第二幕
第12話 「結婚式はいつにするの?」
「……で、お兄ぃ」
ミントがムスッとした表情で、食卓の向かいからジンを睨む。
ジンはうつむいて背中を丸め、滝のように汗を流していた。その隣で、ミントの知らない女が我が物顔で席に座り、山盛りの白米を口にかきこんでいた。
「お
「あらあら、お
米粒を口元につけ、女は笑顔で茶碗をバーバラに差し出す。
バーバラも微笑ましげにおひつから米をよそい、受け取った女はまた飽きもせずに、ノーおかずでご飯を幸せそうにもぐもぐとほおばっていた。
具無しの味噌汁に焼き魚と漬け物と、ジン家の食事はエルドレムダではどちらかというと珍しいラインナップに属していた。女には、それがいたくお気に召したようだった。
女は自分の分のおかずは即座に食べ尽くし、ジンに分けてもらったおかずもとうの昔に食べ終えていた。それでも女は食べ止まらず、今となっては白米をおかずに白米を食べているような状況になっていた。
「なんなの、このおん……人は……?」
「いや……それがね、ミント……」
「……んぐ? あれ、言わなかったっけ? あたしはキルシェ。キルシェ・ヒリング! 今日からここに住むことになったから、よろしくな! 妹ちゃん!」
ミント的に言えば大喰らいで面の皮の厚いお邪魔虫、キルシェ・ヒリングがごはん片手にドヤ顔でサムズアップをした。
ミントの眉間に皺が寄り、額にピクピクと血管が浮かぶ。
「だから……! それがなんなの、って言ってるの! 話分かりますぅーっ!?」
ミントはテーブルをバシバシと叩き、身を乗り出してキルシェにキレ散らかす。
バーバラに「どうどう」と顔に手を当てて宥められ、ミントが座り直した。
「……帰りが遅いと思ったら、頼まれてた物は買ってこないわ、前髪変わってるわ、ヘンなもの拾ってくるわ……ベルちゃんはともかく、これはどーいうことなの、お兄ぃ!?」
至極当然の話ではある。ミントからしてみれば、兄を心配して待っていたら得体の知れない女(と犬)を連れて帰ってきて、今日からその女(と犬)も一緒に住むだなんだと玄関で急に言われたのだ。それで「ハイ、そーですか」と承服できるはずがない。
なぜか早くも受け入れムードの、母バーバラの順応力がおかしいだけだ。
ジンを責め立てつつ、ミントは隣の席でくつろいでいる子犬ベルムートを撫でた。
一足先にジンの手でシャワーを浴びさせてもらいさっぱりとしたのか、ベルムートは湯気を立ててご満悦で家に馴染んでいた。ヘンなもの判定ではなかっただけはある。
「いや、行く当てもないって言うからさ……ほっとけないだろ?」
ウソである。一度ブチギレられた経験上、ほっといたらもっとマズい目に遭いそうだったので、罪に罪を重ねてでも家にかくまうことにしただけである。
しかし、頼られると弱いのはその通りなので、一概にウソとも言い切れない側面もあるのがまた難しいところであった。
ジンは現在、いろんなものに板挟みとなっていた。
「あのねぇ……犬猫拾うのとはワケが違うでしょ!?」
「そうよねぇ……どっちかというとカラスよね?」
「へ?」
ミントがバーバラを見ると、カラスを模したお面を持ってニコニコしていた。
「あっ……それあたしの! お
「キルシェちゃんの大切なものでしょう? もう失くしちゃダメよ~」
「うひょーっ、ありがとぉ~!」
キルシェが米粒一つ無い茶碗の脇に箸を置き、バーバラより渡されたカラスの半面を抱きとめる。ミントは頬杖をつき、苦笑いした顔をこわばらせた。
「……だいたい何、その腕輪! 二人して似たようなの着けちゃってさ!」
「えっ、あーっと……これはだね……」
銀色の腕輪をミントに指さされ、ジンが言い淀む。そこへキルシェが、ジンの左から抱きつき腕を絡ませた。ちょうど、二人の腕輪と柔らかいものが密着する格好となる。
「そりゃあ、あたしたちケ・ッ・コ・ン、してるもんねぇ~! 永遠の愛を誓った者同士、その証のペアリングはなんであれ付き物だよなぁ~っ、ジン!」
「だああっ! ヒリングさんっ、ほら、結婚じゃなくって、けっ、結魂っ、マリアンジュのことですよねっ!? ボク、夫婦になるだなんてオッケーしてませんからねっ!?」
話がこじれそうなキルシェの爆弾発言を、ジンがミントをチラチラと見ながら全身全霊で否定して、手を左右に振る。リングはリングでも指輪ではなく、腕輪だ。
キルシェはそんなジンをからかうように、艶めかしい声音を出して流し目を送った。
「あれぇっ、でもさぁジン……? おまえ、“責任取る”って、ちゃんと言ったよなぁ?」
