第10話 「“結魂”、してくれる?」

『ぬうっ……! 誰だ!?』


 直前、青い火炎弾を撃ち込んできた方角を局長がじろりと射すくめる。

 建物の屋上で局長たちを睨み返していたのは、口元から火煙を漏らし低く唸り声を上げる白き巨狼だった。真の姿を見せたベルムートは咆哮し、皆が耳を塞ぐ。


『キルシェの、せ……星霊獣せいれいじゅうか……! 身を潜めていたのか!』

 

 ベルムートがフードの二人に飛びかかり、威嚇する。二人も応戦するが、ベルムートの毛並みと爪牙は鋼のように硬く、彼らの刃を簡単には通さなかった。

 混乱に乗じ、アクセルを吹かしたフロート・バイクがキルシェの背後に駆けつける。

 運転者がぶかぶかのキャスケット帽のつばを持ち上げ、金色の瞳が奥から煌めく。


「ヒリングさんっ! 逃げましょう!」

「ジン、おまえ~っ!」


 キルシェは喜色満面に溢れ、手を差し伸べてきたジンへと抱きついた。

 飛び込んできた彼女の胸に視界が塞がれ、ジンはバイクごと転倒しそうになる。


「わたっ、わたた……! あぶ、危ないですって! ヒ、ヒリングさんっ……!」

「助けに来てくれたんだねぇっ、ジ~ンっ! あたしのためにぃーっ!」


 立て続けの熱烈なハグと頬ずりに、ジンが顔を赤らめてキルシェを引き離す。

 喜びを爆発させたキルシェは、諦めずに抱きつこうとジンに引っ付いた。

 ジンにはどうしても、この彼女がそこまでの悪人には思えなかった。怒り狂っていたとしても直接ジンに攻撃を当てることはなかったし、市街地では二次的な被害を気にして無闇に火炎弾を撃ってはいなかった。


 手荒な捕縛作戦に打って出た連合部隊との戦いでも、誰一人として相手に致命傷を負わせることなく、最小限の攻撃での無力化に留めていた。フードの二人が無配慮に撃った猛撃も、兵士たちを庇い立てさえしなければ避けれていたはずだ。

 更に言えば、彼女の力であれば鎖を巻きつけられた時点で、どうとでもできていたに違いなかった。あのまま引っ張って敵を釣り上げ殴り倒してしまうもよし、倒した敵やジンを囮にベルムートと逃走を図るもよし、だ。


 でもキルシェはそうしなかった。あえて立ち向かうことを選択した。

 出会って間もなく、身の上も何も知らない間柄ではあった。だが、ジンは彼女が持つ戦闘面の強さ以上に、そうした心根の強さと誠実さに対して、ある種の好感を抱いた。

 それに、上級以下の監察官や兵士は今は一般人も同然だ。一般人なら、それと知らずに道ばたの怪我人を助けてしまおうが不運なアクシデントに過ぎない。


 (警備のおじさんからバイクと帽子を拝借した件じゃ、弁解の余地ないけどね……)

「うう……あ、あたし感激で前が見えない……」


 ジンに顔の上半分を両手で押さえられ、キルシェが涙ぐむ。


「何か、事情があるんですよね? ……じゃあ、一緒に行きましょう! ボクにできることなら……力になります! ヒリングさん!」


 キルシェが固まる。彼女は目を潤ませ、うなずいた。

 まだベルムートが局長たちを引き付けて戦っているものの、そう長くは持たなそうだった。隠蔽用の炎の壁もそうだ。ジンがキルシェの腕を掴みバイクに乗せようとすると、彼女はぽつりと、「ごめんね、こんな形になっちゃって……」と呟いた。


「えっ?」


 大剣使いの竜巻と斬撃で、ベルムートが吹き飛ばされる。ジンたちの足元で倒れたベルムートが子犬の姿に変わり、青い炎の壁も弱まり消滅していく。

 ベルムートがよろめき立ち、キルシェの脚にもたれかかる。

 視界が晴れ、局長たちは目に飛び込んできた突拍子もない場面に、言葉を失った。


「おぉぉい、てめぇら! それ以上近付いたら……こいつと結婚するぞぉぉ!!」


 その場面とは、キルシェがいたいけな少年の首に腕を回して人質に取り、局長たちに意味不明の恫喝をしているところだった。


「えっ……ええ?」


 いたいけな少年こと、ジンが呆然としてキルシェの左腕を両手で力なく掴む。


「きょ、局長! 一般人の少年が……ひ、人質に取られてますっ!」


 副官の女性が思いがけなさ過ぎる場面にパニクり、局長の肩をぽこぽこと叩く。


『キルシェおまっ……正気か!?』

「あたしたちはとっくに……一線を超えた!」

「ヒ、ヒヒヒ……ヒリングさんんんっ!?」


 ジンは内心、前言撤回した。この人はヤバい人だった。


『ななな……なんだとぉおぉーっ!?』


 局長もパニクり、テープでくっ付けていた欠片がサングラスから外れ飛んだ。


「こいつはあたしの寝顔も知る仲だ……一緒に夢だって結んだ! そして今、あたしたちは固い契りもここに結んだ! 婚約を交わしたんだ! だから……あたしは結婚する!!」

(ええぇ……)


 キルシェの言っていることもあながち間違いではない。寝顔は見たし、彼女の〈星域〉に期せずして入りもした。他の天人の〈星域〉に入るなんて、親しい仲でもなければそうもしないことだ。頼みがあれば自分にできることなら力になる、とも間違いなく言った。しかし婚約だなんて話は、ジンは一切聞いてない。そんなのは無効だ。婚約破棄だ。

 皆がキルシェの要求と発言を理解できずにぽかんとしていたが、局長だけは彼女の言葉に青ざめ、額に一筋の汗をかいていた。

 副官の女性が局長に、当然の疑問を口にする。


「あの……局長、娘さんはいったいなにを言って……」

『……キルシェ、それはどっちの意味だ? お前にできると思っているのか……結婚も、“結魂”も!!』

「ハッ、だから眠たいこと言うなって……両方に決まってるだろ? それに、できるできないじゃねぇ……するんだよ! あたしの現実は、あたしだけが決めるんだ!!」

「ヒリング……さん……」


 キルシェはそう言い放つとジンに顔を寄せ、その耳元で妖しく、密やかに囁く。


「ジン……あたしと……“結魂”、してくれる?」


 キルシェがジンの頬に──キスをした。


「……!!」


 ジンが頬に微かに湿った唇の感触と熱を感じると同時に、腰の辺りから光と熱が滲み、溢れ出る。ポケットの石ころが身体に吸い込まれるようにして消え、ジンの左手首に“銀”の腕輪が浮かび上がった。二人の左薬指にも、紋様の輪が顕れる。そして、赤と銀、二つの腕輪の結晶から発せられた光が混ざり溶け合い、ジンとキルシェを包む巨大な光球となった。


「きょ、局長っ、な、なんですっこれっ!? どういうことなんですかっ!?」

「落ち着け……! まさか、本当に……」


 球体が放つ閃光に照らされ、局長たちの目がくらむ。街は真昼のような明るさに満ち、気温が上昇していく。光熱で大気が焼かれ、揺れる。

 立ち込める熱気に誰しもが汗を噴き出し、震える大気に視界が歪む。

 局長の顎を伝って、一滴の大粒の雫がこぼれ落ちた。


 火柱が、上がった。


 極大の火炎の柱が光球より天へと昇り、強烈な熱波が周囲を襲う。

 火柱が薄れる。光と熱が収まり始め、夜風は涼しく肌を通り過ぎていく。

 人々の瞑っていた目が開かれる。

 遥か天空、光輝なる地球を背にして、“何か”が飛翔していた。


「……翼……鳥……?」

「……違う。“天使”だ……! 天使の、召喚…………!!」

「あれが……あれが天使だっていうんですか? あの黒い翼の、何かが……!」


 局長から天使と評されたその何かは、黒髪から深い漆黒の翼を伸ばし、両の瞳は赤く血の色に染まっていた。身に纏う鎧は黒地に真紅の武者がごとき武骨な物で、かつて英雄ネフェルが呼び出したという、壮麗な白銀の天使とは似ても似つかない。

 神々しくも怖気の走る恐ろしさが、その黒翼の天使からは漂っていた。


「キルシェ、ジン……お前たち本当に……“結魂”、したのか……」

 

 局長が脱力し、車に寄りかかる。

 天高く舞う黒翼の天使は微笑を浮かべ、鷹揚に左手を天へ突き上げた。

 火の粉が散り、手のひらに浮かぶ火の玉が膨らみ、小型の太陽へと変化していく。

 消え失せていた熱気と、戦慄が再び場に蘇る。


「な……!? おい……よせ! そんなもの……そんなものを撃ったら……!!」

「喰らいやがれ……! 【零れ陽炎スピル・フレア】ァアァーッ!!」


 黒翼の天使が、その線の細い左手を天から地へとかざす。

 太陽と見紛う大火球が、地表へと降下する。

 逃げる間もなく、燃え盛る劫火が絶叫する人々を焼き尽くした──かに思われた。


「きゃあああぁぁぁぁ!!」

「うぁああぁぁぁっ!! ぐぅっ、うぐ…………あれ?」

「局長、死ぬ! 死んじゃいますぅぅうぅうぅ!!」


 副官の女性が炎に焼かれ、のたうち回る。意識を取り戻した矢先に火へ呑まれた監察官や兵士たちもパニックになり、喚き散らかしていた。

 感覚のズレに勘付いたらしき局長が、一足早く冷静になり動きを止める。身体を包む炎をじっと眺めた後、彼はメガホンで呼びかけた。


『おーい、この炎、熱くないぞー……幻だね、これ……』

「……えっ??」


 天使は遠く、夜空へと高笑いして飛び去っていった。


 ***

 

 夜空羽ばたく黒翼が羽根を宙に舞い散らせ、街外れの民家の前に降り立った。天使は光球へと変わり、溢れる光の中から顕れた少年はどさりと地面に倒れ込んだ。

 疲れ切り虚脱感にまみれた心身を奮い立たせ、両膝をついて身体を起こす。動悸が残響する胸中にあって、ジンは己の身に起きた事態を整理しようと努めた。


(そうだ……光に、光に身体が包まれたと思ったら……ボクは空を……空を飛んでたんだ。そして勝手に……身体が動いて……街に向かって……火を……)


 あの大捕り物の真っただ中、ジンの瞳に映る景色は目まぐるしく切り替わった。白一色の眩しい光、見下ろす街の薄明かり、人々を呑み込む炎の海。

 流れていく映像はどれもまるで現実味がなく、ジンは眠って夢を見るとしたらこんな気分なのだろうと感じていた。

 次いでジンは、そのときハッキリと自分の身体の内側に、もう一人の誰かが居る感覚をも覚えた。違う誰かが主導権を握って、身体を動かしているような奇妙な感覚だった。

 全ては彼女が、あのキルシェが、耳元で何がしかを囁いてから──


(え、あ、あれ……? もしかして、ボク……)


 頬を触り、思い出した温もりに顔が赤らむ。落ち着きを取り戻しつつあった心臓がまた高鳴ろうとしたところへ、腹を抱えて大笑いする少女の声が割り込んだ。


「アッハハハ! 見た見た、ジン!? オヤジたちのあの慌てっぷり!」

「……ヒリングさん……笑い事じゃないですよ!? なんなんですか、あれ!?」

「ハハ、だいじょぶ、だいじょぶ! 【零れ陽炎スピル・フレア】の炎は人の自然治癒力を高めるだけのものだし、腰痛・肩こり・滋養強壮にまで効く優れものなんだよ? ほぼ温泉よ温泉」


「なーんだ、それなら安心……じゃなくて! これですよ、これっ!」


 落ちていた黒い羽根をジンが一枚つまんで立ち上がり、キルシェに突きつけた。

 局長たちを襲った猛火が幻影だったことは、原理はともかくとして彼らのリアクションで理解していた。火炎球にはジンも大いに焦ったが、今優先すべきはその話ではなく“黒い翼”の件だ。

 ジンは身体の自由が利かずとも、側頭部から黒い翼が生えていることは視界の端に捉えて認識できていた。そのうえ、どう見ても自分の物ではない長い手足と、厳めしい鎧や籠手といった装備一式である。

 キルシェはいったい、何をしたというのか。


「ふふふ……ジン、あたしたちはね、とうとう“結魂”したんだよ!」


 喜びを噛みしめるように、キルシェが頬を両手で包みもじもじとする。


「いっ、いつ結婚したんですかっ、ボクは!」

「そーじゃなくて、“結魂”……“マリアンジュ”って言ったほうが分かりやすいかな? 天使になったんだよ! あたしたち、二人で!」


 キルシェはジンの左手を両手で掴み、瞳をキラキラとさせながら、またもや訳の分からないことを言い出した。


「マリアンジュ……天使? 天使って、あの、父さんが戦争で呼び出したっていう……?」

「…………うん、そうだよ。でも天使はね、英雄によって召喚された存在って言われてるけど、本当は違うの。“二人”が合わさり、“天”と成る。どこかから呼び出すんじゃない……人そのものを混ぜ合わせて、天使へと創り変える儀式だったんだよ」


 ややトーンダウンした口調で彼女が告げた真実は、ジンにとって青天の霹靂だった。

 父ネフェルと母カシスの二人が行ったのは天使召喚の儀式ではなく、融合の儀式だったということだ。これまで教科書や絵本で広く知られ信じられていた歴史は、何がそうさせたのか、事実とは異なっていたのだ。

 にわかには信じがたい話ではあったが、身を以て体験した天使としての記憶と心身に染みついた感覚が、それを真実だと否応なしに認めていた。


「じゃ、じゃあ、これって、つまり……」


 ジンが自らとキルシェの左手首に輝く、銀と赤の腕輪に視線を落とす。


「そ。天使になるのに必要な夢天界の秘宝。大変だったんだよー、二本揃えるの」


 キルシェはあっけらかんとして言った。ジンの脳は直ちにスーパーコンピューター並みの計算力を発揮し、ニューロンを総動員フル稼働させた末に、一つの結論へ至った。

 あっ、この人、ヤバい人だった──と。

 そう言われてみれば、局長も「第一級機密物窃盗容疑~」とかなんとか叫んでいたような気がした。それもそのはずだ。この二本の腕輪は、どちらもが英雄の使っていた遺物なのだ。

 ジンにとっては両親のお下がり、という感じだが、そんな次元に収まる話ではない。これは国宝なのである。


「あわ、あわわのわ……」

「わおんっ!」


 半分は承知の上で自分から首を突っ込んだとはいえ、事の重大さを思い知らされて脚がガックガクになる。キルシェの陰から出てきた子犬ベルムートが、呑気にその脚へ擦りついてきた。

 しゃがみ込んだキルシェがベルムートを抱きかかえると、彼女は上目遣いで、悪戯っぽくはにかんで笑った。


「セ・キ・ニ・ン……取ってくれるんでしょ?」

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