地獄めぐり

あきかん

奇妙な果実は実らない ①

 離れの蔵の暗闇に、ぽうっと蠟燭の灯火が浮かんでいる。何も知らない人間が蔵を覗き見たとすれば、淡い橙色が数人の人影を浮かび上がらせ、何か良からぬ相談でもしているのかと訝しむかもしれない。それほど蔵の中には人が詰まっている。よく見ればそれは、吊るされた豚肉のように不完全な形をした者が多数をしめていることまでわかるかも知れないが、蝋燭のわずかな明かりでそれを確かめるのは至難の業だろう。そもそもこの蔵を覗こうとする人間など、隣にいる夢野がそれを許しはしないだろうが。

 外は急速に夕闇が迫る逢魔が刻の直中であって、まだまだ日の光に慣れた目が、わずかな光すらも通さないこの蔵の闇を見通せるとは思えない。夢野に呼ばれてこの蔵に入って半刻ほどだが、ようやく俺の目もこの暗闇に慣れ始めたぐらいだ。蔵の四隅に新しく刻まれた夢野の結界の印の影響か知らないが、ここの暗さは異常だ。本来であれば闇を照らす光明のゆらめきとなる炎すらも、肉が腐って淀んだ空気がしみ込んでいる暗闇にまとわりつかれているかのような錯覚を覚える。


 気持ち悪いな


 と、俺は思った。いつもここへ来ると思う。そんなことを思う資格が俺にないことは、自分自身が一番わかっている。この蔵の惨状を作り出している張本人が俺だからだ。蝋燭の炎が浮かび上がらせる吊るされた人型の肉体の群れを見つめながら俺は、汗ばんだ手を握る。隣の夢野はうっとりとした顔をして、紅潮した頬が蝋燭の明かりをわずかに反射していた。まったく理解できない夢野の気持ちをよそに、俺は吐き気をこらえるのに必死だった。夢野がこの悪夢から戻ってくるのを待つことしか今はできない。

「この場所がバレたらしいよ」

 夢野の口から洩れた。とても小さいその声は不思議と弱々しくは聞こえなかった。俺たちを追ってくる奴らで思い当たるのは二つしかない。

「怪異研の残党か」

 俺は夢野に聞いた。

「村役場の人間が政府に依頼したらしい。風評被害が本格化する前に解決したいらしい。だから、来るのはあの二人組だ」

「逃げなかった犬の方か」

 怪異研から逃げ出して三年がたつ。最初の一年は身を隠すのに必死だった。風の噂で、逃げ出した仲間たちが一人また一人と殺されていっているらしいとは聞いた。それも追いかけて来るのはあいつだと。怪異研で俺たちの仲間を殺し続けていたあの火車が、怪異研が潰れてもなお俺たちを殺すために追いかけて来ていると。だから、俺と夢野は逃げ隠れ続けて。いつしか気の狂った夢野とこの山奥の村に身を潜めることになったのだ。

「どうする。また逃げるか」

 俺は夢野に聞いた。相変わらず夢野は宙に揺れている奇妙な果実を眺めている。縄で吊るされた人間は、舌を出していて、その舌は顎の先までかかるほど伸びている。首の肉は縄が食い込みそこから腐り落ちていて、縄にかかった骨がかろうじて体を支えていた。腹の肉はすでになく、腹の肉と一緒に腐り落ちた後の、むき出しの肋骨にこびり付いた肉には蛆がわいている。

「ぼく達二人ならやれるんじゃないかな」

 夢野は口にした。

「馬鹿言うなよ。あいつらに何人やられたと思っているんだ」

「三年で十人にも満たないぐらいじゃないか。それならきっと大丈夫だよ」

 暗闇から浮かび上がる顔から、くぐもって何処か面白そうな声で夢野は言った。俺はそれに反論するために口を開こうとしたら


 ゴトッ


 突然、吊るされていた死体が床に落ちた。体の後に落ちてきた腐りかけの生首がころころ転がり俺の足にぶつかった。

「ねえ、久比里。やろうと。きっと大丈夫。それに新しい果実が欲しかったところなんだ」

 夢野は無邪気に言う。上手くいくはずはないとはわかっている。それでも俺は、夢野から離れるという選択肢が取れなかった。

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