第9話 「ほら、捕まえてみろよ」
大勢の足音や話し声に、機械の駆動音。夜だというのに、街が一挙に騒然となる。
寄り集まった兵士の一人がサーチライトをかざし、キルシェの姿を闇夜に照らし出す。
クラシックなデザインの夢素式オープンカーから身を乗り出し、手に持ったメガホンで叫んでいたのは欠けたサングラスの男──監察局のブレンデッド・マドラー局長、その人だった。
「オ、オヤ……ジ……」
「ええ!?」
立ち上がったキルシェが局長を睨んで、ジンにとって衝撃的過ぎることを口にした。
ジンはキルシェと局長の顔を、素早く交互に二、三度見した。
『被疑者、キルシェ・ヒリング……お前を第一級機密物窃盗容疑及び不法侵入容疑、傷害・器物損壊その他諸々の容疑で逮捕する!!』
「えっ、ちょっ、キル……ええええ!!?」
ジンは首が千切れそうなほどに素早く、二人を交互に二、三度見した。
この人だった。隣にいるこの人が、皆が追っているバリバリの犯罪者だった。
「そうかよ、そんなにあたしを怒らせたいみたいだな……このクソオヤジが!!」
『クソ……オヤ……うぐぐ、キルシェ、お前……! 親に向かってなんたる口の利き方を……!! 怒りたいのは、この私のほうだ!』
あの寡黙にしてクールなイメージの局長が、拳を血が滲むほど握りしめてあからさまにショックを受けている。片脚をボンネットに蹴り乗せた局長に、運転席の監察官がびっくりしていた。
険悪な空気が父と娘の間を流れている間にも、次々に何台ものフロート・バイクに乗った兵士や、派遣された監察官が集結し包囲を進める。派遣監察官は上級の部隊が大部分を占め、当たり前ながら隊長クラスも複数人は居た。
「こんな有象無象で、あたしをどうにかできると思ってるのかよ! 見ない間に
『キルシェ、貴様……! 第一、お前が花火なんて打ち上げるからバレるんだろうが! そんなもの、どうしたってお父さんとて来なきゃいけなくなるだろ!! バカ娘が!!』
「うるせー! バカ! アホ! このクサレヒゲ!!」
酷い悪口の応酬になった親子喧嘩を、両陣営の面々が冷めた目で傍観していた。
副官の女性に「あのー……局長?」と苦言を呈され、局長がゴホンと咳払いをする。
『こうなってしまっては致しかたない! もはやお前のことは娘とは……思うが! 思うが、あえて! お前を捕縛させてもらう! 抵抗しなければ今からでも罪は軽くなる、投降しろ! キルシェ!!』
「ヒ……ヒリングさん!」
局長からの最終勧告を受けても、キルシェは泰然としていた。
司法局・監察局の全部隊が各々の武器を準備し、戦闘待機する。司法局の警備兵は皆一様に同じ意匠の実剣を構えているのに対し、監察官側の持つ〈
狼狽するジンに、キルシェは得意気な顔を見せた。
「大丈夫だよ、ジン。ここはあたしに……任せといて!」
そう答えたキルシェの両の腕輪から仄かな赤光が生じ、全身を覆う。光の粒子が右手に集まり、紅い和傘として結晶化した。彼女の〈
キルシェは傘を局長に向けて突き出し、大声で啖呵を切った。
「あたしはあたしの好きなようにやる! 父親だろうがなんだろうが、関係ないね!!」
『そうか……ならば、やむを得まい』
局長の合図に従い、携行式の大砲を肩に乗せた兵士たちが前に出る。
冗談だろ、とジンは思った。そんな物が市街地で、それも建物の上にいる自分の娘に向かって撃てるはずがない。捕縛の為に街を破壊なんてしていたら、本末転倒だ。
ジンの危惧など気にも留めず、局長からの号令がかかった。
『──撃て!』
「舐めんなぁーっ!」