キルシェにひしと抱き寄せられ、二人の身体と顔が一段と接近する。
「そっ、それはベルムートのことですっ!」
「あら~……じゃあやっぱり責任取らなきゃねぇ、ジンくん?」
「ちょっと! バーバラさんっ!?」
食器を片付けていたバーバラが出し抜けに悪ノリ援護射撃を加え、ジンの胃が要らぬ追加ダメージを負う。
「はっ……そっか!」
キルシェがふと思い至った様子で、口元に手を当てる。
「はい?」
「“事実婚”……ってコト!?」
「違いますよ!!」
籍を入れなければいいというものではない。
あーだこーだとジンにキルシェにバーバラの三人がミント抜きコントに熱中していると、ミントの長く深々とした嘆息が居間に響いた。
「なにさ。結婚、結婚って……」
ミントが指で、テーブルを小刻みにトントンと叩く。顔をしかめ、呆れ声で続けた。
「あのさぁ……そもそも、わたしは初めからそれがおかしいって言ってるよね? 我が家にはこんな! ずーずーしい大飯喰らいの住める余裕はないんだってば!」
「ミント、あなたねぇ…………へ?」
バーバラがミントの過激な物言いを叱ろうとして、止まる。
キルシェの胸元が、光ったのだ。
「カネならあるぞ?」
四次元にでも繋がっているのか、キルシェは胸元からニュッと、煌びやかな装飾のあしらわれた豪奢な小箱を取り出した。彼女がぞんざいに、その小箱の蓋を開ける。
「な……なに……これ……」
中身を目にしたミントがビビり、ジンとバーバラは絶句する。
黄金のネックレスに、大粒のダイヤモンド。夢天界でも価値ある宝石と貴金属の山が、煌々と箱の中でみっちりと光り輝いていた。
バーバラが両手を合わせて恍惚とした表情を浮かべ、瞳を負けじと光り輝かせる。
「……で、あなたたち結婚式はいつにするの?」
「ちょっと! お母さんっ!?」
圧倒的なまでの金の暴力にあっさり屈したバーバラを、ミントが咎める。
マネーイズパワー。夢天界の沙汰も金次第である。
懐柔済みのバーバラはこの天の恵みを享受する気満々だが、キルシェという人間の何たるかをいくらか知っているジンは、じっと疑いの目を向けた。
「ヒ、ヒリングさ~ん……? あの、こ、これは……?」
「いやぁさぁ、嫁入りにゃ持参金ってのが必要なんだろ? だから集めてきたんだよー!」
嫁入り云々は置いておくとして、キルシェの言うように、そういった慣習のある地域も実在する。だが、“集めてきた”というワードにジンは一抹の不安を覚えた。
「そ、そうなんですか……? でも集めてきた、ってやっぱりこれ、盗んで……」
「アッハハハ! まっさかぁ~!」
キルシェが白い八重歯を見せて爆笑し、ジンの背中をバンバンと叩く。
「……ハハ! そうですよね! まさかなんでもかんでも盗むわけ……」
「盗賊ボコったら出てきたんだよ」
ジンは天を仰いだ。
「あたし、そこそこ長いこと旅してたんだけどさぁ、あいつら女の一人旅と見るやすーぐ襲ってくるから入れ食いだったぜ~? ラクなもんだよなぁー!」
「あらあら……良いことしたわね~。ねぇ、ジンくん?」
「いやいや……バーバラさん……?」
「だろぉ? さっすがお
ジン家の懐事情を考えれば、願ってもない申し出ではあった。だとしても、盗賊から奪い取ったのならそれは間接的な盗品だ。既にいくつものラインを飛び越えてしまっている気もしたが、ジンとしては、その一線ぐらいは越えたくなかった。
監察官としても、男としてもだ。せめてもの虚しい抵抗である。
「……ダ・メ・で・すっ! このお金は絶対ゼーッタイ、受け取りませーん!!」
ジンが小箱を持ち上げ、キルシェに突っ返す。小箱を渡されたキルシェはきょとんとして、慌てふためいた。
「え、え? なんでっ?」
「なんでもです! とにかく、そのお金は受け取れませんから! それとバーバラさん!」
「な、なにかしら?」
「ごちそうさまでした!」
そう言い残すと、ジンはがたんと椅子を鳴らして席を立ち、居間を出ていった。
突っ返されるとは夢にも思っていなかったキルシェが、「しょ、しょんにゃあ……」と瞳をうるうるさせる。
すっかり意気投合していたバーバラも、続けざまに「にゃあ……」と呟き、指を組んで口惜しそうに悲しんでいた。
「……バカみたい」
ミントはテーブルに両肘ついて顎を乗せ、今一度深く溜め息をついた。
こうして、ジン家の突発的な家族会議はうやむやのうちに幕を閉じたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます