィルの顔面に、無我夢中で左のアッパーカットをお見舞いした。

 白目を剥いたウィルはキリモミ回転で上空へと舞い、ベルムートが受け止めようとして着地点でわたわたしていた。ところが、「あ、無理だこれ」と感じたのか、途中で諦めて脇に避けた。

 ウィルは、地面にメシャリと墜落した。


「ウィィィィル!!」


 ジンがウィルに駆け寄り、肩を抱き上げる。ウィルはカッと目を見開くと、ジンの胸倉を震える手で掴んで弱々しい声を出した。


「ジン、お、おまえ……キルシェさんと、どんな関係だ……まさか、か、彼女……?」

「……そ、それは……えーと……」

「彼女じゃねえ、妻だッ!!」


 キルシェが会話に割り込んだ。


「ぐほぁぁっ!!」


 ウィルは血反吐を吐いた。


「ウィィィィル!!」


 ジンの暖かい腕の中で、ウィルの意識は淡い恋心と共に闇へと沈んでいった。

 その姿を憐れみ、ベルムートがお情けで彼の頬を舐めていた。

 カミンは忌々しそうに失神中のウィルを見下ろすと、「ケッ」と短く毒づいて、顔面に治療薬の薬液を粗雑にぶっかける。

 傷が癒え、すやすやと寝息を立てるアホを見届けて、カミンはキルシェと対峙した。


「キルシェはん、すまんかったな。ウチのアホンダラがバカな真似したわ」

「……ふん、まあアンタには助けられたよ。危ないとこだった」

「へっ、あんなんウチかて許さへん。礼はいらんで」


 左手の甲をキルシェが右手でさすり、心からの安堵の息を漏らす。

 キルシェは、突然ウィルが殺気なく敵に後頭部を晒した意味を理解できず、反応が遅れた。カミンの妨害が入ったので事なきを得たが、危うく不貞行為を許しかけたのだ。

 ジン以外の男に手を触られるだけでも寒気が走るというのに、口づけなどもってのほかなのであった。

 

「……ほんで、かの悪名高き“獄炎天女”がジンの妻っちゅうんは、なんの冗談や?」

「ああん?」

「獄炎……天女……?」


 カミンが腕組みをして、キルシェに厳しい目つきを向ける。ピリピリとした剣呑な空気と、初めて聞く二つ名にジンは戸惑いの色を見せた。


「そうや。認識阻害の幻とは驚きやが……ウチの天賦装サインは誤魔化されへん! あんたは十年くらい前、各地のリデル区域で暴れ回っとった“獄炎天女”やろ!!」

「なんだ、やっぱり知ってたんじゃねえか」

「確証があったワケやない。古い話やし、裏で出回ってた情報も炎を操る凶暴な少女、ってだけや。蟲も賊も、監察官すら見境なく潰して回る。暴虐の権化、生ける悪夢。そんな与太話、ウチも半分信じとらんかったわ」


 カミンはキルシェの一挙手一投足から目を離さず、滔々とうとうと喋り続ける。その傍ら、腕組みで隠した右手をさりげなく、腰に巻いた作業用ポーチへ突っ込んでいた。

 それをキルシェは一顧だにもせず、面倒そうな顔で左手のネイルを眺める。


「心外だね。あたしは降りかかる火の粉を払ってただけだ」

「姿形の噂がばらばらだった理由も、よー分かった。そんで数年ぶりに暴れ散らかして、今度はジンの嫁さんか? ……あんさん、いったい何企んどる?」

「……ハッ。企んでたら、どうするってんだ?」


 キルシェが首をもたげ、挑発的に唇をニィと吊り上げる。カミンも退かず、応じる。


「そこのアホと同じや……絶対に、許さへん」

「おもしれえ」

「二人とも、ちょっとま、待ってくださ……!!」


 場の緊張がピークに達し、ジンはたまらずストップをかけようと立ち上がる。

 なんとなくだが、ジンも彼女らのやりとりから状況が見えてきていた。ウィルとカミンを巻き込みたくはない。それでも、あらぬ誤解をされるより幾分かマシだ。まだ話すつもりはなかったが、やむを得ない。そう判断してのことだった。

 しかし、その必要はなかった。


「──ぷっ」

「フ……フフフ」


 カミンが、キルシェが、同時に含み笑いを漏らす。


「だあっははははは!!」

「アッハハハハハハ!!」


 次いで、二人は緊張の糸が切れたように、どっと大笑いした。


「……へ?」


 頭上にクエスチョンマークが浮かび、ジンが頭を捻る。

 カミンはゴーグルを外し、黒髪をかき上げてニカッと白い歯を見せた。


「だはは……! 気に入ったで、あんさん」

「ヘッ、アンタもな。……さすがはジンのダチ、ってトコか?」


 両者の口調からトゲが抜ける。

 キルシェも和やかに相好を崩していると、カミンがポーチから一枚のカードを取り出し、キルシェへとシュッと投げて寄越した。


「カミンや」

「んあ?」

「姓はリー、名はカミン。この国イチの大商人、リー・カミンたぁウチのことや! なんか頼みがあったら言い。サービスしたるで? ……海外旅行とかな」


 キルシェが指で挟み取ったカードには、カミンの名前と連絡先、更に“ナンデモ堂”のPRまで書かれていた。名刺である。それも、お得意様用の。

 キルシェは名刺の両面をまじまじと見た後、短く礼を言って懐にしまい込んだ。

 相も変わらず頭上にクエスチョンマークが継続していたジンは、おずおずと手を挙げる。


「あの~……それで、誤解は解けたってことで……いいんですかね?」

「……ま、ええやろ。許したる。こん人は聞いてたほど悪いやっちゃなさそうや」

「ヘッ、許すも何も! あたしらはハナから夫婦だってんだろが。なぁ~っ、ジン?」


 ジンの腕に、キルシェが猫なで声を出して絡みつく。彼女は気迫もへったくれもない緩み切った笑顔を肩へ擦り寄せるも、ジンにノールックで額を掴まれ押し返されていた。


「いや、それはそれでまた別の誤解が残ってる気がするんだけど……」

「せやった、このアホにも教えたらなな。おい、起きんかコラ! おい! ……おい?」


 カミンがしゃがみ込み、ウィルを叩き起こそうとして、異変に気付いた。

 彼はなぜか、また頭から流血し白目を剥いていた。


「ウィ……ウィィィィィィル!!」

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