爆音を伴い、三発の砲弾が発射される。撃った。容赦なく撃ってきた。キルシェは左手で薙ぐように幅広な火炎の幕を張り、迎撃した。
砲弾は高熱と衝撃波で溶けて弾け、燃えた何かが中から四散した。炎上する残骸が屋根の端々に落ち、弱々しく燃え尽きていく。
「……あ、網?」
燃えていたのは網だった。通常の砲弾ではなく、捕縛用の投げ網が入っていたのだ。弾が割れて網が展開される前に、キルシェは中身ごと燃やし溶かしていた。残り火も風に掻き消えて、跡形なく闇に散る。
息つく暇もなく、キルシェの左腕に燐光を帯びた鎖が飛来し、巻きつけられた。鎖の先には分銅が付いており、地上で監察官が持ち手の鎌を強く引っ張っている。
『
「こんのやろぉ、調子づきやがって……!」
追って放たれた鉤爪付きの鎖を和傘で弾くも、三つ目の別の鎖が傘に絡みつく。それらは同系統の鎖型〈
キルシェは力づくで引っ張り返そうと踏んばりかけたところで、ジンを一瞥し、ふっと力を抜いた。
「ヒリングさんっ!?」
『なにっ!?』
勢いよく引っ張られたキルシェの肢体が宙に浮き、空を舞った。鎖がたわむ。力んでいた監察官が尻もちをつき、その場の全ての視線が上空のキルシェに注がれる。
逆さまの体勢のキルシェは、鎖の絡んだ傘を手放し空中で身体を捻り、左腕に巻きついた鎖を手繰って地面に稲妻のごとく叩き付けた。
地上からキルシェを引っ張っていたはずの監察官が、逆に鎖を利用され、キルシェの手で天高く吹き飛ばされる。
空に放り出された監察官は、一台のフロート・バイクと警備兵ごと巻き込んで地面を転げ回り、あえなく失神した。
キルシェが左腕の鎖をほどき、落ちてきた傘を悠々と右手で掴む。
「ほら、捕まえてみろよ」
敵陣のド真ん中で大胆にも傘を差し、キルシェは小首を傾げて不敵に笑ってみせた。
「つ、強い……」
市中警備を担う一般兵でも簡易版の腕輪は身に着けている。たとえ烏合の衆だろうと数で圧されれば、ただでは済まない──そう、ジンは思い込んでいた。
それは大きな誤解だったと、キルシェの強さにジンは改めて感嘆した。監察官という立場にあってなお、いや、むしろだからこそ、立場を忘れ魅入るだけの華が彼女にはあった。
圧倒的な彼我の実力差を感じ取ったのか、時が止まったかのように場が固まる。
『……何をしている! 取り押さえろ!』
局長の命令に、全部隊がやぶれかぶれに飛びかかる。弓矢などの射撃武器や投擲武器はことごとく炎で燃やし飛ばされるか、傘で防がれる。挟み撃ちにしようと兵士たちが斬りかかれば、跳んで避けられ同士討ちになった。まるっきり、弄ばれている。
戦局を見守っていた局長と副官の女性が、計算違いといった様子で話し込んでいた。
「あの、局長……おたくの娘さん、どうなってるんですか!」
「うむ……キルシェは元々、天級クラスたりうるポテンシャルはあった。そのうえ、今のあの子は赤のマリアンジュ・リングで強化されている……となれば、もうあれは至天級はあるだろうな。間違いない。ふふ……さすがは我が娘、と言ったところか」
「至天級、って……親バカかましてる場合ですか!? 一個上じゃないですか、ランク! 上級止まりじゃとても叶いっこありませんよ!」
「そう急くな。着実に夢素と体力は使わせているのだからな。……次の一手だ」
局長が手を叩き、後部座席に座っていた二人が重々しく立ち上がる。
「念押ししておくが……あまりやり過ぎるな。あくまで目的は捕縛だ」
二人はこくりと頷く。羽織るローブのフードで顔は隠れ、その表情は読めない。
車を降り、それぞれが大剣型と大槌型の〈
