8〜反抗〜


 普段抵抗しない分、言い返してきた璃仁のことが愉快でたまらないのか、海藤は取り巻きたちと目で合図を送りながら、この場の状況を楽しんでいるようだった。すでに教室からは事態の悪化を恐れたクラスメイトたちがいち早く退散していた。海藤たちの悪行を止めようとする者はいない。そのことに、璃仁が悔しくなかったかと言えば嘘になる。でも、もし自分が第三者だったら、他の皆と同じようにそそくさと逃げていただろう。だから、誰にも文句は言えなかった。


 今、璃仁の気持ちを弄んでいる海藤たちを除いては。


「だってお前、いっつも賢い人間のフリしてるのか黙って本読んでるだろ? なんか見てると腹立つんだよな。どれだけ賢い人の

真似したって、ここは偏差値50の学校なんだぜ? 今更賢いフリをしたって意味ねえんだよ。それよか、まずはその汚いワイシ

ャツを洗うことを学んだ方がいいんじゃないのか? 大好きな母ちゃんに教えてもらえよ。ママ、教えて〜ってね」


 言いながら笑いが堪えきれなくなったのか、海藤は腹を抱えて取り巻きたちと大声を上げていた。キンキンと耳に響く声が木霊して、どす黒い感情が腹の底へと溜まっていく。淀んだ負の塊は、璃仁の口から大きな泡を吹き出すような勢いで吐き出された。


「何、言ってんだよ。海藤の方こそ、今朝上級生の女子に言い寄ってたじゃないか。すごい迷惑そうだった。人の気持ちも、考えろよ」


 璃仁の言葉を耳にした海藤が、ピタリと笑い声を立てるのをやめた。海藤が突然笑うのをやめたことについていけない取り巻きたちの笑い声の残響が、静まり返った教室に散らばった。


「……お前、やっぱり見てたのか」


 その目は竜の目のように鋭く光り、璃仁は今にも狩られてしまうような心地がした。本当は今朝の出来事を海藤に言うつもりなどなかったが、つい激情にまかせて口走ってしまった自分を呪う。けれど、一度吐き出した言葉を今更飲み込むことなどできない。

 海藤は自分が上級生の女子に言い寄ったことを取り巻きたちに知られたのがよっぽど恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして表情を歪めている。取り巻きたちは声を発さないが、「マジか」とお互いの顔を見合わせる。


「嘘つきやがって」


 くそっ、と舌を鳴らし璃仁の机を蹴る。


「お前そのこと、絶対誰にも言うなよ」


「……そんな約束はできない」


「は? 自分の立場分かってる? これ以上俺に逆らったらどうなると思う」


 言いながら海藤は握りしめた拳を璃仁の頭上に掲げる。反射的に目を瞑る。しかし海藤の拳が璃仁の頭を襲うことはなかった。


「海藤、向こうから岡田が来てる」


 取り巻きの一人がいつのまにか教室の扉のところで廊下を覗いていた。岡田というのはこのクラスの担任だ。


「チッ」


 決着はまた今度な、とでも言うように拳を下ろして教室から出ていった。取り巻きたちは先ほどの璃仁の告白にまだ呆然としているのか、一呼吸遅れて海藤の後を追う。

 窓の外をちらちと見ると、先ほど降り始めた雨がいよいよ本降りになっていた。

 そのうち岡田が4組の教室に入って来て、教卓の上に取り残されていた書類を手にする。


「なんだ田辺、帰らないのか」


「……いや、帰ります」


 岡田は少し乱れた教室の机に多少疑問を抱いたのか、首を捻りながら教室から去っていった。


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