「アハハハ! てめぇらそれでもあたしを……──ッ! 危ねぇっ!!」
キルシェが組みついていた兵士たちを振り払い、地面に傘を突き立てて円形の火炎と衝撃波を起こし、全員を遠くに弾き飛ばした。
振り下ろされた大槌で石畳は砕け砂埃が立ち上り、地面が獰猛な大蛇のように暴れ波打つ。大剣からは鋭く甲高い音が響き、荒れ狂う旋風が砂塵を巻き上げ竜巻となった。そのどちらもが、キルシェを一直線に狙いすましての一撃だった。
「くっ……うあぁあぁああーっ!!」
キルシェは開いた傘を盾に防ごうとしたが、揺れる大地と凄まじい突風には抗えず宙へと投げ出される。翻り体勢を立て直したところへ、蠢く地面が土くれの杭と成ってキルシェの腹部を打ち抜いた。
鈍く痛烈な衝撃が身体の芯を貫く。キルシェはくの字に折れ曲がり血反吐を吐きながらも、歯を食いしばる。着地時に踏みしめたブーツヒールが石畳をガリガリと削っていき、やっとのことで制動がかかった。
キルシェが左手で腹を押さえ、閉じた傘を持った右手で口元を拭う。
「そうかよ……そっちがその気なら……好きなだけ付き合ってやらぁあぁあっ!!」
キルシェは笑みを浮かべ、和傘片手にフードの二人へと前のめりに突っ込んだ。懐に潜られた大剣使いが、下方から放たれた電光石火の攻撃を迎え撃つ。
傘と剣が
呻き声を上げてキルシェが転がり、フードの二人を前に片膝をつく。
『おい、やり過ぎるなと言っただろうが!』
局長からの注意を大剣使いは左手で制し、そっけなく言った。
「……問題ない。この女、防いだよ」
「つつつ……いてぇことには変わりないんだけどなぁ?」
背中をさすって、キルシェは苦笑いする。
ジンは見ていた。彼女は顔も向けず、左手から火炎弾を撃って、大剣にぶつけて威力を削いでいたのだ。刃先がわずかにずれたことで、服もやや焦げ目が付いた程度で破れてはいない。彼女の神懸かり的な判断によって、大剣の直撃はまぬがれていた。
異次元の死闘だった。繰り出される一撃一撃が速く、重く、無駄がない。一歩間違えば、誰かが死んでいてもおかしくはなかった。実際問題、フードの二人はキルシェを殺すつもりで掛かっているようにもジンの目には見えた。
この場において、上級以下の監察官や兵士などは一般人も同然だった。
『紹介しておこう、キルシェ。彼らは監察局の期待の
局長からの紹介に預かった二人が、白々しくも
ジンは息を呑んだ。風と土の属性を操る監察官、それも準至天級が二人、キルシェ捕縛の為に立ちはだかっている。キルシェの実力とて相当なものだが、戦況はそれ以上に劣勢と言うしかない。孤軍奮闘にも、限界が覗いていた。
(こ、こんな戦い……巻き込まれてたら危なかった……)
びっしょりとかいた汗が、ジンのシャツを肌に吸い付かせる。
ただでさえ暗く闇夜に紛れていた上に、初めの位置関係的なこともあってか、ジンとベルムートの存在は依然としてバレてはいなかった。興味本位の民衆が、窓や屋上といった各所から見物し始めたのも運が良かった。
『……もう現実が分かったろう、キルシェ! お前が逃れるすべなどないのだぞ!』
「ヘッ、なぁーにが現実だ……眠たいこと……言ってんじゃねえ!」
『虚勢を張るのもいいがな……このままではお前の身が持た……──ぐっ!?』
言い争いを遮り、眩い閃光と爆風が局長たちを襲った。
局長たちが熱風に顔を覆うと、キルシェとの間には青い炎の壁が出現していた。
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